月別: 2009年1月
今日は、来週に本番がある合同バンドの練習会初日だった。吹奏楽フェスティバル in NAGAKUTE。愛知万博をきっかけに始まって今年で5回目のイベント。私は初回から関わっている。
練習終了後、高校生に「ボクはこのイベント好きです。今回で5年目です。」と嬉しそうに話しかけられた。中学校時代から参加しているらしい。「中学校の時、中途入部でこの本番がデビューだったから何より思い入れが強いんです。」とも。彼は「高校卒業しても出させてもらえますかねぇ?個人参加できますかねぇ?」と言っていた。
ある学校は、本番当日に他の本番(アンサンブルコンテスト県大会!)とダブルブッキングした。そちらの本番に出られるということはとても誇らしいことだし大切なことだ。だから、アンコンに全精力を傾け、こちらに出られない人がいてもしょうがないだろう、と当然思っていた。
が、しかし。アンコンの出番終わったら稲沢から駆けつけるという。「合同演奏には間に合わせます!」ということらしい。
うれしいな。「この本番に出たい!」という気持が嬉しい。
イベントとしてはとても地味。華々しく素晴らしい質の高い演奏会かどうかもわからない。無料だから営業収入もない。予算獲得難しく、継続することは実は難しいのじゃないかな。さらに苦労多くて担当者は大変な事ばかり。目立たないから評価もちょぼちょぼ。
しかし、育っているんだよ、確実に。人も。そして文化も。
一見無駄な事に見えるけれど、このことこそが大切なんだと思う。
最近こういった社会教育型な吹奏楽イベントに関わることが多いが、上手くいっている所の共通点がある。
関わっている人全て、特に大人(企画者、小屋(会館)の人、館付き舞台の担当(通常委託で舞台屋が入っている)、参加団体の引率者、などなど)が、みんな一生懸命。
中高生に対してとても積極的。指示するのはもちろん、タラタラしてたらド叱る、ボーッとしてたら仕事させる、上手くいったらどんどん褒める…。とにかく、関わろうとしているのが良く解る。
館付き舞台の担当者が学校名叫んで点呼しながら打楽器セッティングの指示なんか、普通しないよ。絶対あり得ない。
もちろんそれしないと良い本番にならないから自分のプライドが許せないのかもしれないし、なにより自分が楽できないということもあるかもしれない。
でもだからこそ、結果、人が育っている。
企画力や運営力ももちろん大切だけど、実際に動き出した現場ではその人のクオリティがモノを言う。幸田のコンサートでもそう思ったけれど、人としての魅力で人が育つんだな。
来週は、是非良い本番にしたい。中身は私が全責任を負うのだから。
今回は我がTSWも部として参加する。是非有意義にしたい。
第4回定期演奏会スペシャルバンド練習会が始まった。
いきなり7曲通した。中学生諸君にとって午前午後5時間の大初見大会は少しきつかったかな。
しかし、回を重ねているからか、年々レベルが上がっているように感じる。
何度か繰り返すとすぐ吹けるようになって付いてくるし、少しのアドバイスでどんどん変わるし。
顧問の先生は「なんだかみんなやる気満々で…」っておっしゃってくださるし。
やっぱり継続は力なんだな。こうやってすぐ近くの中学校が少しずつ力を付けてくることがとても嬉しい。
これに参加してくれる中学生の皆さんがみんなTSWに入ったら良いのに、とちょっぴり(いや、本当は物凄く!!)思うけれど、でもそんなことより、この経験を元に音楽や吹奏楽を好きになってどんどん広がって行ってくれる方が、なんだかワクワクするんだな。何年も何十年も後で、「実は、あそこで一緒にステージ乗りましたよ」と奇跡の再会をしたらすごいことだと思う。
さて。
実際に練習で音出している時。
さして難しい練習ではないところで、ふと「定期演奏会」の匂いがした。何度も。
なかなか言葉では説明できない。
雰囲気というか、特殊な感情というか。
油断すると涙腺が緩んでしまうような、絶句するというか、全く違った次元にいきなり飛ばされてしまったかのような…。
今年もそれを感じる頃になったんだな。
第4回定期演奏会まであと二ヶ月余り。
今日は幸田町文化振興協会(幸田町民会館)の〜JAFRAアワード受賞記念コンサート〜本番だった。
『JAFRAアワード』(総務大臣賞)
この賞は、地域における創造的で文化的な表現活動のための環境づくりに特に功績のあった公立文化施設を顕彰し、全国に広く紹介することにより、公立文化施設のさらなる活性化を図り、美しい心豊かなふるさとづくりの推進に寄与することを目的として、平成16年度から創設されたもので、今年度が4回目の表彰となります。
