12月
12
様々な

思惑の流れを感じる。
そりゃそうだ。
そんなことは先刻ご承知よ。
お手並み拝見!

私は私の信じる道を行くだけ。
それがより多くの幸せを目指す事につながるはずだから。
信じることはさらなる信じることにつながるはずだから。
大切な人たちのために。

12月
11
耕す

小学生の時だったかに読んだ記憶。

ツンドラ地帯の凍った土を苦心して鍬で掘り、食べるために植物の種を蒔き、しかし、ほとんど永久凍土だから少しも芽を出さない。さて、どうやって生きていこう?

何の話だったか、結末はどうだったか、他のことはほとんど何も覚えていないのだけれど、このエピソードだけは鮮明に覚えている。
「そんな無駄な事してどうするの?
いやいや、これを無駄と言ったらバチが当たる。ほとんど可能性の無いようなことにでも望みをかけてやるしかないんだ。
やっても無駄かもしれないけれど、それをしなけりゃもっと生きていけないもの。」
と思った(−そういう話の筋だったのかもしれない)事は忘れてない。
 

内部的にも、その周りも、もう少し大きな枠組みでも、ここでは相当な覚悟が要る。
だいたい移民し入植する時、バラ色の将来が約束されているような錯覚がつきもののようだけれど、しかし現実は想像からほど遠い場合がほとんど。その先は苦渋に満ちた困難の連続だ。
その昔からの凍った荒野が続いている。(あるいはかつては栄えた遺跡を発掘できるかもしれないが。)
凍土を融かし、木を切り、石をどかし、平らにし、耕し、…から始めなければならない。
ちゃんとした種蒔きが出来るところまでいったら感動ものだぞ、きっと。
一番の敵は凍った土ではない。凍った土に「融かす必要」を感じない理解しない人、もしくは風土である。あるいは制度かもしれない。

その敵に対して1人では決して太刀打ちできない。荷が重すぎる。だから精鋭な仲間が要る。

そして石の上にも3年。
ようやく、少しずつ周りに融ける気配が見えてきたかな。
「融かさなければ!」「これじゃダメだ!」と気がついたかな。
中学校とか小学校とか地域とか関連業者とか。
「融かさなきゃ」な気持ちが萎えないうちに動かし始めないと、またここら一体の地面が凍り付いてしまう。
で、誰がやる?
膨大なエネルギーが必要だよ。
みんな自分の畑が手一杯で、誰も全体見てないよ。

桃栗3年 柿8年 柚子の馬鹿たれ18年。

調べてみたら、柚の馬鹿たれは13年だったり15年だったり18年だったり20年だったり。

18年待てますか?
18年融かし続けられますか?
ま、それくらいのスパンで文化が育つのだったらとっても簡単なんだけど…。

12月
07
さらに)昔の

日誌。

2008年3月20日に開催された第3回定期演奏会直前。
前後の日付を見ると、どうも3月19日っぽいのだが、もしかしたら定期演奏会が終わってからかも知れない。

卒業するにあたって、引退するに部員に向けての内容なので、ここに書き出すには少し時期がずれているし、対象が限られているもののような気もするけれど。
ま、シリーズで書いてきた続きなので敢えてここに書いてみる。

日誌より。

(2008年3月19日 …と思われる)

〜前略

2年目はあっという間だった。
もっと色々なことを伝えたかったな。

練習がどんどんキツくなっていって申し訳なかったね。

〜中略〜

その瞬間に感じた事をほとんど動物的に言葉や行動にする。何かを感じてから言葉を発するのに1/10秒はかかっていないと思う。ほめる時も怒る時も。だからあれは私の生です。しぼりたて。
人によっては拒絶したい場合もあるだろうし。でもしょうがない。あれが私という人間の生なのだから。
人と人がぶつかる事を要求するのに、自分がぶつからなかったら何の見本にもならないから。だから醜いけれどあの合奏モードを多くしました。
悪かったな、と思いますよ。

で、2年いっしょにやりました。

私は本当に幸せです。怒る事も何もかもTSWで活動している事は全て幸せです。
あなたたちと一緒に音楽できたから。
最初に書いたような状況の中でTSWをはじめて、自分の生き方を考える場面があなたたちといっしょだった事は、私にとってほんとうに幸せだったのですよ。

〜中略〜

私は、このTSWの活動について人生を賭けているのです。
もしかしたら解雇されてしまうかも知れない危険を冒してもみんなに伝えたい事あるし、やりたい事がある。
もしかしたら学校の風習に合わない事やろうとしているかも知れないし、大きな無理をして、この先活動ができないようになるかも知れないし。

