10月
27

時には必要な嘘もある。
時にはやむにまみれぬ嘘もある。
だから、全ての嘘が悪ではない、と思う。

しかし、麻痺すると怖い。
嘘が嘘を呼ぶ。嘘の罠から逃れられなくなる。
ドラッグと似てる。堕落。

一線を越える前に気が付き引き返せると良いが。
自分には嘘をつきにくいから、一番よく知っているのは自分自身だろう。取り返せるのは自分しかいない。誰も手伝えない。

10月
27
混雑ピーク時の

ファミレスで食事した。

自分の席からちらほら見え隠れするテーブルに若い夫婦と子供1人が座った。子供は2、3歳くらいだろうか、向かい合って座った夫婦の横手に子供用のイスを用意してもらった。つまり、子供を挟んでコの字に座っているということだ。 子供の反対側は相席で他のお客が食事をしている。

その幼い者は、しばらくおとなしく座っていたようだが料理が運ばれてくる頃になるとイスの上に立ちだした。さらに背もたれに座ったり立ったりを繰り返すようになった。
「ま、子供だからごそごそするのはしょうがないかも知れないな」と思いながら、「もし転んでイスから落ちたらどうするんだろう」と思いながら、「子供がケガしたらまずいじゃん、危ないじゃん、と思わないのかな」と思いながら、「その時はこけるようなイスを提供した店が悪いとか言い出すのかな」と思いながら、想像した一つ一つに冷や冷やしながら見るともなしに見ていた。
で、あることに気が付いた。この両親はその子供の行動について一切何も注意しないのだ。子供は存在しない、自分の邪魔をされたくない、と決め込んでいるかのごとく無関心。いや、ちょっと待て。母親は違うぞ。そんな子供に「あーん」してご飯を食べさせている。しかし、立ったり座ったり行儀の悪いことには一切触れないみたい。
そのうち、その幼い者イスから脱却し、テーブルの上に正座しだした。レストランという公の場の、しかも食べ物がが並んでいるテーブルだ。すぐ隣には別のお客だっているのに。
それでも、母親は何の注意もせずに「あーん」させて食べさせている。相変わらず父親は我関せず自分の食事に没頭している。

この両親は、10年後このその幼い者が成長したとき、様々な難問を抱えて大変な目に遭うんだろうな、その時じゃもう既に時遅しだよな、するべき時にするべき事をするってことは本当に大切だよな、などと話していた。
そしたら、おもむろに今まで全く無関心と思われた父親がその幼い者を抱き上げた。「えっ?子供が嫌いなんじゃないんだ!」「親としての自覚は一応あるんだ」とほっとしようとした。が、すぐにそれは違うと直感した。

とにかくそのときに自分のやりたいことをやっているだけなんじゃないか。その父親は、一番やりたいこと、すなわち「自分の食事」が「終わった」のだ。だから次に自分がやりたいこと、すなわち「子供をあやす事」を「始めた」のだ。
いや、それとも、ようやく食事が終わって手が空いたから仕方なく幼い者の世話をする気になったのかも。

無邪気にはしゃぐ幼い者の罪のない顔と一見幸せそうに見える2人の大人を見比べながら、こりゃ大変だぁ、このつけは誰が払うんだぁ、と苦しくなる食事だった。