11月
19
昨日から今日

今日から明日。
僅かずつでも動いている。
一日一日は同じではない。
かけがえのないその日々が、さらにその先の大切な一日一日に繋がっていきたい。

1つ1つの「音」を大切にし、それがお互いに尊重しながら積み重なり、次々と連なっていく。「音」が「音楽」になり得る重要な鍵だ。
はじめは1つ1つの音の大切さを良く判っていないこともあろう。音楽の流れなど気にもとめないかもしれない。
しかし次第に、まずはそれぞれの「音」(個)がなければ「音楽」(全体)の流れをつくることなど不可能なことに気がつき、さらに大きな「音楽」(全体)のうねりの中でこそ1つ1つの「音」(個)が生きる事を感じられるようになる。
音楽の、アンサンブルの、一番の醍醐味だと思う。

人との繋がり。

そしてそれが一瞬ではなく、時間とともに流れてゆく。
緊張と緩和。
ストレスと解放。
ドミナントとトニック。

音楽の幸せ。
 

日誌より

〜前略

今日は久しぶりの合奏でした。
昨日もしたけど、そのときは11人。
やっぱり人数が多いっていいなと思いました。
人数ってよりもみんながいるって良いなって思いました。
みんながいるとすごい安心する。
存在がとかじゃなくて、音にすごい安心する。
まぁ、存在してないと音は出せないから、存在になのかもしれない。
でもただいるだけじゃ意味がないから、やっぱり音だ。
みんなの音があるから自分も安心して音が出せる。
ただ人数がいれば良いってことじゃなくて、このメンバーだから安心できるんだと思う。
だから1人でもいないと不安だし、だからこそ1人1人がすごい大切な存在。いないと困る。
TSWの中に必要のない人なんていないと思う。
TSWって良いなって思いました。

TSWの中に必要のない人なんていない。
全くその通りだと思う。

11月
16
たまたま

ネットをさまよっていたら、知っている人のブログに行き着いた。
もしかしたら20年近く前の記憶しか無いかも知れない。

しかし当時の彼女のことは鮮明に覚えている。3年間一緒にバンドをやった。
コンクール東海大会の帰り際のこと。動き出したバスの窓から身を乗り出し隣のバスに向かって泣きじゃくりながら「私たちの方がちゃんと音楽してたからね!」と叫んでいた。隣のバスは一つ前の記事の学校で、彼女の親友がそこに居たのだろう。もちろんその学校は全国大会まで駒を進めていた。良いライバルがいて、青春して、幸せな奴だなぁ、と密かにもらい泣きしたのを覚えている。私だって渾身のヒンデミットを演奏した後の結果で悔しかったのだ。

懐かしくていくつかの記事を読んだ。
他愛もない記事をいくつか読んだ後にハッとした。

つい何週間か前に自ら命を絶とうとしたらしい。
その事について記述があるのだからあちらには召されずに無事御存命なのだと思う。
良かったと思った。心の底から。

私は学生時代から友人知人でそういうことは多く、実際に天に召された方をたくさん知っている。
まじめに自分の奥底を覗こうとするからか、もろく壊れやすい繊細な心の持ち主なのか、なんだか良く解らないけれど。

でも、生きててなんぼだよ。
おまえはまだ早すぎる、って言われたんだね。
ここに書いても届かないかも知れないけれど、でも、書くよ。

「いつも心に音楽を!」

11月
16
研修2

研修二日目はA-M高校の吹奏楽の実践発表および練習見学だった。

何よりびっくりしたのは年間の予算のこと。
ここは大きなホールでしかも2部制で定期演奏会をやるからその利益が多い。それ以外でも年間何十本の依頼演奏本番(ま、営業ですねぇ)があり、顧問の先生の言葉によれば「儲かってしょうがない」ということ。
で、生徒からの部費徴収は無いらしい。あの活動内容からすると信じられないけれど、そういえば昔からそうだったような気がする。

