5月
25
一問一答

パソコン通信時代(15年以上前だ!)からメールは活用している。
今も私の一番確実な連絡手段はメールである。

しかし、最近は勤務先の仕事場がインターネット繋がっていないのでパソコンでのメールやりとりがしにくい状況にある。何とかネットに繋ぎたいと、近くの職員室から漏れてくる無線LAN電波を拾うこととか、FOMA利用などモバイル接続などを研究しているのだが、なかなか上手い方法がない。

だから、最近は携帯電話メールが増えてきた。随分頻繁に送受信を繰り返し、連絡手段として便利に使ってはいるがどうしても困ることが二つある。
一つはあの端末での日本語入力は正直辛い。パソコンキーボードに慣れた手は、どうしても親指一つに任せるのが不安だ。両手だったら早いのかも知れない。さらに、電話の数字の並びは、電卓やテンキーと違う。テンキー入力に慣れた指は、すぐ数字を間違える。
もう一つ、使い勝手で重要なことが携帯端末では実現しない。すなわち送信メールとそれに対する返信メールがスレッド表示できないこと。いや、スレッド表示など出来なくてもよい。それぞれつながっている送受信のメール内容を一つの同じフォルダに収容できさえすればいいのに。そうすれば、一連のメールやりとりで話の流れが掴めていくのに。

携帯メールでのやりとりは大概一問一答だ。

だから一つの本文に質問をたくさん書くと受け取った人は返信するのに困る。文字数で通信料も変わるからパソコンメールのように全文引用はほとんどされない。部分引用ですらする人は少ない。

せいぜい何往復かすることもあるが、その時の本文は文字数が極端に少ない。

定型引用で「了解!」「ありがとう」で済ませば会話はそれで終了だよ。

しかも、同じフォルダに収容できないから、あとから流れを確認するのはとても難しい。

送ったメールに対してどんな返事が来て、それになんて応えたか、と確認しようと思うと 受信フォルダと送信フォルダを行ったり来たりしなければならない。

さらに、端末の仕様にもよるが、基本的には最新何百通の保存だけで、古いものはどんどん削除されていく。

・極端に文字数の少ない一問一答。
・その事についての論議は難しい。ほとんどYes or Noで終わる。
・古いものは消去されていく。

で、気が付いた。
これが日常の会話でも再現される。
本当に一問一答だ。過去の質問と今の問題がリンクして、さらに全然別件が参考になる、ような思考回路が消滅しているように思える。
解答も Yes or No だ。シンプルと言えばそう。しかしそこから何も派生しない。会話はそこで止まる。
しょうがないから新しい一問一答だ。
脈絡もなく新しい一問一答をしているうちに古い情報はどんどんメモリーから消えていく。

そこで得た感情は何やら残るみたいで、「良く解らないけれどもやもやする」という言葉をよく聞く。本当は覚えているはずなのに思い出せないような感覚なのだろうと勝手に推測しているが。
どこかでバックアップを取れば良いのかも。
定着が悪いのもここに原因があるのかね。

いずれにせよ、よく考えないと対応や反応を誤る。最近のコミュニケーションは難しいのだ。