12月
23
応援雑感(2)

私たちの為に確保していただいた場所はバックスタンド第2コーナー寄り。他の学校の垂れ幕が下がっているけれどかまわないらしい。そこに陣取った。

しばらくすると右隣(センターより)にSS高校が来た。
バンドはうじゃうじゃと。うちの金管全部よりそこのTrpの人数のほうが多い。金管・打楽器とSAX、Flのみ。木管は置いてきたみたいだ。しかも1年生っぽいぞ。出てくる音とか、応援での反応や行動とかで何となくそんな気がする。

バンド以外は応援団部員数人。
チアリーダーとバトン部の合同部隊。20人弱ずつくらいかな。ここも1年生主体で修行に来た雰囲気。演技とかはまだまだな感じ。ポンが間に合わなかったり、リフト失敗して落ちちゃったり。
たぶん生徒会と思われる十数人。特に何をするわけでもなく。視察っぽい。
駅伝部員。

どうやってこの集団動かすのか興味津々。よく観察して今後の参考にしようっと。

バンドの棒は生徒。カウベル叩いている。ここが全てのコントロールタワーのようだ。
教員は、というと、やっぱりちゃんと責任者はいらっしゃる。応援団の顧問だろう方が、丁寧に指示をしている。弁当の置き方とか、並びとか。(バンド指導者と思われる何人かの先生は最前列に陣取ってはいるが、指示の矢面には立っていない。)
「女子生徒撮影禁止」の札も下がった。「無断撮影は禁止だが、大会本部や報道の腕章をした人たちには積極的に撮っていただくからね。」という説明が聞こえてくる。なるほど。
「今は走者の紹介をしているので音は出してはいけない」などなど、生徒たちに1つ1つきちんと説明していた。彼の指示でバンドの指揮者が全体に指示を出し動き出す。ご自身で大太鼓叩いたりして大忙しな感じ。バンド指揮者からではなく生徒応援団長が仕切る場合もある。
いずれも顧問の先生からの指示。やっぱり指示系統がすっきりしているなぁ。組織にしようとする意図は明確だ。

そういう状況を観察してくれたかなぁ?次に生かせるかなぁ?

12月
22
応援雑感

バス泊がベストだったかどうかは判らない。
でも、当然のように「朝4時集合!」と言われても、不可能な場合だってある。遠い人は本当に大変だし、なにより生徒はどうやっても自分の力だけでその時間に集合するのは不可能だ。
その裏には「応援希望者なんだろ!行きたいんだろ!」があるのかなと。

このような場合、我々には選択の余地は無い。「行けません。」では済まないのだから。意識としては初めから「当然行くもの」として考えられている。

あまのじゃくな私はすぐ逆手に取りたくなる。「行けません。」「希望者の応援団なんでしょ?」「拒否する余地ありますよね?」

本来、行かないと成り立たない人・物についてはそれなりの体制を保証しなければ組織にならないと思うのだけれど。
だからバンドとチアは違った動きをする形にしたかったので無理を言った。メンバーにも無理を言ったね。バスの中では寝れなかっただろうし。

言い方良くないけれど、我々(バンドとかチアとか…)は業務・仕事で出かける心づもり。だから体制とか組織とかの組まれ方が気になる。
一方、一般参加の希望者応援団はやはり物見湯山な感じだ。もちろんそれで当然。応援団としての責任なんて微塵も必要ない。楽しんでいただくことが一番大切。
でも誰かがどこかで組織として統轄する必要があるのではないかな、と思う。
一般の応援でいらっしゃった方々の応援席は誰が確保するの?会場まで運んで、後はご自由に!応援の仕方も。旗配って「後ご自由に」…、は失礼じゃないのかなぁと。皆さん苦労されてましたよね。