それでもあなたたちと活動したいと思う。それはたぶんこの先も同じ。
大きなリスク背負って、でもみんなに何か伝えたい。
結局それが私の生き方なんだろうーなと思っています。

もう一度みんなに気付かせてもらった。

私は私の道を自信を持って歩き続けます。
まよう事もあるだろうけれど、その時は、またみんなに甘えます。

〜中略〜

では。

これからが出発です。

何を言っているのか良く解らないところがたくさんあるかもね。
…”人生を賭けているのです” なんて大げさだなぁ…。こっぱずかしい!
この後、あまりこの言い方はしていない。”生活を賭けて” な感じが多いかな。

TSWで苦楽を共にし初めて世に送り出す人たちに向けた、出逢った時からを振り返った走り書きで、しかも9ページに渡る物の一部なので余りまともではありませぬ。でも、自分の覚悟の再確認はできるような…。

さて、3日後に試験明けて練習は再開。
第4回定期演奏会に向けてTSWは本格的に動き出す。

さらに何かを伝えたい。

この瞬間は今しかない。

12月
07
蕎麦屋

2週続けての土日お休み。
昼前に町内の農産物直販所に行った。
出来てすぐの時は、まだまだめぼしい物が無かったのだけれど。
久しぶりに今日行ったら随分にぎわってきていて、並んでいる物も充実していた。

そこそこの野菜やらタマゴやら手に入れてから「お昼ご飯どうしよう?」とそこを出た。
車で走り始めてすぐ、「あれ、こんな所に蕎麦屋が出来てる!」と気が付いた。
学生の頃からあった(うどん屋の)建物だけれど、改装して「十割蕎麦」と看板が出ているぞ。

即Uターンして入る。店の名前は「玄寿」だったか。
入ってすぐ左手に石臼と作業台が見える。
ある程度のクオリティは期待できそうだ。

メニューは基本的にもりそばとかけそば。それに蕎麦風ぞうにとご飯。何故かシフォンケーキセットなんてのもある。そのあたりの組み合わせバリエーションだけだ。
お値段はそこそこ。少なくともビジネスマンのランチの値段ではない。
AM11時開店でPM4時までらしいが、無くなったらおしまい。
少し気取った贅沢な蕎麦屋だ。

普通にもりそば定食(もりそば・蕎麦団子の雑煮・蕎麦の炊き込みご飯)を頼んだ。
「お蕎麦は黒いのと白いのと選べますが?」
「挽きぐるみと更級ってことですか?」
「はい。黒いのは挽きぐるみで田舎蕎麦ですね。白いのは更級ではありませんが…。」
もちろん「黒い田舎蕎麦で」

一口め。蕎麦のはかない香りがふわっと広がる。十割だけどきちんとコシがあり(むしろ硬い)うまい。

[後から付け足し]
かたさは越前蕎麦のような。ただしあんなに太くごつくはない。
むしろ十割にしては細身の麺じゃないのかな。
そういえばメニューに「おろし蕎麦」があった。次に行ったときは試そう。
越前蕎麦のように大根おろしと生醤油、だったら良いなぁ。

そばつゆは好みな感じ。甘くなく濃い。
雑煮も、ご飯も、丁寧な感じがとても良い。
ランクはわりと高めだな。
これだったらいつでも食べに来たい。が、普通に仕事してるときは無理だ。時間が全然合わない。

とはいっても自宅のすぐ近くでこんな蕎麦屋があることは嬉しい。
長続きすると良いのだが。

12月
05
期末試験中

なので、今TSWの練習はしていない。
しかし、音楽室や合奏室、準備室は開放してるから、そこで勉強したり気分転換に楽器吹いたりしている。
また、準備室では、学習したり、打ち合わせしたりのBGMで様々な音楽を流していることが多い。モーツァルトだったり、ピアソラだったり、兼田敏だったり。

先日聞こえていたのはヘンデルだった。
ピッチ悪いし、なんだかなぁ、下手だなぁ、ヘンデルにしては楽器の編成が変だなぁ。
「水上の音楽」かぁ?「王宮の花火」かぁ?どっちだぁ?と思いながら何となく耳にしていた。

しばらくぼーっと聞こえている状態が続き、

あれ、でもな?
不思議な感じだぞ?
音楽として破綻はしていないぞ?
何処の演奏だろ?

