1月
19
一日、一日と

確実に過ぎていきます。何かやっても何もしなくても過ぎていきます。
そして毎日が繰り返し過ぎていくだけで昨日と何かが変わっかどうかなんてほとんど自分では判りません。やってもやってもそれが良いのか判らず不安ばかりつのります。

それでも、ある程度積み重ねていくと何か変化が見えたりすることがあります。
ほんの微かなことかも知れないけれど…。
でもね、その変化は僅かで小さいかもだけれど、とても大切な喜びになるかもしれないのです。
一生懸命やったご褒美をいただけるのかもしれないのです。

(日誌より)
〜前略
今日、すごいな。と思った事があります。1つめは、保育園児みたいにいつもうるさくて、周りから見たら不まじめな人がアタシのクラスにはたくさんいて、そうゆう、うるさい人が今日の数学を理解しようとしていて、理解できていて、本当にすごいと思いました。あきらめずにもう1問もう1問って…。私の足りない所がこの人たちはできてる!と思いました。あきらめない事、理解しようとして、理解すること…。自分は何でできていない?
悔しくてたまりません。一歩前にいる気がしました。
後略〜

何かに出くわしたときによく観察し、よく洞察し、わが身を振り返り…。
少し「アンテナ」の感度が上がったよね。
もちろん「で、どうする?」につながっていって欲しいけれど、まずは感じなければ始まらないからね。最初の一歩は出せているんじゃないのかな。

(日誌より)
〜前略
1月17日は、阪神大震災から13年目、今日は13年目かって思います。
ニュースもたくさんやっていて、家族を亡くした方たちが泣いていました。
私は、めぐまれてて、しあわせです。家族もいて、先生も、部活のみんなもいて、帰る家もあって、あったかい暖房つきの練習があるんです。応援してくれる人たちもいて、活動していくには充分な環境です。
私たちにとって当たり前のこの環境が、当たり前でない人たちもいるんだってことを忘れちゃいけないなって
思いました。
後略〜

みんないろんな事を考えているんだね。そうやって思いを巡らしてどんどん自分の心に貯めていけば良いんだよ。そのうち心の内に貯めたものがいっぱいになって表に溢れてくるようになる。魅力が自然に溢れてくる。きっとそうなる。そう信じる。

1月
18
アンテナ

最近、アンテナを張ろう、とひんぱんに言う。
自分の回りには宝物がたくさん落ちているんだよ。見過ごしたらもったいない。目をこらして探すんだ。ってな言い方をすることもある。

自分の身の回りに起こる様々なことに対して敏感になるといいな。
感受性を豊かにできるといいな。
感情が溢れるようになるといいな。

しっかり見て、しっかり聞いて、出来るだけたくさんのことを取りこぼさずに受け入れられる余裕。
意味を考える前に心で感じよう。感じられるように心を解放しよう。研ぎ澄まそう。

1月
17
天然酵母

例の胃腸風邪で寝込んでいるときに、あるパン屋さんのテレビ特集があった。
是非、選りすぐりの材料のみを使い天然酵母・炭焼き石窯で焼き上げたあのパンを食べたいという。
どうも愛知県内らしいのだが、初めを見損ねたので何処にあるか分からずじまいだった。番組の最後の方で最近出店した支店を紹介し、それは名古屋市の緑区と豊田市内にあるという。
「なんだ、そこそこ近いじゃないか。そのうちに探し当てて行ってみようか…。」と思い、「本店はどこか判らなかったから…」と言いかけたら「幸田町にあるんだよ」と。

えっ!?
幸田は、数年前からジュニアバンド(文化振興協会の企画で地元の中学生と高校生が集まるバンドだ)の指導でお世話になっている。
しかも、すぐ次の土曜日に久しぶりに練習に行くことになっている。

これは、行くっきゃないね。ということで練習終了後に「幸田の有名なパン屋知ってる?」って文振協の方に尋ねてみる。「ええ、すぐそこですよ。行けばすぐ判ります。」

それはいくつかの建物が連なって畑の中にあった。しかしどの建物でパン売っているのか判らない。パン教室やらなんやらあちこちで賑わしい。
しばらく駐車場で様子見し、人の出入りをみて当たりを付け、いざ入店。
「あ、しまった!」
もうほとんど何もない。そりゃそうだ。テレビに出るような話題のお店に夕方行っても残っている訳ないよな。かろうじて1斤だけ残っていた「店長おすすめ食パン」を買う。¥750。良いお値段してます。が、美味そう。
あとは小倉トーストサンドを買ってみた(というよりそれしか残っていなかった)。
「ポイントカードはお持ちですか?」「いいえ」「お作りしますか?」
思わず「お願いします」って言っちゃった。
また次の練習の時も来る事になるのだろうな。