また、生徒の応援団は誰がまとめるの?あの状態で人文字作ったり、全員でコールしたりは、きわめて難しいだろうな。全体を把握している人が一人もいないのだから。

きちんとした応援団は、そこにいるみんなに大きな一体感を持たせ、一生懸命応援した、という充実感を実感として持たせる事が出来る。だからこそ、校歌や応援歌が大きな声で響き渡るのだ。どうしようもなく歌いたくなるのだ。それが誇りになり母校愛になる。
しかし、それためには綿密な仕掛けがいる。

組織力と企画力。問われていると思う。

12月
19
生きる

本当に久しぶりにゆっくりテレビドラマを見た。
最終回だけ見てもしょうがないかな、と思いつつ、それでも何となく少しずつ垣間見ていたので、結末が気になって。平原綾香の歌も聴きたっかったし。
展開や手法でいろいろ気に留まったことはあるものの、人が生きること、死ぬことについて自分なりにもっと深めなければ、と思った。
ドラマの中の話と実際の話とが交錯しながら…。

存在。意味。価値。理由。関わり。
決して「…ない」ではなく!

たまに「もし世界が破壊されるとしたら?」という問いに対して、私では思いもよらない回答を見ることがある。生きること、生きていくこと、のとらえ方が全く違うことにびっくりする。

覚え書き:
エゾエンゴサク(蝦夷延胡索、学名:Corydalis ambigua )は、ケマンソウ科キケマン属の多年草。春つかのまの命spring ephemeral 代表する植物の一つ。北海道ではカタクリとともに, 雪どけ後の落葉樹林下の野草を代表するもの。

野草は優しくて好きだ。(決定的に園芸種とは違う。)
群生を見てみたい。

12月
15
大掃除しながら

思い出したこと。

ずっと昔、何か会議の途中で休憩になった。
まだまだヘビースモーカーな頃だったから灰皿のあるところでソファに陣取り幸せな一服をしていた。
皆、同じことを考えるからだんだん混雑してきて、先にいた私はその状況を”察し”、後から来た方と目が合ったので、”微笑んで”何も言わずソファを譲った。「ここどうぞ」のつもりで手くらいは差し出したかもしれない。私は無駄な言葉を発することなく、とてもスムーズに穏やかに事が運んだと思った。
しかし、その矢先「人間なんだから言葉くらい交わしたいなぁ、なんだか寂しいなぁ…」と言われてしまった。とっさに意味が分からず、先ほどの会議での議論の続きか、と一瞬考えだが、単純に今の席を譲った件だった。

カルチャーショックだった。コミュニケーションに関する価値観の違い。「言葉」への依存度の違いか。
 

そんなことボケーッと考えながら一生懸命大掃除で床の汚れを取っていたらふらふらになってしまった。血中グルコース値計ったら見たこと無いくらい低い数字だった。
こりゃ少々まずいぞ、と。
ブドウ糖買ってこよう。

12月
13
夢を見た

この仕事になってから、あまり夢を見た記憶がない。
見ていないはずはないと思うけれど、朝起きた時に「おぉ、今日はこんな夢を見たぞ!」と思い出すような事はなかったと思う。
かつて私は、数十回にも及ぶ連続ものや、超SFもの(次元を飛び越えて、主体が入れ替わって、時間を縦横無尽に駆け回るような!)な夢を良く見たものだ。空も良く飛んだ。

でも、このところ毎日がきつかったからか、帰宅して夕飯を食べながら寝てしまうくらいの(日付が変わっていたりするから当然と言えば当然なのだけれど)睡魔が常にあり(高速道路の帰路は随分スリリングだったからな…)、一度寝てしまうと即、朝な毎日だったのだ。

土日が2週連続で休み、休日の練習は午前中でお終い、な日常になって、だから十二分な睡眠が取れているからだろう。久しぶりに、見ている時の感情や状況などを克明に覚えている夢を見た。
内容はなんてことはない。
〜久しぶりにあった人と正面で向き合い、しばらくじっとお互いを見つめ、その後ににこっと笑って握手する。〜
程度の内容だ。時間にすると(極めて感覚的だが…)ほんの数秒から10秒程度だと思うが、その時に自分が何を思い考え、相手が何を思ったかを想像し、その結果どう行動したか、を克明に覚えている。

