3月
15
茶番

いったいどうなっているんだろ?

何年も前から会議検討を重ねてきて、最終的にあの結果はあまりにもお粗末じゃないのか?
責任の所在が明らかでなく、何か問題が起こるとあたかもその直接の担当者のミスのように扱われる風習。
今まで何の説明もされていないのに、いきなり「聞いていませんか?」「知らなかったですか?」と非難される。
主体者に決定権があるように見せかけて、実は(めんどくさいから?)全てあらかじめこちらにとって都合の良い予定がされている事だらけ。

主体たる顔が全く見えてこない。「何のために?」本質と感じるところが全く違うのだろうか。
この先どう育って欲しいのか、将来どうなって欲しいのか、先を見通した具体的な計画は私には見えてこない。ビジョンや夢すらも見えてこない。

見えるのはただ保身に走る醜い姿だけだ。
最大の被害者はだれだろう?

良くなるのはきわめて難しいのかも知れない。

 #もちろん自分はどうだ?の自問を忘れてはいけない。

3月
15
信じる その4

朝から晩まで練習。
気が遠くなるなぁ。

でも少しずつ変化は見られる。ごく僅かずつだけれどね。音楽上の変化も少しずつすこしずつ。
もちろん、さらえていない箇所はどうにもならない。そんな穴の開いたところはいち早く無くさなければならないが。

合奏レッスンしていると、私の持っている全てを伝えたくなる。はた迷惑だろうと何だろうととにかく伝えたくなる。私の思いの全てを判って欲しいと思う。私から溢れ出る全てのパワーを受け取って欲しいと思う。

なぜだろう。それが意味のある事かどうか判らない。
でも、なんとしてもそうしたい衝動は日増しに強くなる。

無条件にあなた達を信じ、そのあなた達に私のもてる全てを伝えたい。
それが今の私の全てだ。