8月
17
エコ

我が町にはエコステーションというところがある。

資源ゴミを分別して持ち込む場所。土日だけやっている。
日頃、ほとんど出来ないから家の中に山積みになっていた資源ゴミを整理し、持ち込んだ。
古新聞、雑誌、雑紙ゴミ、段ボール、牛乳パック、などなど。

車から何度も往復して下ろしているあいだ、ひっきりなしに同じような車が来る。
そして、各自厳格にゴミを分別して行く。

みんなの意識の高さに少しびっくりした。
仕事柄紙ゴミはたくさん出る。もっときちんとせねば。
新しいスタンダードを身につけよう。

8月
09
柔らかく

いつも突っ張ってばかりいるとそのこと自体で疲れてしまいがち。
せねばならない! 出来てない! やらなきゃダメ! 我慢我慢! 耐えればキット良いことある! 
もちろんそれも必要だろうよ。

でもどこかで力を抜き、リラックスし、リフレッシュすることも同じくらい、いやそれ以上に大切だ。

柔らかく。
居心地良く。
自然体に。

少しずつ環境整備をしようと思う。

5月
25
一問一答

パソコン通信時代(15年以上前だ!)からメールは活用している。
今も私の一番確実な連絡手段はメールである。

しかし、最近は勤務先の仕事場がインターネット繋がっていないのでパソコンでのメールやりとりがしにくい状況にある。何とかネットに繋ぎたいと、近くの職員室から漏れてくる無線LAN電波を拾うこととか、FOMA利用などモバイル接続などを研究しているのだが、なかなか上手い方法がない。

だから、最近は携帯電話メールが増えてきた。随分頻繁に送受信を繰り返し、連絡手段として便利に使ってはいるがどうしても困ることが二つある。
一つはあの端末での日本語入力は正直辛い。パソコンキーボードに慣れた手は、どうしても親指一つに任せるのが不安だ。両手だったら早いのかも知れない。さらに、電話の数字の並びは、電卓やテンキーと違う。テンキー入力に慣れた指は、すぐ数字を間違える。
もう一つ、使い勝手で重要なことが携帯端末では実現しない。すなわち送信メールとそれに対する返信メールがスレッド表示できないこと。いや、スレッド表示など出来なくてもよい。それぞれつながっている送受信のメール内容を一つの同じフォルダに収容できさえすればいいのに。そうすれば、一連のメールやりとりで話の流れが掴めていくのに。

携帯メールでのやりとりは大概一問一答だ。

だから一つの本文に質問をたくさん書くと受け取った人は返信するのに困る。文字数で通信料も変わるからパソコンメールのように全文引用はほとんどされない。部分引用ですらする人は少ない。

せいぜい何往復かすることもあるが、その時の本文は文字数が極端に少ない。

定型引用で「了解!」「ありがとう」で済ませば会話はそれで終了だよ。

しかも、同じフォルダに収容できないから、あとから流れを確認するのはとても難しい。

送ったメールに対してどんな返事が来て、それになんて応えたか、と確認しようと思うと 受信フォルダと送信フォルダを行ったり来たりしなければならない。

さらに、端末の仕様にもよるが、基本的には最新何百通の保存だけで、古いものはどんどん削除されていく。

・極端に文字数の少ない一問一答。
・その事についての論議は難しい。ほとんどYes or Noで終わる。
・古いものは消去されていく。

で、気が付いた。
これが日常の会話でも再現される。
本当に一問一答だ。過去の質問と今の問題がリンクして、さらに全然別件が参考になる、ような思考回路が消滅しているように思える。
解答も Yes or No だ。シンプルと言えばそう。しかしそこから何も派生しない。会話はそこで止まる。
しょうがないから新しい一問一答だ。
脈絡もなく新しい一問一答をしているうちに古い情報はどんどんメモリーから消えていく。

そこで得た感情は何やら残るみたいで、「良く解らないけれどもやもやする」という言葉をよく聞く。本当は覚えているはずなのに思い出せないような感覚なのだろうと勝手に推測しているが。
どこかでバックアップを取れば良いのかも。
定着が悪いのもここに原因があるのかね。

