3月
09
熊野詣で その四

先の瀞ホテルで始めて食したものがある。20年前の話。
三宝柑。
泊まったときのデザートに出た。酸味は強め。甘さは主張しすぎず、むしろ頼りなく、しかし、香りが良かった。
その時「このあたりでしか採れないんですよ」と教えていただいた。

その数年後、なぜか木曽川上流へ釣りに行く途中、恵那か中津川か、国道19号沿いでトラックから直売りしている三宝柑を見つけた時以外、中々手に入れることが出来なかった。幻だった。

 昨年末、紀州ミカンを買いに尾鷲まで来たときにもなかった。
 が、しかし!今回見つけたのだ。
三宝柑

とてもさわやかだ。今回もデコポンとか他のポンカン系のみかんとか色々買ってみたけど、やはり三宝柑は秀逸だ。オレンジとかネーブルのようなむせるような甘さとは正反対の、なにかとても日本風でさわやか、控えめだけど忘れることのできない上品さがある。それを越えるのはきっと文旦くらいだろうな。

 今まで三宝柑はなかなか出逢えなかったから、まず見つけた尾鷲の先回のお店で確保し、その後新宮のジャ○コでもあることを確認し、充分買い足した。
今回はたまたま時期が良かったのだろう。幸運だった。

今、我が家は柑橘系で一杯。
食べきれなかったらミックスオレンジマーマレードでも作ろうということになっている。

持病のことは、少しの間、横に置いておこう…。

3月
09
熊野詣で その参

その日のお昼ごはん
めはりずしの箱
 
 
 

私が一番最初に和歌山に来たのはもう20年ぐらい前になるか。
奈良県と三重県と和歌山県の三県の境にある瀞峡(どろきょう)というところにある瀞(どろ)ホテルに泊まったことがある。なかなか風情のある木造の建物だった。
ここここなどを参考に…。(でも今は休業中のようです。)
 
 
 
 

その時に食べたのがこれ。
めはりずしのなかみ
 めはりずし。今回もそうしてみた。わざわざ店の看板を探し、地図を確認する。走ってみたが迷った。それではナビ様のお出まし。なんてことはない、すぐ見つかった。
 お店でも食べること出来るけれど、テイクアウトをお願いする。待つこと15分くらい。
 高菜の漬け物でくるんだおにぎりと言えばよいか。大きすぎて目を見張るくらい大きな口を開けないと食べられないからめはりずし。これはそこまで大きくはない。
 うーん。20年前と味が変わっていたような気がする。醤油が強い。
 他のものでは鰹節がまぶしてあったり、でいろいろバリエーションがあることをこの20年で知ってしまったからかな。

 我が家でも自家製を作ろう、バリエーションを増やそうと、高菜の漬け物をスーパーで買うことにして、実際には道の駅で購入した。九州の高菜漬け使ってもおもしろいかも知れない。

3月
09
熊野詣で その弐

 熊野大社は和歌山県にある。
 そこに行くには、愛知県からだと伊勢自動車道などと後半は国道42号を使って三重県をとにかく南下する。
 三重県には木曽三川を渡らなければならない。木曽川、長良川、揖斐川。どれもでっかい。だからこの三つの川を渡るとまず愛知県と文化が違う。

それはその壱で書いた「なんとか1年」生きていけるようになった仕事で痛いほど知った。職場は桑名だったのだが文化や風習が違うというのはこういう事なんだ、と実感した。

 さらに和歌山県と三重県の境に熊野川という大きな川があり、これも文化を分けているようだ。

 何が違うかというと、車の走り方が違う。三重県はどちらかというと「石橋を叩いて渡らない」感じ。だから、私は少しイライラする。のんびりしていると言えばそうなのだが。
 それが熊野川を渡って新宮市にはいると一転する。山道を走っているとすぐ後ろからせっつかれる。おやおや、と思って、脇に寄り先に行かせると、初心者マークを付けたオネーチャンがぐんぐん離れていく。「へぇ〜、三重県とえらいちがいだ、」と感心しているとまたすぐ後ろに着かれてパッシングされる。すぐさま脇によって先に行かせると、頭に手ぬぐい巻いたジーチャンがくわえタバコで軽トラかっ飛ばしてる。
 #言うまでもないが私は決してのろのろ走っているわけではない。

 大きな川は凄い。人の流れをコントロールし、人の意識を変え文化を変えるんだ。

 さて、熊野大社(と速玉大社)では手を合わせながら色々な決意と報告をした。

お願いをするのではなく、自分自身の気持ちを込めて報告することについては、何かの番組で誰かが何かを言った(何のことかさっぱり判りませんね…)のを聞いて「なるほど〜」と思ったから。それ以来そうしている。