いうまでもなくパンは美味かった。

1月
14
人数

明日から3年生は卒業試験。
この時期になっても定期演奏会のために一緒に活動してくれているが、さすがにテスト前はそう甘えてもいられない。
で、午後の合奏は1、2年だけ。しかも風邪やら何やらで数人抜けている。
12人。うーん、少ない。いくら何でも少ないよな。

なかなか人数が増えない要因は様々有るかと。自分のとこだけの問題ではないだろう。しかも、どれも解決は容易ではないと思われる。
難しいこと言わず、テキトーにやっていればそこそこ人数は揃うかも知れないけれど、それではどうやっても望む程度にはならない。レベルを高めようと思うとデキトーではできないから大変だ。

 とはいってもそんなに大変なことやっているつもりはないんだけどねぇ。

ますます、地道に積み上げるのは流行らなくなっているんだろうよ。

1月
14
お詣り

午前中、合奏を止めてお詣りに行くことにした。
いざ、我が豊川稲荷へ。
toyokawainariさすがにまだまだ多くの人出。
駐車場への道は渋滞。
駐車場もいっぱいいっぱい。
人はたくさん。
屋台もたくさん。
 
みんな揃ってお詣り。何をお願いしたのかな?
長い時間かけて拝んでいた人もいた。
その後少し時間を取ってのんびりした。

みんな案外知らないみたいだけれど、
豊川稲荷は「豊川閣妙厳寺」という曹洞宗のお寺です。
もちろん狐もいるけどね。
詳しくはこのあたりをどうぞ。

天気は快晴。
風は冷たく強かったけど気晴らしになったかな。

練習は相変わらず一つ一つの精度が上がらない。
全く出来ないわけではない。やれば出来るのになぜかその域まで達しない。
練習がただ作業をしているだけな感じ。
合奏をするとその指摘だけで終わってしまう。
もったいない。本当にもったいない。何がもったいないかって、時間も能力も知力も体力も何もかも。
こんな事続けていたら誰だって嫌気がさしてくると思う。
なんとしてでも回避したい。
もっと別な練習展開を祈りたい。

1月
12
忘れないように

かつて開催した演奏会のパンフレットに拙文があったのを思い出した。
気になったので引っ張り出して読み返した。
自分自身が忘れないようにするために改めてここに書いてみる。

嗚呼! 我が師はもうこの世にはいない。

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兼田敏・保科洋という二人

 大学受験の作曲レッスンのために保科先生のお世話になっていた頃、時々お宅で見かける一人の人物がいた。
 私の持って行った和声課題や習作を保科先生に添削していただいている時、楽譜を読む間沈黙が支配する。次に来るであろう質問とそれに対する言葉をあれこれじっと考えながら座っていると、隣の部屋から
「おーい、ほしなぁ!これどーなっとるんだ!」「なんだこのコンピュータ、役にたたんじゃないか。(MZ80の時代。なつかしい)。」
とぶつぶつ声が聞こえてくる。保科先生はそれに適当に返事をしたり全く相手にしなかったりしながらレッスンは進んでいくのだが、その雰囲気からこの二人はかなり親密な仲なんだろうということは良く分かった。
 「あの人はいったい誰なんだろうな?」と何となく考えることが何度か続いた後、ハッっと気が付いた。気が付いて自分で大いに緊張した。「あの人はカネビンだ。そうだ、そうに違いない。」
 中学の時から吹奏楽を始め、それをきっかけに音楽の道を進もうと決心した多感な高校生だった私にとって、吹奏楽界の神様のような「保科洋と兼田敏の二人と同じ屋根の下にいる。」という事実がにわかには信じがたく、しかし紛れもないその事実で無意味に緊張したのだった。
 大学に入学した後保科先生は兵庫教育大学に移られ、その後がまとなった兼田先生の元で作曲の勉強を続けることになった。以来ずっとこのお二人の先生のお近くに居させていただいているが、吉本漫才のような二人のやりとり、次々と出来上がってくるそれぞれの素晴らしい作品の数々、アマチュア吹奏楽へのアプローチのしかた、その内容、等々そのどれからも並々ならぬ吹奏楽への愛情を感じることが出来る。
 少子化だけでない様々な理由で最近の学校クラブ活動は難しい。しかし遙か以前から(私が吹奏楽を知るずーっと前から!)その危機を感じ、その為に出来得るほとんどの事をやってきたお二人の功績を考えたとき、我々現場がその功績をきちんと受け止めて継承し発展させていかなければならない、と感じる。
 どうにもならない不真面目な学生だった私が今日このような演奏会を開くことが出来るのもお二人の師匠のおかげだと感謝し、目の前にいる高校生に、教えていただいた事を少しでも多く伝えていくことが兼田先生、保科先生に対する恩返しなのかも知れないな、と最近ぼんやりと考えている。

