1月
15
1月の半ば

になってしまった。早い。
ついこの間まで正月だった。

七草(セリ、ナズナ、オギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ)を覚えようとしているうちに、いつの間にか七草粥食べずに終わってしまった。
先日、我が家のすぐ前の田んぼで左義長があったらしく(きっと書き初めを燃やし鏡餅を食べたのだろう)気がついたら、黒く焼けた跡が丸く残っているだけだった。そういえば朝早くからポンポン竹の焼けるような音がしてた日が有ったような。
なんだかなぁ。大切なことを見逃してしまったようでもったいない。
 

そうこうしている間にもいろいろなことがあった。
始業式で今までの掟を破り、TSWも発願文を唱えた。思いのほか反響は大きかったようだ。後から色々声をかけていただいた。
調子に乗って定時制でも。
悪くないね。これからも続けよう。
本番も1つ。
ライオンズクラブのチャリティコンサート。
どうしても直前まで苦しいのは何故だ。最後のチューニングの時間でさえ「よし!!」ってな気分になれない。「なんで??」「昨日やったじゃん!」「さっき出来たじゃん!!」「信じられない!!」ってなことばっかり。
だけど、本番はそれなりに。冷や冷やさせずに最初からやってよ。

「必ず出来る!」という大前提を持ちつつ、油断することなく、諦めることなく、目一杯。
私は毎週末のようにあちこちのバンドでゲネやら本番やら。
TSWは2月1日に長久手文化の家デビュー。
私の地元。恥ずかしいこと出来ないゾ。知り合い沢山呼んでおくかな。(本当は2月1日は特別な日。岐阜の渓流(長良川)解禁日だ。随分行ってないなぁ…。郡上に行きたくなってきたぁ。)

その間をぬって定期演奏会の練習会。卒業式関連の練習。
本当に息つく暇無い。
高いテンションのまま気持ちが維持できるように願いたい。

1月
15
リスク

今までも何度か既出の「生涯学習通信風の便り(第94号)から引用。

  これまでも保育所は、多くの育児書が指摘する通り、「基本的生活習慣」の育成に着目して来た筈です。また、「コミュニケーションの能力」にも注目して来た筈です。しかし、佐藤教諭が報告したとおり、『つらい』、『やだ』、『楽しくない』を連発する子どもが育っているのです。『つらい』、『やだ』、『楽しくない』を連発する子どもにどうしたらマナーや片づけやルールを教えることができるでしょうか?「集中と持続」、「我慢と努力」のできない子どもにものを教えることは基本的に不可能なのです。

言い切ってるな。その通りだとは思うけれど…、しかし。
ここでは「不可能なのです」で済ますことはできない。
これから「集中と持続」「我慢と努力」を体得させる、っていう話ではなく、それ無しで育っちゃった人たちをどうするかっていう話。諦めお手上げして「基本的に不可能」で良いのだったらどんなに楽か。

『つらい』、『やだ』、『楽しくない』を連発する人に対して、「集中と持続」「我慢と努力」のできない人に対して、手を尽くして何かをやり遂げさせなければならない。

ここに居続けていれば、居たいと思っていれば、少しずつでも「集中と持続」「我慢と努力」を手に入れ解決の糸口を見つけることは出来る。みんな少なからずそうやって進化し育っているのだもの。

ここに居続ける、ということですら我慢や努力が要るのだから、とっとと逃げ出したい人に対していったいどんな手があるというのだ?
 

やっぱり、だましだまし何とかやんわり3年間居させて無事卒業まで持って行くことで精一杯なのかな?
だましだまし居続けることが出来る程度の活動内容でとどめておくことが賢明なのかな?
少しでも伸び率多く育てようと躍起になると本末転倒になるのかな?弱いバネに強すぎる力を加えると伸びちゃうからな。一度伸びたら決して元には戻らないし。

深いところまで入り込まず、とりあえずストレス少なくして、何となくハッピーで…、だったらこちらもあまり傷つかない。仕事も気楽だし。なにより大きな問題も発生しない。仮に発生しても「不可能です」でばっさり切って捨てれば良いわけだし。

でも、それじゃまずいでしょ。負のスパイラルが加速するだけだよ。
そう思ってしまったらしょうがない。リスク背負うしか無いんだよね。そう思ってしまった人が。

 …あなた、背負えますか?