ほとんどアマチュア寄せ集めの吹奏楽団・合唱団で11月から数回の練習で本番まで持ってくるのは、そこそこ大変。練習回数少ないのに毎回の練習がなかなか積み上がっていかない。
ある意味どうしようもないことは知っているけれど、有料コンサートだから「ま、いいさ」では済まされない。
だから色々な方向から攻めてみた。
一生懸命盛り立てて、励まして、メンタルなイメージで全然音が変わることを示し、アマチュアの良さを出す為に僭越だとは思いながら私の想いを語ってもみた。
少数だけれど、管楽器初心者コースの講師をしているような職業音楽家もいらっしゃるから、本番始まるまで「どうかなぁ?解ってくれたかなぁ、嫌気さしてないかなぁ?」と随分不安だった。
本番は、さしたる事故もなく無事そこそこ良い演奏が出来た、ほっとした、と私は思い感じた。
演奏した皆さんは、というと、沢山の方から、「気持ちが良かった!」「本当に楽しかった!」「ありがとうございました!」とお声をかけていただけた。別の展開を期待したいような声もお聞きした。
合唱の小学生お嬢ちゃんたちから「サインください!」と請われてとまどったりした。
私の想像以上に皆さん楽しんでいただけたようだ。私でもお役に立てたのかな、と嬉しかった。
でもそれは、決して私が何かを「してあげた」のではない。私がみんなに「助けられた」のだと思っている。みんなが少しずつ力を出し、それがいつのまにかとてつもなく大きな力になったのだと思う。お手伝いいただいたリズム隊3人にも大きな力を頂いた。
そしてその背景には「JAFRAアワード受賞」するような文化振興協会の地道な努力があってこそ。
こういったことの積み重ねが文化を育てるのだと思う。
文化なんて今日、明日では変化はほとんど見えない。しかし数年、十数年と重ねていくうちにいつの間にか大切な積み上げが出来て人が育ち文化が育ち地域が豊になる。
今日、いっしょに本番をやった小学生・中学生・高校生は、いつの日か必ず立派になって文化の担い手になるだろう。我々はそれを信じ、持てる力を全て使って、今やるべき事をやる。そのことは、実はとても幸せなことなのだ。
そんなことを再確認できた日だった。
みなさん、ありがとう。
なんだかにぎわう。
TSWの活動中は当たり前なんだけれど、そうでない時も人が来る。
「落ち着く」という人もいる。「居場所」になっているのかな。
人にとって自分の居場所は必要だ。いくつもある必要はないかもしれないけれど。
ほっとする空間と時間。特にここでは活動をギリギリまで攻めていくから、そういったスペースはなおさら要るだろうとは思っている。
で準備室。ある意味その意図を持たせているつもり。賑わうのだからその役割を果たせているのかなぁ。
とはいっても本当はそれで良いのかどうか判らない。
特殊なことかもしれないし、緊急避難的なことかもしれない。
ただ、一番大切なのは人と人の繋がりだよな。
心地よい空間や時間はそれを実現させるための条件と考えておくのが良いのかも。
になってしまった。早い。
ついこの間まで正月だった。
七草(セリ、ナズナ、オギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ)を覚えようとしているうちに、いつの間にか七草粥食べずに終わってしまった。
先日、我が家のすぐ前の田んぼで左義長があったらしく(きっと書き初めを燃やし鏡餅を食べたのだろう)気がついたら、黒く焼けた跡が丸く残っているだけだった。そういえば朝早くからポンポン竹の焼けるような音がしてた日が有ったような。
なんだかなぁ。大切なことを見逃してしまったようでもったいない。
そうこうしている間にもいろいろなことがあった。
始業式で今までの掟を破り、TSWも発願文を唱えた。思いのほか反響は大きかったようだ。後から色々声をかけていただいた。
調子に乗って定時制でも。
悪くないね。これからも続けよう。
本番も1つ。
ライオンズクラブのチャリティコンサート。
どうしても直前まで苦しいのは何故だ。最後のチューニングの時間でさえ「よし!!」ってな気分になれない。「なんで??」「昨日やったじゃん!」「さっき出来たじゃん!!」「信じられない!!」ってなことばっかり。
だけど、本番はそれなりに。冷や冷やさせずに最初からやってよ。
「必ず出来る!」という大前提を持ちつつ、油断することなく、諦めることなく、目一杯。
私は毎週末のようにあちこちのバンドでゲネやら本番やら。
TSWは2月1日に長久手文化の家デビュー。
