3月
18
朧気ながら

朧気ながら、今まで考えたりやったりしたことの意味がようやく見えてきたような気がする。
あらためてそこから見渡してみると随分回り道をしてきたんだな、と感慨深いが、大切なのは「今自分がそこにいる」ことだと思う。

そろそろ、24歳になってもよいかも。(長い間23歳のままだったし…。)
そのためにも、もっと書かなきゃ。

3月
03
PCの

データ整理していたら、1行のテキストデータが出てきた。
WEBのどこかで拾って、気になるから残しておいたものだと思う。
いつ、どこで、拾ったのかも記憶がないのだが。

自作で勝負できるのがアーティストで、人の曲で儲ける人は職業音楽家。後者は大衆に迎合するしかないので…

うーん。
勝負かぁ…。そこから逃げていたのかもしれんなぁ…。

2月
28
引き続き

真贋 吉本隆明 (講談社文庫)
読んだ。

やはりとても興奮した。
しっかり繋がっているのだ(影響を強く受けているのだ)ということが判った。
比較的平易な言葉が並んでいるのだけれど、そこからちらちらと見えてくるのは恐ろしく深く広い。

きちんと理解するためには何度も何度も読み返さないとダメだな、とも思った。(もちろん、これだけを読んでいてもダメで背景にあるもっと多くを知らなければ、ということも強く思ったが。)

その直後、本屋でぶらぶらしていたら「本は7回読む」みたいなタイトルが目に付いた。中身は全く読んでいないから意味がないといえばそうなのだけれど、自分の中で《同じ本を何度も読むべきだ》というセンテンスが反芻された。

 
急に思い立って 猿の惑星 1968年 を見た。続いて 続 猿の惑星 1970年 も見た。
以前に見た記憶が微かにあるにしても、内容はほとんど覚えていなかった。
しかし、そこに出てくるいくつかのキーワードが、全然別のところで最近気になっていた物と全く同じだった。
「ん? あ、これってこの前のあれと同じだ!」のように。
 

これら以外でも、何故だか思いもよらないところ同士で単語(言葉)の一致が度重なっている。単なる偶然だとは思うけれど。

アメリカのTVドラマシリーズで TOUCH というのがある。一見何の意味もなさそうな数字の羅列が実は大きく世界を動かす重要な数列になっていて、それを解き明かせる子供達を巡るストーリー展開なのだが、何だかそれを彷彿とさせるほど。

もっとアンテナの感度を敏感にしておきたいと強く思う。そこから起想される(今はまだ脈絡もない)さまざまな事柄が今の自分にはとても大切に思われるから、こぼさずに拾いたい。

2月
24
モノクロ

随分昔VHSビデオでは販売された事があるらしいが、DVDは無い。
だからレンタルDVD屋にあるはずもない。
もしかしたらVHSビデオならレンタルや中古があるかも知れない、オークション出品されるかもしれない、とこの数年来ずっと探し続けていた映画。

灰とダイヤモンド 1958年/ポーランド 監督 A・ワイダ

WOWOWで放映されることをついさっき知った。
それは、なんと2月25日19時 明日だ。
残念ながら現在我が家にはWOWOWの視聴環境はない。
今から間に合うように導入するのは難しい。
しかもその時間は仕事中だ。
録画環境もない。

あぁ、残念。

1月
10
おぉ、過激なタイトルだなぁ

昨年の暮れ、FBの連続投稿にあったのだが、バラバラなので拾ってまとめかけていたものが実は既に存在していた。

バカな若者について


昨年12月29日の忘年会のこと。若い人のよくある勘違いに出会った。
まずは“仕事をする”ことを、社会保険をもらうことと同じだと思っている。
もう一つ、「あなたの知らないこと、できないことを僕はしている」(だからあなたになんだかんだと言われたくないというもの)。
三番目に「生きるとは何ですか」と抽象的な問いに関心を持っていること。
最後の四番目に「あなたになんか私の辛さがわかってたまるか」、と先の抽象的な問いの対極の個人論にこだわっていること。
こんな26才(だったかな)の若者に出会った。

まずは一番目の問いから。
仕事とは何か?

…続き
フェイスブックにアカウントがなければ見る事できない?

過激なタイトルだなぁ…。(ま、そんなことはいつものことで、全くどうでも良い。)

で、この文章の最後に、私がずっと疑問に思っていたことの示唆があった。
芦田先生の[小難しい]論理展開の中から丁寧に排除されている(と私には思われる)「育てる」という事について、始めて何か情緒を感じたのだ。(この文脈のなかで何をもって「人材育成」なのか見誤ってはいけないぞ、と警戒中なのではあるが…。)
「人は若いうちに長い時間をかけて(すぐには使えない)知識をたくさんストックせよ!」という主張と、各所で現れる芦田氏の「人間味溢れる様々なエピソード」との間がどうしても埋まらなかった。しかしだからこそ、きっとそこに秘密があるのだろうと思っていたことが、「あ、やっぱり何かあるゾ」と見えたような気がする。

まだはっきりとは判らないが、
”(まだまだ続く)”
とあるので、早くこの先を読みたい!