 自分のことだけでなく。もちろんTSWのことも。みんなのことも。演奏会のことも。今回は決意表明が多いかったな。

 抜けるような快晴で、雲一つ無く春のような陽気だった。私はバンドをやれている幸せを再確認した。そして一つだけお願いした。「それがずっと続きますように!」

3月
09
熊野詣で その壱

 この時期に熊野詣でをするようになって何年になるだろうか。

 初めは、前任校(T邦)を辞めた後、毎日の生活に詰まり「この先どうしようか」というせっぱ詰まった状態の時だった。気晴らしに、話題になっていた熊野古道を歩いてみたくて、それだったら出来るだけ本宮(熊野大社)に近いところを、そして最後には熊野大社を詣でよう、と考えて中辺路あたりをゆっくり歩いたのだった。

 とても苦しいときだった。古道を歩きながら色々なことが頭を巡っていた。厭世観を強く持っていて、それこそ山にこもりたいと思っていた。しかしそれも実現できない不甲斐なさや、だったら自分の社会的責任を果たせよ、という内なる声につぶれそうになっていた。なにより明日の生活をどうするかが最大の難問だったのだ。

 その帰り道、紀宝町の道の駅で車中泊をしている時に、とある仕事依頼の電話があった。単発ではない少なくとも1年継続する常勤の仕事。「とりあえず、これで命がつなげる!」と、次の日に指定された面接にそこから直行したのだった。

 その時以来、毎年来ている。ある年は熊野大社だけ、ある年は速玉大社、熊野大社、那智大社の三山をと、様々に巡ってきた。
 今年は本宮だけ、と思っていたのだけれど、たまたま新宮で道を間違えて速玉大社の真ん前に出たのでそちらも参ってきた。
 石段を登り行き着いたところにある熊野大社。
熊野大社1
お社はそんなに大きいわけではない。しかし何故か私はそこに立つと凛とする。
 
 
 
 

 毎年干支の幕があり今年はこんな感じだった。「をぉ!」今の私の気持ちと全く同じ。
熊野大社2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
熊野大社3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
そしてこれ。
豊川稲荷のダキニシンテン様と仲がおよろしいのかどうかが少しだけ不安だけれど。ヤタガラス様。
やたがらす

 なぜ今年も行ったかというと…。

 最近のある朝、駐車場から学校へ歩いているとき、電柱にとまっている一羽のカラスが私に向かって鳴いた。そして「熊野へ行け」と言っている気がした。
 超常現象を信じる私ではないが、急に突飛なことを思いつく瞬間があり、じぶんで面白がって実行してみたくなるときがある。
で、行ってきた。

信じた?

3月
06
挨拶

TSW諸君に挨拶の話をすることが良くある。

ついこの間もそのことで一悶着あったね。
実はその背景がある。どうしても私はこだわってしまうのだ。

今私が住んでいる場所は微妙な、絶妙なところで、名古屋という大都会の東の端っこ。ド田舎ではないが都心でもない。
そこに越してきた頃、散歩してると誰でも親しく挨拶してきた。もちろん今もそうだが、その時は田舎だから、みんな人が良いのかな、くらいに思っていた。しかし、宅地開発でどんどん新しい人たちが流入している場所なのだから、昔からのド田舎では無いことに気が付いた。新しいお家の人たちもとっても気持ちよく挨拶する。もちろん子供達もそうだ。

その前は名古屋市内地下鉄の駅徒歩約2分のところにいた。ま、都会だ。それでも近所の人や行き交う人と挨拶してた。殺伐とした大都会だからこそか、知らない人同士でも、何となく会釈し、声を出していた。それが当たり前だった。

この地に勤務するようになって先ず初めに思ったことは、挨拶がないこと。
街を行き交う人同士挨拶がないと思った。(気を付ければ少しはあるよ、ちゃんとね。)
同僚でさえ、ない。お互いが言わないのではない。こちらから声をかけてもスルーされる。目を合わすことさえしない。その現場に居合わせたスタッフが憤慨していたこともある。

2年経った今でもそうだ。外で、だったらまだ判らないでもない。
しかし職場の中(建物の中!)でもそうだ。
おれ、何か悪いことやったかな?失敗したかな?そうじゃなかったら相当嫌われてるのかなぁ?と自分を責めてみる。
関わることを拒否されているように感じてしまう。
よく、都会だからそういった人と人のふれあいがない、と言われるけれど、実は逆なんだと気が付いた。
都会は、だからこそ挨拶することに敏感なんだと。
そうか、ここは田舎なんだ。精神的田舎なんです、きっと。