もちろん学校からの予算も桁違い(普通の吹奏楽部からするとたぶん二桁違い!)で有るそうだ。遠征なども全て学校持ち。すごいな。逆に楽器の個人持ち率は90%を越えている(打楽器以外は全て、くらいの数字じゃないか?)というから、各個人のお金のかけどころが違うだけなのかもしれないけれど。
前日の合唱部事例では、どうしても音楽はお金がかかるから生徒からもだいぶ徴収しています、だったので、伝統と実績のある所とは随分差があるなぁ、という印象だ。

その割には合奏する部屋は昔と何ら変わらなくてとても懐かしかった。音の乱反射防止にパンチカーペット引き詰めてあったり。
150人が音を出すので学校内だけでなく近隣(普通に街中)に向けても騒音対策は必須だと思うけれど、そのあたりはどうしているのだろう?
ほぼ建物一棟が練習場のようではあったが。

練習は、生徒による基礎合奏と、アルメニアンなど何曲か通しで聴かさせていただいた。やはり個々の楽器技量はさすがだな。上手い。このあたりまで目指さなきゃダメだと再認識。
音楽的力量は開発中な感じかな。自発的、積極的な表現と、それをアンサンブルでどう処理するかなどは、どこのバンドに行っても共通の課題のようだ。特に最近は。
午前中の研修で話題になった「日本はこれだけ吹奏楽が盛んでスクールバンドは世界的にもトップレベルにあるのに、なぜか世界に通用するプロの管楽器奏者が生まれない」の答えがそこにあるような気がした。
技術力と表現力がとてもアンバランスだと思った。
残念ながらTSWは全然その域まで達していないので、まだまだひたすら技術を磨かねばなりませぬが…。

いずれにせよ、じわじわじわじわと「おぉ!バンドやりてぇ!」と心から思った二日間の研修だった。
行って良かった。ホントに。

11月
12
研修1

今日は創部3年目にして全国大会出場を果たした名古屋市にある私学の高校合唱部についての実践報告とその学校の練習見学に行ってきた。

顧問は情熱の塊だった。

指導については、「をぉ!すげぇー」と思ったけれどすぐに私も負けてはいないと思い直した。さらに年の差を考えると永遠の23歳はそこそこの良い線だと思う。

怒鳴り散らし、罵倒し、睨み、威嚇する。説明は早口で聞き取れないことも多い。同じ事の繰り返し。
それに必死で食らいついていく生徒。本気で体を動かし声を出す。目一杯の反応をし、変化しようと惜しげもない。情熱の塊の指導者とそれに目一杯応えようとする生徒たち。
ここまで持ってくるのにさぞかし労しただろうよ。でもここまできたらそりゃ全国大会行けるようになるよなぁ、と感じた。

しかも意図的なのか結果的にそうなのかは解らないけれど、政治的にも成功しているとお見受けした。
さらに彼はそのアピールが本当に上手いな。その手法も努力も。

たとえば、今日の研修資料はB4横で70ページにもわたるものだった。初めから全て読むことを考えていない。(他にも紀要のような論文のような資料が2冊あった。研修では全く使わない。)そのボリュームだけで圧倒してくる。この資料を作る労力を考えただけでゾッとする。エコロジーなんてとんでもない。紙の量がすごいのだから。そして研修が始まる前から到底出来そうもないことをやる奴だ、という印象を与えることに成功しているワケだ。

私は自分で言うのもなんだがそういうことは下手だ。見習わなければ。

明日の研修は違う学校のバンドだ。楽しみ。

11月
10
私学連合音楽会

三河地区私学高校、しかも音楽関係者の集まりだから、どうしても評価が厳しい場合が多い。音楽に対しても、言動に対しても。

しかしそんな中でも我がTSWに対して手厳しいものは無かったよう。ほっと胸をなで下ろす心持ちだ。

あの人数で良くあんな音が出るねぇ!
みんなの気迫が良く伝わってきたよ。
楽しませてもらったよ!

