2月
02
練習モード

文化の家での私の合奏リハーサルを見た人の感想。
「合同練習はドンドン音が変わっていくのが凄い!」
「マジックですね。」
「みんなを集中させる事が凄い!」
さらには。
「合同練習と豊川単独練習と練習の仕方が全く違う!!」
「豊川単独練習の緊張感は凄い!」
などなど。
怒号や罵倒に聞こえる指示と切れることのない緊張感が、合同練習モードのギャップと相まって相当なショックだったらしい。見てなかった人に「凄い」「怖い」「ピリピリ」など何とか伝えようと、躍起になって言葉を選んでいた。

確かに、モードは意識して変えている。
そうでなくても、そのバンドの現状からさらに良くしようとしたときに、何を課題ととらえるかで、当然練習モードは変わる。

でも、そのやりとりを聞いていたM氏はいとも簡単にこう言い放った。
「あんなの(前日夜の合奏)は全然怖くないです。怖いと思っちゃダメ。当然やるべきダメ出しをしてるだけです。それに引き替え、昔はあんなの比べものにならなかった。それはそれは怖かったですよ。ははははっ!」
彼は自分の練習の居残りをしながら久しぶりに私の合奏レッスンを聴いたらしい。
「なつかし〜」ていってた。
「でも、あれ(高校当時の厳しい練習)があったから今の僕があるんです。」

2月
02
吹奏楽フェスティバル

in NAGAKUTE
無事終了した。
良い小屋が、良い人と良い音楽で満たされた。
やっぱり、まず「人」だ、再度強く感じた。
そして「自分は?」

私自身は頑張りすぎたかなぁ。
体中バキバキいってる。
右腕が上がらない。首が回らない。下向けないし、横向けない。
例の、背中から首筋、頭にかけての痛みはまだましだけど。
両足太ももの付け根から足首まで動きが鈍い。
目も見えづらい。(眼鏡の度が合わないようになってきた?)
おかしいなぁ…、体がいうこと聞かない。

やっただけの成果はあったと思うし、関わったみんなにそれぞれ何かおみやげを持たせてあげることは出来たのじゃないかな、と思っている。TSWも、その他の団体も。

200人を超える合同バンドで指揮をしていると、メンバー全員の真剣なまなざしをストレートに受ける。私はそれをたった1人きりで受け取り、返さなければならない。残念だがたぶん全員には行き渡らない、返しきれない。当然不十分だろう。しかしだからこそ私の持ち得るエネルギーを全放出しなければその気迫すら伝わらない。
当たり前だが、伝えることが出来なければ返ってこない。だから伝えようと目一杯。そのやりとりがスリリングだ。

気持ちが返ってくると、だんだん音も返ってくる。揃ってくる。合ってくる。技術ではない。(…言い方がまずいな。それぞれが今持っている技術がフルに活用されるようになる、ということなんだけど。)

みんな気持ちも力もある。感性も技もある。ただ、出しきっていない。出し切ろうとしていない。
本人すら気がついていないかもしれないその隠れた力を存分に引き出すこと。
それぞれが持てる力を全開で出せたら凄いことになるんだから。
本番は「良き思い」で満たされなければならない。「感動」が満ちあふれなければならない。凄いことになったご褒美であるべきだ。
だから全力でいろいろな手を尽くす。それが私の役割。
今回、何とか出来たかな、と自惚れてみる。

次のステップは、何より継続すること。決して忘れないこと。
「嵐が過ぎ去ったからそれは過去の話」ではまずい。
積み上げなければならない。
重要なのはこれから。この先。
 
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さて。ゲストのみなさんや主催者スタッフとのお話。
「結局ダメなのは大人、子供達は何も悪くない」で盛り上がった。
さらに「それで育っちゃった、大人になっちゃった人が如何に大変か」で盛り上がった。

根は深い。
個人が太刀打ちできるような事ではない。
「でも、それぞれの立場でそれぞれが出来ることをやっていくしか手はないんじゃない」
「めげずに頑張りましょ!」
「続けることこそ大切だな」

十数年前の高校生(今のTSW諸君と同じ!全く何も変わらない!)が、現状の教育を憂い音楽を伝えようとし、人を育てようとしている。
自分に何が出来るか真剣に考え、それを職業音楽家としての使命と責任感でやろうとしている。
いや、そんなに堅い話でもないか。結局音楽やりたくてしょうがないんだ。音楽の喜びを伝えたくてしょうがないんだ。
私の周りにそんな勇士がたくさん集まってくる。
それが出来る場がある。
この瞬間は何物にも代え難い。心より嬉しい。至福だな。

TSW諸君がそれを心から感じるのは何年先だろうか?
いや、何年先でもいいんだ。いつか自分の花が咲けばいい。きっと咲く。

そのためには訳がわからなくてもとにかく、今、目一杯やることだ。
限界ギリギリ目一杯、だ。