いずれにせよ、よく考えないと対応や反応を誤る。最近のコミュニケーションは難しいのだ。

5月
24

我が家の南面は開けていて家がない。なにせリニモが走っている大きな通りまでずっと田んぼだ。
最近直前の田んぼ数枚を代掻きしたようだ。水が入った。さらに数回降った雨で満水になり整備された水田になった。

とたん、蛙がうるさい。
睡眠の邪魔だ。気になる、程度ではない。文字通りうるさい。
種類はアマガエルだと思われる。
よく家の壁に張り付いて真っ白になっている蛙がいる。(我が家の外壁の色は薄いベージュだ)
そして、聞こえてくる鳴き声は一種類だ。本当はほかの種類もいるのかも知れないけれど。

それまで何処にいたのだろうかと不思議だ。寒いときは土の中で冬眠しているのだろうと想像するが、田んぼに水が入る時はもう既に初夏のような気温の時だってある。そんな暑いときだって一切蛙の鳴き声は聞かない。
ほかから移ってくるのか。

でも、何となく、少なくとも蛙が生き生きとうるさく鳴き声を上げることが出来る程度の自然ではあるんだな、と思う。薬付けの畑ではミミズさえいないと聞くからね。
その意味で、我が家にいながら自然を感じることが出来るのは幸せなのかも知れない。

そうそうたまにヤモリ君も登場するし。
毎年うちの庭で脱皮する3m近いシマヘビもいるし。

たまに示し合わせたかのようにピタッと止まるときがある。
調子外れの奴もいる。
うるさい中でも、なにやらドラマがあるのかも知れない。

5月
10
自分の首を絞める

小さなごまかしを重ねることがある。
その気になって矛盾を突いていくとすぐにボロが出てしまいそうな程度のもの。
その程度のことは、別に実害があるわけではないので取り立ててどうするということでもないのだけれども。めんどくさいこともあるので誤魔化されたふりをしてるけれど。

でも、それ繰り返すと、他人は誤魔化せたと思っても、自分は誤魔化せなくなるんだ、と気づくべきだよな。
それって案外苦しいぜ。

誤魔化すことなく素直に素朴にしてれば、どんなこともするりと上手くいくことが多いんだけどなぁ。
なかなかその境地にはならないかもね。なりたいと思っても難しいかな?
そうだとしたら本当にもったいない話だよ。

4月
26
425

最近の最高値。
本日午後2時半では、376。
明日の午前中に入手予定だが、少々油断した。
きっと、だいぶ縮んだ。

4月
15
禁止事項

自分を守るために(やむなく?)他人を攻撃すること。
他の世界を見ないで自分の尺度だけで判断すること。
長いものに巻かれること。
逆に支配すべき者と思うこと。
世間体を気にすること。
変化を求めないこと。

とりあえずこれくらいで、だいぶ変わると思う。

3月
31

ソメイヨシノ
シダレザクラ
モクレン
ハクモクレン
ミモザ
ユキヤナギ
ツバキ
ヤマブキ
ホトケノザ
カラスノエンドウ
オオイヌノフグリ
スミレ
オドリコソウ
レンゲ
ナノハナ
スイセン

家を出て数分歩いたら出くわす野の花たち。
園芸種はその何倍も。
この生命力。生きる力。

私にも分けてください。
パワーをください。
太陽のようになりたい。

3月
15
茶番

いったいどうなっているんだろ?

何年も前から会議検討を重ねてきて、最終的にあの結果はあまりにもお粗末じゃないのか?
責任の所在が明らかでなく、何か問題が起こるとあたかもその直接の担当者のミスのように扱われる風習。
今まで何の説明もされていないのに、いきなり「聞いていませんか?」「知らなかったですか?」と非難される。
主体者に決定権があるように見せかけて、実は(めんどくさいから?)全てあらかじめこちらにとって都合の良い予定がされている事だらけ。

主体たる顔が全く見えてこない。「何のために?」本質と感じるところが全く違うのだろうか。
この先どう育って欲しいのか、将来どうなって欲しいのか、先を見通した具体的な計画は私には見えてこない。ビジョンや夢すらも見えてこない。

見えるのはただ保身に走る醜い姿だけだ。
最大の被害者はだれだろう?

良くなるのはきわめて難しいのかも知れない。

 #もちろん自分はどうだ?の自問を忘れてはいけない。