久しぶりにお会いする方々も多く、本番の評価だけでなく、本番終わった後の様子など演奏以外での行動や、別の本番やマーチング大会のことなど様々な場面の感想などもいただいた。

随分てきぱき動けるようになってきたねぇ!
生徒に少し話しかけてみたけど、きちんとしてるね、態度も話し方も。
マーチング大会良かったよ!もう少し人数欲しいねぇ。
ほとんど何もないところから初めて今一番大切な時だ。きっと良いバンドになるよ!

何か少し吹っ切れてきたかな。
少しずつ道筋が見えてきたかな。
そんな感じがした本番だった。

もちろん決して油断してはいけない。
これからがさらに大切なのだから。

11月
08
アルピニストの言葉

アルピニスト野口健公式ホームページにある
野口健の『環境問題って何?』
から抜萃
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 99年に25歳で七大陸最高峰の登頂に成功した登山家は、今このように、環境問題に取り組んでいる。このモチベーションは何処からくるのだろうか? 僕が、彼に聞くとこんな答えが返ってきた。
「人間が生き延びるためだよ」
そう、野口の環境保護は、あくまで人間社会のためなのだ。
「環境問題は、美しい緑を守りたいとか、動物がかわいそうとか、そういった感情的な視点で捉えられることが多い。でも、極端な話、環境を完璧に守りたいのなら人類が滅びればいい。本当は人間が生き延びるための、環境保全なんだ。昔と変わらぬ機能的な生態系サービスがなければ、人類は生き残っていけない」
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次のは野口健氏が少し前にテレビで言ってたの聞いたやつ。
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「無理しないで」と「頑張って」は自分にとって意味がない。
無理しなければエベレストなんか登れるわけないし、いつも頑張っているからこれ以上頑張りようがない。
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決して妙な感情論ではない。
頂点を目指す人はそれを当たり前に思っている。
見習わなければ。

11月
08
せろり

毎日帰宅し玄関の鍵を開けて中に入ると必ずそこで出迎えてくれる。
予想に反する時間だと、少し離れた場所で様子をうかがっていることもあるけれど。
「今まで寝ていたな」と言うような寝ぼけた顔の時もあるけれど。

じっと目をそらさず、しっぽを最大限の速さで振り回し、頭を撫でてくれと迫ってくる。ふんふん鼻で鳴いている。
飛びつくと怒られるので飛びつきたい気持を一生懸命押さえて、「スワレ」と言われるから一応座っているけれど、でも高まる感情を抑えきれずに「この気持どうしたらいいかわかりませーん」と地団駄踏んでいる。

もうすぐ11歳のゴールデン、雌。顔の毛の色もだいぶ白くなってきた。
ほとんど人間の言葉がわかっているのではないかと思うくらい、いつも人の話を聞いている。
気になる単語やフレーズが出てくると、遠くで寝ていてもわざわざ確認のため足下まで来る。
こちらから働きかける言葉もほぼ理解できているようで、「ゴメンなぁ、お留守番しとってな」と言うと、それまで「お出かけだぁ!!」と思い切りはしゃいでいても、「あっ、そう…」とすぐにふて寝を始める。

生後1ヶ月で我が家に来た。親と離れるのが少し早めだったので、犬としての社会化がきちんと出来ず、もともと気の強い性格とあいまって躾に苦労した。「飼い主は群れのリーダーになろう」というアルファ理論全盛の頃だったがそんなことではうまく行かなかった。ありとあらゆる本を読んだ。訓練士にも相談した。そこで出会ったのがこれ。私にとっては犬の事だけでない沢山の事を教わった。今でも読み返す。重要なのはコミュニケーション。心には心で返す。(犬語は解らないからね!)