と集中して聞いてみた。
「おや、吹奏楽じゃん」

そのときになって初めて「もしや??」と、気が付いた。
そして、そばにいた人に「それって何処の演奏?」って聞いてみた。
「T高校ですよ」
うぎょ! やっぱり。

自分の演奏だった…。昔の…。
 

だいたい自分の演奏っていうものは出来ればその直後には聞きたくない。アラばっかり目立って平常心では聞けないからね。すぐ次々飛ばしてしまうか、再生機械を壊したくなる。
それでも自分の勉強で聞かなくてはいけないからとりあえず録音は取る。

以前、バンドがうまくいっていなくて、どうしようもなく下手くそな演奏会をしてしまった、と思ったことがある。やはりその録音を直後に聞く勇気はなかった。しかし、いつものようにその録音を親しい音楽仲間に配ることはした。

すぐにその録音を聞いた感想をいただいた。
「涙が出た。」
「聞いている最中止まらなかった。」
私としては「えっ? そんなに酷いのか」と金槌で殴られたようにショックだった。
「ごめん。変なもの送っちゃったね。」

「いや、違うよ。全く正反対。この演奏は奇跡だと思う。なぜならちゃんと音楽してるから。」
「どんなに達者な演奏でも音楽になっていないことが多い日本の吹奏楽の中で、この演奏は紛れもなく音楽だと思う。」
「確かに拙い技術だけど、その拙い技術でもちゃんと音楽は出来るんだ、という証明が出来ている。だから涙が止まらないんだ。」

というような会話だったと思う。
社交辞令をいう人ではないから文字通りその人の感想だとは思うが。
私としては「そういうものかねぇ」程度でにわかには信じられなかった。
 

つい最近、月日が経ってようやくその録音を聞き直した事になるわけだ。
過ぎた年月といい、勝手に音が流れてた状況といい、私にとってはほぼ理想的に、自分の演奏を客観的に聞く事が出来た。

確かに下手だった…。音程悪いし…。音外すし…。
しかし単なる音ではなく、音楽だった…。流れに淀みはなかった…。

かつていただいた感想の意味が少し解った気がする。
もっと自信を持とうと思った。
音楽の力は計り知れないのだから。

12月
02
忘れ物を取りに

職員駐車場まで行った。
天気が良いので、少し歩こうと思い遠回りして公園をぐるっとしてみた。

向こうの方で、期末試験を終えて早く下校してる女子中学生が二人、ご年配な男性につかまっている。
話をしながら私のほうをちらちら見るので近づいていった。何か悪いことではなさそうだけど、少し困った顔をしている。

「どうしました?」
「電話をかけてくれんかな?」
そうか、電話貸して、と頼んでいたのだ。
中学生に「ありがとう、あとはやるから大丈夫」といって無事解放。
再度「どうしました?」
「病院行って、歩いて帰ろうと思ったけど、やっぱりダメだった。迎えに来てって電話をかけたいんだ。」
「もちろん。良いですよ。番号言っていただけますか?」
相手の方が出て「もしもし?突然すいません、替わりますね」

お迎えの連絡とれたみたいで、良かった良かった。
「電話代です」
「そんなの要りませんよ」
「気持ちです」
「えぇ。…分かりました。それではお気持ち10円だけいただきます」

ぽかぽか暖かい日だまりの中、路端のフェンスに座ってお迎えを待つご老人。
これで一安心か。少しは役に立ったかな。

もし、私が遠回りの散歩しようと思わなかったらこの出来事はなかった。そもそも忘れ物しなかったら…?
この世の中、何処でどう繋がるか、不思議だな。

12月
01
久しぶりに

ゆっくり、まったり、休日を過ごした。都合3連休。
本当に久しぶりだった。

今日の午後なんか何となく正月な気分さえしてきた。まだ師走だというのに。
3連休がまずあり得ないし、さらにどこへも遠出しない、なんていうのは今までほとんど皆無だったからな。

普通なら毎週この土日のお休みがあるんだ。毎週連休だよ…。

何年か前は毎日がこれだった(気分的にはもう少し違った…)けれど…。

羨ましいようで、実は違う。逆のことを考えた。
休む暇もないくらい没頭することがあるという幸せ。
TSWのメンバーとBANDをする幸せ。

BANDは正直苦しいことだらけだ。
降って湧いたようには良い音楽は出来っこない。
毎日毎日、休み無く、地道に積み上げていくしか手はない。
だからこそ、本番で奇跡のように起こる一瞬の喜びは、他の何にも変えがたい価値がある。
それを共有する仲間がいるって事。
それを共有する時間や空間があるって事。

TSWのメンバーとBANDをする幸せ。
この三日間でかみしめたこと。