私が通っていた高校は新設2年目のまだ校舎も体育館も完成していないようなとんでもなく中途半端な学校だった。
当然部活動だってまともに活動できず、吹奏楽部も楽器が全然揃っていなくて苦労した。
2年の時にやっと3学年揃い人数も何とか合奏できるくらいに増えたのでコンクールに出たいと言うことになった。
そのときの顧問の先生は全然吹奏楽のことは判らず、コンクールのとき(夏休み中)は神戸に帰省するから、とかで全然頼りにならない。それでも教員か?と怒りまくったね。
しょうがないからに直談判をしに校長室へしょっちゅう行ったものだ。
「楽器を買ってくれ」
「買ってくれないなら他の団体から借りるから許可をくれ」
「練習場が狭いから何とかしてくれ」
「夏期休暇中の校舎の鍵開けを任せてくれ」
「他の学校の生徒と練習交流をしたいから学校に呼んで良いか」
「顧問を変えてくれ」
などなど。
いきなり生意気な生徒が校長室をノックして入ってくるんだからびっくりしただろう。
しかし、だいたいにおいて校長は取り合ってくれず(会ってもくれず)、教頭に「本校の学校方針によりそれは認めることは出来ません」と言われておしまいだった。
悔しかった。学校方針という代物は一度も目にしたことがないから、文書化したものを見せてくれ、としつこく迫ったこともあった。
ガッコのセンセは嘘つきだ、という認識になったのはこのあたりが原因だろうな。
教員にとっては一番いやな生徒だったろう、と今になって思う。
しかし、突然練習中に校長がわざわざ合奏を見学に来たことがあった。あなたは一生懸命やっていると聞いたので是非練習を見させてくれ、と。一時間くらい黙って座って見ていた。「ありがとう。良いものを見させてもらった。」と帰って行ったっけ。
合奏練習の雰囲気は、その当時と今とそんなに変わりはないから、先輩を相手にしてなんと生意気な厳しい練習をしていたんだろうと思い出しながら苦笑する。
この頃、後輩に「死神のように怖かった」と評された事もある。それも中学校時代の私のことを、だ!
温度差のある部員に対して(それが先輩であろうとも)「もっと練習してください!」と平気で言っていたし、そんなのだったら一緒に音楽したくないです、と何時間もミーティングを重ねた結果お辞め頂いたこともある。(それがみんなの総意だったから一人で何人もの先輩に立ち向かい嫌われ役を買って出ていたわけだ。)
コンクール初挑戦の演奏は特にすばらしいものではなかったけれど、みんな精一杯がんばった。配置をTb下手、Tp上手にしたりといろいろ反骨丸出しで、それでも心ある部員はみんなついてきてくれたし、本当に楽しかった。
その当時のメンバーは今どうしているのだろう?と気になる時がある。
今も音楽に浸って生きている、という便りを聞くことがあるから、みんな充実した音楽生活をしているんだろうな、とは思うが。
時代が変われば人も変わるというけれど、本当にその当時から考えると今の高校生はだいぶ様相が違うように見える。でも、根本的なことはそんなに簡単に変わらないはずだから、きっかけ一つでもっともっと輝ける青春時代を謳歌できると思うのだが。
是非やってみて欲しいなぁ。