…今では当初苦労したことが嘘のように穏やかだ。
今日も出迎えてくれた。私は首を抱き頭を撫でほおずりをする。するとせろりは私の顔をなめ仰向けにひっくり返り至福のダンスを始める。しかも鼻で歌いながら。覆い被さってさらにほおずりをすると、おとなしくなって目を閉じてしまう。

この関係はたぶん恋人どうしのようなものではないと思う。
もちろんアルファの確認すなわち服従の儀式でもない。

だいぶ老犬だが、この関係はせろりが先に逝くまでずっと続くだろう。いや続いて欲しい。
 

少し前、「カッパのくーと夏休み(だったかな?)」というアニメ映画を見た。そこに出てくる「おっさん」という犬を見ていろいろ考えちゃったんだな。
そう、せろりとの関係、しあわせだよ。

11月
05
戻る

人が戻った。

少しずつ見失っていたものが戻ってくるか?
手で掴めるものも、そうでないものも。

このまま見失ったままになってしまうか?
見えないものだからこそ、見ようとしなければ。

それぞれのものが、あるべき時あるべき所にあること。
そんな普通の事がなんと大切なことか。

 
少しずつ見失っていたものが戻ってくるか?

11月
02
昨日今日

久しぶりに合奏している。
いろんな都合で出来ない日が続いたが、休日になってようやく落ち着いた合奏になった。
ほんの少しだけだど、出てくる音に何かしら変化があるように感じた。そのほんの少しの違いが大きな差になるんだ。

みんな様々な壁にぶつかって苦悩し、乗り越えを試み、失敗し、傷つき、落ち込み、しかし、再度立ち上がって立ち向かう。
今、失意のどん底の人も、一筋の光が見えてきた人も皆TSWだ。皆でTSWだ。

音楽をやろう。音楽をやりたい。
そのために私の持っているもの全て伝えたい。たいしたものではないがそれでも伝えたい。音楽の幸せを伝えたい。

なんだかんだとトラブルやアクシデント続出だが、この3年で随分登ってきたと思う。しかしそのために今まで色々な意味で少しずつ無理をしてきた。大きな行事や本番が少ないこのあたりで少し一息つこうか。そして今までやってきたことの整理とこれからの準備。気力も体力もフル充電しよう。

日誌から

〜前略

合奏は音楽的なことをしていただきました。
やっぱり、楽しいよなって思いました。今日はなぜか分からないけれど、いつもより、皆の音が聞けたと思います。聞かなきゃっ!っていうより皆の音が聞きたいって思いました。皆とやれることを大切にしたいって思いました。だから聞けたし、合うと嬉しいし、違うと「ん?」って思うし、何か違う気がするけど、そう吹くなら、合わせよう、合わせたいって思いながら吹いたりとか、この瞬間ってこんなに大事なものだったんだって思いました。それでも人足りないよなって寂しくなりました。

人がいて自分がいる。自分がいるから人がいる。
うちを生むことができるのは、うちの親しかいないんです。そう思うと家族ってすごいよなって思います。
その人がいい、じゃなくてその人じゃなきゃだめなんです。
TSWの皆もそうです。皆一人一人じゃなきゃだめなんです。
かけがえのない一人一人なんです。この人なんです。あなたなんです。
だからこそ、一人一人が責任をもって自分の譜面を正確に吹かないと大変なことになっちゃうんです。
皆が、それぞれ自分のすべきことやって1つのものをつくるんです。
皆が同じ事をやるんじゃなくて、メロディーがいてハーモニーがいて、リズムがいてベースがいて、皆別々のことやっていてfの人もいればpが吹く人もいて、だから別々の道を歩いているんじゃなくて、皆それぞれの役割をしながら、一緒に同じ方向歩いているんです。
同じことやればいいだけじゃないです。

〜中略〜

皆違っていい。だけど関係し合わなかったらただの違うものでしかないと思います。

11月
01
右耳

何か奥の方で、ゴボゴボ音がする。
痙攣するように急に始まり、しばらく続く。
だんだん消えて無くなっていくが、調子の悪いときはそれが何度も続く。
外の音が聞こえなくなる程ではないが。

今までの右後頭部から肩下にかけて鉄棒をつっこまれたみたいな痛みが進行し、それが痙攣して耳の機関にでも干渉しているのだろうか。

そういえば喉の痰が絡むのも最近ひどくなってきた。声が出ないぐらいのこともある。

だいぶ体がくたばってきた。

だからって止まってしまうわけじゃない。
なんたって永遠の23歳だからね。