私の地元。恥ずかしいこと出来ないゾ。知り合い沢山呼んでおくかな。(本当は2月1日は特別な日。岐阜の渓流(長良川)解禁日だ。随分行ってないなぁ…。郡上に行きたくなってきたぁ。)
その間をぬって定期演奏会の練習会。卒業式関連の練習。
本当に息つく暇無い。
高いテンションのまま気持ちが維持できるように願いたい。
今までも何度か既出の「生涯学習通信−風の便り」(第94号)から引用。
これまでも保育所は、多くの育児書が指摘する通り、「基本的生活習慣」の育成に着目して来た筈です。また、「コミュニケーションの能力」にも注目して来た筈です。しかし、佐藤教諭が報告したとおり、『つらい』、『やだ』、『楽しくない』を連発する子どもが育っているのです。『つらい』、『やだ』、『楽しくない』を連発する子どもにどうしたらマナーや片づけやルールを教えることができるでしょうか?「集中と持続」、「我慢と努力」のできない子どもにものを教えることは基本的に不可能なのです。
言い切ってるな。その通りだとは思うけれど…、しかし。
ここでは「不可能なのです」で済ますことはできない。
これから「集中と持続」「我慢と努力」を体得させる、っていう話ではなく、それ無しで育っちゃった人たちをどうするかっていう話。諦めお手上げして「基本的に不可能」で良いのだったらどんなに楽か。
『つらい』、『やだ』、『楽しくない』を連発する人に対して、「集中と持続」「我慢と努力」のできない人に対して、手を尽くして何かをやり遂げさせなければならない。
ここに居続けていれば、居たいと思っていれば、少しずつでも「集中と持続」「我慢と努力」を手に入れ解決の糸口を見つけることは出来る。みんな少なからずそうやって進化し育っているのだもの。
ここに居続ける、ということですら我慢や努力が要るのだから、とっとと逃げ出したい人に対していったいどんな手があるというのだ?
やっぱり、だましだまし何とかやんわり3年間居させて無事卒業まで持って行くことで精一杯なのかな?
だましだまし居続けることが出来る程度の活動内容でとどめておくことが賢明なのかな?
少しでも伸び率多く育てようと躍起になると本末転倒になるのかな?弱いバネに強すぎる力を加えると伸びちゃうからな。一度伸びたら決して元には戻らないし。
深いところまで入り込まず、とりあえずストレス少なくして、何となくハッピーで…、だったらこちらもあまり傷つかない。仕事も気楽だし。なにより大きな問題も発生しない。仮に発生しても「不可能です」でばっさり切って捨てれば良いわけだし。
でも、それじゃまずいでしょ。負のスパイラルが加速するだけだよ。
そう思ってしまったらしょうがない。リスク背負うしか無いんだよね。そう思ってしまった人が。
…あなた、背負えますか?
になりたい、と常々思っているが。
なかなかなれない。
数年前の夏、キャンプ中に安価な双眼鏡(と言っても大型スーパーの光学用品売り場で売っている中では一番高かったが)を手に入れ、本屋に行っては良さそうな鳥類ハンディ図鑑を買い、専門月刊誌を読み、ネットをさまよう。
しかし、実際に見に行けない。
やっと行けても目の前にいる鳥が何なのか調べているうちに飛んでいってしまう。
少しずつ名前を覚え、大きさや姿形を覚えているつもりではあるが、実際は「あれなんだろう?」で先に進まない。そんなことの繰り返しである。
鳴き声を聞き、姿をパット見ただけで「あれは何々で、この辺りでは珍しいねぇ。」「もう渡ってきたのかぁ。今年は早いねぇ」などと言ってみたいものだ。
ということで、今日は琵琶湖へ行った。熊野詣でを諦め、せっかく時間があるのだから水鳥を見ようと相成ったわけである。
彦根から湖岸道路に出て、水辺を見ながら車を動かす。
途中、歩道に三脚立てて、たぶん500mmとか700mmとかの長いレンズ付けた人たちがいた。しかもレンズの方向は湖ではなく迫ってくる山だった。大鷹でも狙っているのだろうか。
うぅ、やってみたい。
湖北まで上がって車を止め、じっくりと双眼鏡で湖上を覗いてみた。沢山の種類の鳥たちが無数にいる。
しかし、図鑑を見ても良く解らない。種が解らず、雄雌の区別が解らず、図鑑と双眼鏡を行ったり来たりしていたら、だんだん気持ちが悪くなってきた。
こんなんじゃ、BIRDERになんかなれないぞ、と少し情けないが。
双眼鏡に慣れるためにはたくさん覗かなきゃ。少しでも鳥の名前と特徴覚えなきゃ。
そして、いつかは鳥の写真を撮れるようになりたい。
ぐるっと反時計回りで琵琶湖を回り大津まで出た。
途中、せろりと雪の中で遊んだりしながら気持ちの良いドライブ。
本日はとても気分の良い一日だった。