バス泊がベストだったかどうかは判らない。
でも、当然のように「朝4時集合!」と言われても、不可能な場合だってある。遠い人は本当に大変だし、なにより生徒はどうやっても自分の力だけでその時間に集合するのは不可能だ。
その裏には「応援希望者なんだろ!行きたいんだろ!」があるのかなと。
このような場合、我々には選択の余地は無い。「行けません。」では済まないのだから。意識としては初めから「当然行くもの」として考えられている。
あまのじゃくな私はすぐ逆手に取りたくなる。「行けません。」「希望者の応援団なんでしょ?」「拒否する余地ありますよね?」
本来、行かないと成り立たない人・物についてはそれなりの体制を保証しなければ組織にならないと思うのだけれど。
だからバンドとチアは違った動きをする形にしたかったので無理を言った。メンバーにも無理を言ったね。バスの中では寝れなかっただろうし。
言い方良くないけれど、我々(バンドとかチアとか…)は業務・仕事で出かける心づもり。だから体制とか組織とかの組まれ方が気になる。
一方、一般参加の希望者応援団はやはり物見湯山な感じだ。もちろんそれで当然。応援団としての責任なんて微塵も必要ない。楽しんでいただくことが一番大切。
でも誰かがどこかで組織として統轄する必要があるのではないかな、と思う。
一般の応援でいらっしゃった方々の応援席は誰が確保するの?会場まで運んで、後はご自由に!応援の仕方も。旗配って「後ご自由に」…、は失礼じゃないのかなぁと。皆さん苦労されてましたよね。
また、生徒の応援団は誰がまとめるの?あの状態で人文字作ったり、全員でコールしたりは、きわめて難しいだろうな。全体を把握している人が一人もいないのだから。
きちんとした応援団は、そこにいるみんなに大きな一体感を持たせ、一生懸命応援した、という充実感を実感として持たせる事が出来る。だからこそ、校歌や応援歌が大きな声で響き渡るのだ。どうしようもなく歌いたくなるのだ。それが誇りになり母校愛になる。
しかし、それためには綿密な仕掛けがいる。
組織力と企画力。問われていると思う。