今日は、来週に本番がある合同バンドの練習会初日だった。吹奏楽フェスティバル in NAGAKUTE。愛知万博をきっかけに始まって今年で5回目のイベント。私は初回から関わっている。
練習終了後、高校生に「ボクはこのイベント好きです。今回で5年目です。」と嬉しそうに話しかけられた。中学校時代から参加しているらしい。「中学校の時、中途入部でこの本番がデビューだったから何より思い入れが強いんです。」とも。彼は「高校卒業しても出させてもらえますかねぇ?個人参加できますかねぇ?」と言っていた。
ある学校は、本番当日に他の本番(アンサンブルコンテスト県大会!)とダブルブッキングした。そちらの本番に出られるということはとても誇らしいことだし大切なことだ。だから、アンコンに全精力を傾け、こちらに出られない人がいてもしょうがないだろう、と当然思っていた。
が、しかし。アンコンの出番終わったら稲沢から駆けつけるという。「合同演奏には間に合わせます!」ということらしい。
うれしいな。「この本番に出たい!」という気持が嬉しい。
イベントとしてはとても地味。華々しく素晴らしい質の高い演奏会かどうかもわからない。無料だから営業収入もない。予算獲得難しく、継続することは実は難しいのじゃないかな。さらに苦労多くて担当者は大変な事ばかり。目立たないから評価もちょぼちょぼ。
しかし、育っているんだよ、確実に。人も。そして文化も。
一見無駄な事に見えるけれど、このことこそが大切なんだと思う。
最近こういった社会教育型な吹奏楽イベントに関わることが多いが、上手くいっている所の共通点がある。
関わっている人全て、特に大人(企画者、小屋(会館)の人、館付き舞台の担当(通常委託で舞台屋が入っている)、参加団体の引率者、などなど)が、みんな一生懸命。
中高生に対してとても積極的。指示するのはもちろん、タラタラしてたらド叱る、ボーッとしてたら仕事させる、上手くいったらどんどん褒める…。とにかく、関わろうとしているのが良く解る。
館付き舞台の担当者が学校名叫んで点呼しながら打楽器セッティングの指示なんか、普通しないよ。絶対あり得ない。
もちろんそれしないと良い本番にならないから自分のプライドが許せないのかもしれないし、なにより自分が楽できないということもあるかもしれない。
でもだからこそ、結果、人が育っている。
企画力や運営力ももちろん大切だけど、実際に動き出した現場ではその人のクオリティがモノを言う。幸田のコンサートでもそう思ったけれど、人としての魅力で人が育つんだな。
来週は、是非良い本番にしたい。中身は私が全責任を負うのだから。
今回は我がTSWも部として参加する。是非有意義にしたい。