フロイトもユングも詳しくないので「だからどう?だからなに?」にはならないのだけれど。
何故か鮮明な夢だった。
なんだったのだろう…。

12月
02
忘れ物を取りに

職員駐車場まで行った。
天気が良いので、少し歩こうと思い遠回りして公園をぐるっとしてみた。

向こうの方で、期末試験を終えて早く下校してる女子中学生が二人、ご年配な男性につかまっている。
話をしながら私のほうをちらちら見るので近づいていった。何か悪いことではなさそうだけど、少し困った顔をしている。

「どうしました?」
「電話をかけてくれんかな?」
そうか、電話貸して、と頼んでいたのだ。
中学生に「ありがとう、あとはやるから大丈夫」といって無事解放。
再度「どうしました?」
「病院行って、歩いて帰ろうと思ったけど、やっぱりダメだった。迎えに来てって電話をかけたいんだ。」
「もちろん。良いですよ。番号言っていただけますか?」
相手の方が出て「もしもし?突然すいません、替わりますね」

お迎えの連絡とれたみたいで、良かった良かった。
「電話代です」
「そんなの要りませんよ」
「気持ちです」
「えぇ。…分かりました。それではお気持ち10円だけいただきます」

ぽかぽか暖かい日だまりの中、路端のフェンスに座ってお迎えを待つご老人。
これで一安心か。少しは役に立ったかな。

もし、私が遠回りの散歩しようと思わなかったらこの出来事はなかった。そもそも忘れ物しなかったら…?
この世の中、何処でどう繋がるか、不思議だな。

11月
16
たまたま

ネットをさまよっていたら、知っている人のブログに行き着いた。
もしかしたら20年近く前の記憶しか無いかも知れない。

しかし当時の彼女のことは鮮明に覚えている。3年間一緒にバンドをやった。
コンクール東海大会の帰り際のこと。動き出したバスの窓から身を乗り出し隣のバスに向かって泣きじゃくりながら「私たちの方がちゃんと音楽してたからね!」と叫んでいた。隣のバスは一つ前の記事の学校で、彼女の親友がそこに居たのだろう。もちろんその学校は全国大会まで駒を進めていた。良いライバルがいて、青春して、幸せな奴だなぁ、と密かにもらい泣きしたのを覚えている。私だって渾身のヒンデミットを演奏した後の結果で悔しかったのだ。

懐かしくていくつかの記事を読んだ。
他愛もない記事をいくつか読んだ後にハッとした。

つい何週間か前に自ら命を絶とうとしたらしい。
その事について記述があるのだからあちらには召されずに無事御存命なのだと思う。
良かったと思った。心の底から。

私は学生時代から友人知人でそういうことは多く、実際に天に召された方をたくさん知っている。
まじめに自分の奥底を覗こうとするからか、もろく壊れやすい繊細な心の持ち主なのか、なんだか良く解らないけれど。