最近はめんどくさくなって、郷に入れば郷に従えで「ま、いいや」になっているけれど、やっぱり何かおかしいと思う。

だから、TSWの諸君がさわやかな挨拶が出来ないと気になるんだ。
閉鎖された空間や風習の中で、「それでよい」と何の疑問も持たないと、もっと広い世の中に出たときにとても恥ずかしい思いをする。

あなたたちはそうなって欲しくない。
挨拶する、挨拶したい気持ちをきちんと持って欲しい。

3月
04
Resonance

レゾナンス…。
共鳴。共振。共鳴・共振すること。

何と何が?
もちろん、私とTSW。

でも、多くと同時に共鳴・共振することは最大公約数的ではないはずだ。
それぞれ特定多数の個と同調し、さらに全体としての共鳴・共振が出来るのなら理想だ。

ただResonanceの一方ではInterference(干渉)が必ずついて回る。
打ち消しあって ゼロ になる場合だってあり得る。
注意することで回避は可能なのだろうか。それともある程度は見込んだ覚悟がいるのだろうか。

昔、フェイザーシフトエフェクトのかかったffのトランペットユニゾンが心地よかったことがある。
しゅわ〜〜〜ん、っていうんだよ。音波の位相のずれでなるんだけどね。
人数たくさんいると大丈夫なんだよ、きっと。

…バンドだから、結局はトータルで考えるしかないんだろうと思う。

3月
02
後援会

後援会の集まりがあった。

最近、私がTSW部員をイジメる(?)から、お怒りやお叱りをいただくことを当然覚悟していた。
(本当にそう覚悟していたんです)
しかし、実際は違った。とても暖かく理解のあるお言葉をたくさん頂戴した。
「このバックヤードがあるからTSW部員が育つんだ!」と強く思った。私の力なんか全く取るに足りない。絶大なる力。素晴らしい。

その後の懇親会もとても楽しく充実していた。こんな自分でも何かお役に立てているのかも知れない、と少し自惚れてみる。
もちろんすぐに現実に引き戻されて、ダメダメで困ったちゃんな自分なのだけれど。

3月
01
久しぶりに

まだ日のあるうちに我が家で過ごしている。
犬の散歩に行き、梅が咲き出していることに気が付く。
オドリコソウやホトケノザが日溜まりで咲き出している。
ケリが耕した田んぼをつがいで歩いている。
風は冷たいが、日は暖かい。
そう言えば今朝の睡蓮鉢は凍っていなかったっけ。
春はすぐそこ。
あっという間だ。

また一年、同じように巡る。
私もまた変わらず一日往復140kmを繰り返す事になりそう。
円を描く道はなかなか螺旋階段になってくれない。

でも、自然界では、しばらくすると冬を耐えていたあらゆる命が一斉に動き出す。凄いな。

2月
17
待つ

私が出来る最大のこと。

望み通りにはならないかも知れない。
裏切られるかも知れない。
逃げられるかも知れない。

でも、
今の不信を超越し、いつか待った甲斐があったと思うことを信じて。

ただ、待つ。

2月
11
体力

久しぶりに夜を徹した。
自称23歳の私だが、もう少し若かった頃は二日三日と睡眠を取らずに仕事をしていた。
日中は普通に仕事に従事しているのだから、そこでは出来る事と出来ない事がある。
週末に、というのはダメである。私の仕事に週末はない。休みはないのだ。
月月火水木金金。いくら世の中が週休二日になっても変わらず。
すると、どうしても家で、しかも夜中にやらなければならない仕事が増えてくる。
さらに、締め切りが近づくともうどうしようも無い。徹夜だ。

体調が悪くなると悲惨だ。徹夜すら出来ない。締め切りは迫る。
それでもやらなきゃ。辛いね。

我がTSWの諸君も同じような思いをしている人たくさんいそうだ。でもな、やるしかないんだよな。
そのときに必要なのは、他でもない体力。知力でも感性でもない。
体力無ければ元気は出ず、元気でなければ良い仕事は出来ない。
どうしても体がついて行かない、ということであってもやるしかないんだよ。
自称23歳はそれでも徹夜して何とかしてきた。今はとにかく体力が欲しい。

だから、いま猛烈に眠い。これ書いたら寝よう。誰がなんと言っても寝よう。