追記
ここに(増補改訂版ver5.1)がアップされていた。

1月
06
新年

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

少しずつではあるけれどパワーが貯まってきているように思う。
変化を求めても息が切れないで進めていけそうな予感。

桃桜 花とりどりに咲き出でて 風長閑なる庭の面哉

大吉

厳しい冬がそろそろ終わるのか。腰を上げて先に進もう。

12月
31
大晦日

いつもと変わらない毎日だが、今日で今年も終わる。早い。
色々なことがあったり、色々なことがなかったり…。

来る年も、世界中で良い年でありますように。

11月
14
コップと水

調べ物をしていて、ふと見つけた言葉。

幼児期に大切なのは小さなコップにたくさん水を注ぐより、将来に備えコップを大きくすることです。

この文の前に
「知識教育は水、人間教育はコップとしましょう」という但し書きがあるのだが。

幼児期に限らない事もあるような…。
見た目の完成形を目指すあまり、伸び代を犠牲にしてしまうことはやはりあるような…。
とはいえ、コップは大きくなったけれど、結局水がなみなみと入ることはなかった、なんて場合も…。

様々なケースがあるだろうから一概には言えないが、10代後半まで、少なくとも「つ抜け」するまでは
「完成度  可能性」
が好きだなあ。
コップを大きくしたい。

11月
06
小さな訪問者

ヒィッ! ヒィッ! コッ コッ
ヒィッ! ヒィッ! ヒィッ! コッ コッ コッ
ヒィッ! コッ コッ

と我が家の周りに小さな訪問者が来て鳴く。
見つけると毎年「ああ、もう秋が深まってきたんだなぁ」と思う。
冬に北から渡ってくる鳥の仲間。
ジョウビタキ

あまり人を怖がらないみたい。案外至近距離まで遊びに来る。
写真を試みているがなかなか撮らしてもらえない。

名前は「火焚き(ヒタキ)」から来てるらしいよ。
コッ コッ が火打ち石に聞こえる、って事だそうだ。

10月
31
リサイクルトナー

レーザープリンター用にリサイクルトナーを利用する。
購入時に同封されてくる返送用(着払い)伝票で使用済みトナーカートリッジを送り返す。
この仕組み、なかなか気に入っていて随分以前から使っている。新品の半値以下。
最近さらに、この回収の仕組みをもう少し深く知ることがあってなんだか、身近に感じていた。

先日二つの使用済みトナーカートリッジを送ろうと伝票を確認すると、送り先が数種類あることに気が付いた。
一度にたくさん購入したりするので、その返送用伝票が余ってきていたのだ。
販売店はたくさんあるのだが、そのどれも同じ宛先(数種類)の伝票が入っている。
今回はその中の(たぶん一番)古いヤツから使ってみようと、八王子のトナー回収センター行きの伝票を使用した。
よく知っているのもあったが今回は使わなかった。

数日経ち、連絡があった。
「宛先が転居先不明です。返送して良いですか?」
古い伝票だったからなぁ、しょうがないかなぁ、と深く考えずにそうしてください、と応えた。

数日経って、帰ってきた。
そして、着払い料金払わされた。¥1088×2。

うっ!なんで?

返送しますか?の問い合わせの時に着払いのことは一切何も言ってなかったぞ。
持ってきた運送屋はひたすら、「決まりですので」の一点張り。

処分したかった使用済みトナーはまた手元に戻ってきて、しかも¥2176払わされた。
通常の荷物送付ならその成り行きは当然と思われるが、今回の場合、送り主と受け手の関係が明らかに違う。購入時に入っていた伝票で全く疑いもせず送り返した。それだけだ。
ただ少々伝票が古かったのだとは思う。

回収センターが転居してしまったのがそもそもの原因だろうが、回収の費用(着払い分)はきっとリサイクルトナーの購入価格に既に含まれていると思うから、どうにも納得がいかない。

世の中にあるトナーカートリッジ回収センターが無くなるはずはないのだが。
(少なくとも行き着いた先のその隣のエリアでは運送業者が回収代行していることを確認できた。)

同じようなことはきっと私だけではないだろう。
ユーザー目線が無いぞ、回収代行業者。
(担当者の資質ではなく企業全体の問題ではないのかなぁ。届かなかった、というだけではない、いくつかの問題を含んでいると思う。)

古い伝票使わずに、確実に届くことを知っている伝票(この行き先はすぐ近く…)を使うべきだった、と後悔しきり。