でも、生きててなんぼだよ。
おまえはまだ早すぎる、って言われたんだね。
ここに書いても届かないかも知れないけれど、でも、書くよ。

「いつも心に音楽を!」

11月
08
アルピニストの言葉

アルピニスト野口健公式ホームページにある
野口健の『環境問題って何?』
から抜萃
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 99年に25歳で七大陸最高峰の登頂に成功した登山家は、今このように、環境問題に取り組んでいる。このモチベーションは何処からくるのだろうか? 僕が、彼に聞くとこんな答えが返ってきた。
「人間が生き延びるためだよ」
そう、野口の環境保護は、あくまで人間社会のためなのだ。
「環境問題は、美しい緑を守りたいとか、動物がかわいそうとか、そういった感情的な視点で捉えられることが多い。でも、極端な話、環境を完璧に守りたいのなら人類が滅びればいい。本当は人間が生き延びるための、環境保全なんだ。昔と変わらぬ機能的な生態系サービスがなければ、人類は生き残っていけない」
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次のは野口健氏が少し前にテレビで言ってたの聞いたやつ。
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「無理しないで」と「頑張って」は自分にとって意味がない。
無理しなければエベレストなんか登れるわけないし、いつも頑張っているからこれ以上頑張りようがない。
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決して妙な感情論ではない。
頂点を目指す人はそれを当たり前に思っている。
見習わなければ。

11月
08
せろり

毎日帰宅し玄関の鍵を開けて中に入ると必ずそこで出迎えてくれる。
予想に反する時間だと、少し離れた場所で様子をうかがっていることもあるけれど。
「今まで寝ていたな」と言うような寝ぼけた顔の時もあるけれど。

じっと目をそらさず、しっぽを最大限の速さで振り回し、頭を撫でてくれと迫ってくる。ふんふん鼻で鳴いている。
飛びつくと怒られるので飛びつきたい気持を一生懸命押さえて、「スワレ」と言われるから一応座っているけれど、でも高まる感情を抑えきれずに「この気持どうしたらいいかわかりませーん」と地団駄踏んでいる。

もうすぐ11歳のゴールデン、雌。顔の毛の色もだいぶ白くなってきた。
ほとんど人間の言葉がわかっているのではないかと思うくらい、いつも人の話を聞いている。
気になる単語やフレーズが出てくると、遠くで寝ていてもわざわざ確認のため足下まで来る。
こちらから働きかける言葉もほぼ理解できているようで、「ゴメンなぁ、お留守番しとってな」と言うと、それまで「お出かけだぁ!!」と思い切りはしゃいでいても、「あっ、そう…」とすぐにふて寝を始める。

生後1ヶ月で我が家に来た。親と離れるのが少し早めだったので、犬としての社会化がきちんと出来ず、もともと気の強い性格とあいまって躾に苦労した。「飼い主は群れのリーダーになろう」というアルファ理論全盛の頃だったがそんなことではうまく行かなかった。ありとあらゆる本を読んだ。訓練士にも相談した。そこで出会ったのがこれ。私にとっては犬の事だけでない沢山の事を教わった。今でも読み返す。重要なのはコミュニケーション。心には心で返す。(犬語は解らないからね!)

…今では当初苦労したことが嘘のように穏やかだ。
今日も出迎えてくれた。私は首を抱き頭を撫でほおずりをする。するとせろりは私の顔をなめ仰向けにひっくり返り至福のダンスを始める。しかも鼻で歌いながら。覆い被さってさらにほおずりをすると、おとなしくなって目を閉じてしまう。

この関係はたぶん恋人どうしのようなものではないと思う。
もちろんアルファの確認すなわち服従の儀式でもない。

だいぶ老犬だが、この関係はせろりが先に逝くまでずっと続くだろう。いや続いて欲しい。
 

少し前、「カッパのくーと夏休み(だったかな?)」というアニメ映画を見た。そこに出てくる「おっさん」という犬を見ていろいろ考えちゃったんだな。
そう、せろりとの関係、しあわせだよ。

11月
01
右耳

何か奥の方で、ゴボゴボ音がする。
痙攣するように急に始まり、しばらく続く。
だんだん消えて無くなっていくが、調子の悪いときはそれが何度も続く。
外の音が聞こえなくなる程ではないが。

今までの右後頭部から肩下にかけて鉄棒をつっこまれたみたいな痛みが進行し、それが痙攣して耳の機関にでも干渉しているのだろうか。

そういえば喉の痰が絡むのも最近ひどくなってきた。声が出ないぐらいのこともある。

だいぶ体がくたばってきた。

だからって止まってしまうわけじゃない。
なんたって永遠の23歳だからね。