1998.7.28 東邦高等学校吹奏楽部 第40回定期演奏会 愛知県芸術劇場コンサートホール
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いつまで経っても、どうやっても、越えられないです。近づくことさえ無理と思われます。
そして益々私の中で重たくなっています。この言葉。
「音楽はな、人だぞ、人。 教育もな、人だぞ、人。  …技術じゃないんだ。」
最後のメッセージと共に重くのしかかります。

1月
12
ほぼ復活か?

昨日から出勤。
休み中にいろいろな方々のフォローがあったようです。ありがたいことです。
皆様ご迷惑おかけいたしました。ありがとうございました。

さて、混乱を極めたTSW。
うなりながら布団にくるまって「でもなぜこんなに混乱するんだ??」とずっと不思議だった。
昨日、顔を見ながら長い時間話をして「こういうことなのかな?」と思い当たることがいくつかあった。

とにかく、目の前の課題を丁寧に一つずつ潰していくことだ。焦ることなくサボることなく手を抜くことなく。
一度に全部は誰だって無理だ。出来ることを少しずつで良いから確実に。

肝に銘じよう。

1月
10
昨日よりも

ひどく、一日中寝ていた。
吐き気と胃痛と発熱と体中(特に背中)に走る痛み(下痢は止まった。何も食べてないからね。)を耐えながら布団にくるまっていた、というのが正確かな。
今やっと起き上がったところ。

正月早々、TSWをいじめるので天罰が下ったのかも知れない。
逆に、TSWは二日間も時間をもらったことになるね。

この調子だと明日はなんとか大丈夫。復帰できるでしょう。
明日、何がどれだけ進んでいるか楽しみだ。

1月
09
休養

一晩寝ても復活しなかったのでお休みにした。
熱は下がったが下痢と嘔吐は薬で抑えられている感じ。
少し空腹を感じたので食べてみた。そこそこ食べられそうだったので調子に乗って食べ過ぎたかも知れない。また胃が痛い。一日寝ている。

そのかわり、午前中にとても良いものを見た。宝物を拾った。
終末期ガン患者緩和ケア病棟の話。余命何ヶ月と宣言された人たちがそれでも、自分らしく最後まで生きるために歩行訓練などのリハビリを受ける、という特集番組。
あと余命半年といわれた人がリハビリを受け、肺に水も溜まらなくなり半年後には自分で歩いて退院する。寝たきりだった人が、トイレだけは自分でしたい、と自分のベッドにいるときもグーパーグーパーを繰り返し握力を復活させ、次第に平行棒を使って歩けるようになる。そこから生きる喜びにあふれる笑顔が生まれる。

回りのケアも大切だが、本人の強い気持ち無しでは到底なしえない。生きる望みすら失いかけた人たちがそれでも自分らしく生きたいという強う欲求を奮い起こし、その決意と努力が自分の体の自然治癒能力を高めるらしい。
リハビリを受けることでガンが完治するのではなく、余命を少しでものばし自分らしく病院のベッドではなく家族に囲まれて寿命を全うしたい、その望みが奇跡を生む。
人の力って素晴らしい、意志の力って計り知れない、と感動した。

若くて元気なはずのどこかの部活動の高校生メンバーが、何も出来ずにいるのとは大違いだなぁ。何処が違うのかなぁ?

1月
08
不覚にも

胃腸風邪らしい。昨日今日と下痢と吐き気で大変だ。情けなし。
病院に行った。持病の薬と相まって凄い量の薬になってしまった。
今日は充分休もう。

TSWも調子悪し。
年明け早々何やってんだか。
偉そうなこという割には、言い訳並べて結局やろうとしない。
やってみたけど、やっぱり出来ないから、すぐあきらめる。の連続。
やらなきゃいけないとは思うけれど、何をしたらいいか見当がつかない、だからやれない、そして腐っていく。

どこかでその悪循環を破るしかないのにね。しかも破るのは他の誰でもない自分なのにね。
ヒントはそこここにいっぱい転がっているよ。
見て見ぬふりをするのは損だよ。