3月
16
続 高校の記憶

なんだか関連していろいろ思い出して来ちゃったから、記憶のメモとして書いておこう。

生徒会の選挙があった。会長に立候補したのはよく知っている友達だった。決して悪い奴じゃないし心意気もあった。彼は学校を変えたいという純粋な思いも有ったようだし、近しい周りもそれは認めていたようだ。しかし、生徒全体から見たら、説得させられて渋々出てきた(言葉は悪いけれど)教員の犬に見えたのだろう。信任率がとんでもなく低い(具体的な数字は忘れたけれど2,3割だったような…)選挙結果で、成立せず再選挙になった。当然本人は相当へこんだだろうな、と思う。一方、一般生徒たちはなんだか自分の主張が通ったような感覚でその結果に満足していた。

しばらくして、やっぱりなんだかまずいぞ、という雰囲気が出てきた頃、急に招集がかかった。教員からではない。一つ上の学年の先輩からだ。
「日曜日の何時、集合せよ。もし学校を良くしたいという熱意の有る物がいたらかまわないから連れてこい。」私も友達に誘われた。
20人ぐらいいただろうか。先輩達も一人ではなく複数の人間がいた。我が吹奏楽の先輩もそこにいて「おまえも来たのか!」と嬉しそうな顔だった。集まったのは同じ学年の部活やクラスのリーダー達、そうそうたる顔ぶれだ。アパートの一室に案内された。(あの部屋は何だったんだろう?人が住んでいる気配はなかった。)
まず、「あの生徒会選挙は何だ!おまえらには学校を良くしようとする気持ちはないのか!みんなで結束して何とかしないととんでもないことになるぞ!」と先輩からお説教を食らった。その後具体的にいくつかのプランや指示があったような気がする。

背後で教員の指示があったのかどうか不明だ。しかしそんなことはどうでも良く、「学校を良くする」という大命題に対して、(先輩ではあるけれど)生徒が生徒に、個人ではなく組織として働きかけ、実際に個々の気持ちが動き、その先の行動となって行くことに少なからず感銘したんだ。

再選挙では、いろいろな仕込みが功を奏し別の勇士が圧倒的な信任率で無事選任された。その後校則はみんなの努力の甲斐あって一つずつ改正されていく。

部活の事、学校生活のこと、いろいろ物言いたくてずいぶん暴れたからなぁ、私は最後まで扱いにくい生徒だっただろうと思う。
ブラックリストの筆頭だったんじゃないか。

なのに、大学(一応それなりの学校だから進学実績には充分貢献できる…)受かった瞬間、英雄扱いになった。なんだそれ!?ってアホらしくなった。
私のガッコー嫌い、センセー嫌いはここが原点だろう。さらに、それを今自分がやっているかもしれない恐怖は常につきまとっている。
ま、独り言です。

3月
13
昨年の

今頃、定期演奏会に向けて新入生の練習参加が始まっていた。
もう一年が経つんだ。

今年もやはり同じように新入生が練習に参加している。
数日たって少しずつお互いのことを知ってうち解けてきているように感じる。今日は自分たちだけで曲の練習を合わせていた。新鮮で初々しく、不安でいっぱいであろうに何より一生懸命な感じが嬉しい。
初心忘れるべからず。

さて、昨年新鮮で初々しく不安でいっぱいだけど元気もいっぱいだったあの人たちは今どこにいるのだろう。舞台転換の段取りを自分たちで組み上げ、どんどんこなしていたあの人たちは今どこにいるのだろう。
おかしいなぁ。
 「朱に交われば赤くなる」。
いつの間にか、何かに、何処かに同化していってしまったのか??
それとも劇的に変わる何らかのきっかけが有ったのだろうか??

取り戻せるか?

3月
12
高校の記憶

先日、なぜか突然、高校時代のある一コマが急に蘇った。

前にも書いたかな?
私の通っていた高校はマルトウ訓練なる物をやる、いわゆる「管理教育」を全面に打ち出した学校だった。校則は理不尽で力任せ。生徒は人間扱いされていない(ように感じていた)。それでも新しい学校だからか、とりあえず生徒は従順だったなぁ。この事件までは。

確か2年の時だったと思うが、授業中、急に廊下から激しいやりとりが聞こえてきた。全員がほとんど授業を上の空で聞き耳を立てている。
声の主は一人の生徒指導部教員と一人の生徒。その生徒は、教員相手に激しくやり合うことなどにわかには信じられないような成績学年トップ、スポーツ万能(剣道部だった)、人望も厚く先生も生徒も皆が認めるリーダー。同級生だ。
だから「何であいつが?」って、みんな固唾を飲んで聞き耳を立てている。
次第に事態が判明してきた。内容は、授業中校則違反をしている彼をとがめて廊下に連れ出し指導し、それに対して猛烈に反論している、ということらしい。
たまに(今では問題になるよ…)殴られているであろう激しい音がするが、彼は全然そんなことにはひるまない。

校則違反とは靴下の色が学校指定と違う、ということ。…その場をしのぐには脱ぎさえすればいいのに…。

今思うと、彼は自分がリーダーであることを十分自覚した上で、理不尽な指導に対し、全生徒の代表として断固意思表示をしたのではないか。決して独り合点の我が儘では無かったと思う。
次の日、自発的に集まったたくさんの生徒の前で事の顛末を説明し、改めて自分の主張をした。「その校則はおかしい。その指導は間違っている」と。「みんなに迷惑かけて申し訳ない、しかしどうしても許せないのだ」と。

ここで書いたような事と同時期だったと思う。こんな事件があったからこそ、私もそれに呼応して動いたのだったんだ、と思い出した。
 

TSW諸君、あなたはどう思う?
「すごいな、見習おう!」かな。それとも
「先生にタテツイタらダメ!なんじゃないの?」って思うかな。
「適当にやり過ごせばいいのに…」か?

我が儘と自己主張って何が違うんだろう。

自分の気持ちを表現する、ということは、それを阻害する物を打ち破っていくエネルギーが要る。「叩かれたら止めとこ」程度だったら全く説得力無い。だから行き着くところまで行こうという意志が要る。けれども無理矢理押し込んでいけばいいという訳でもない。それでは理不尽な先述事件と何ら変わらない。一定の理解と容認が無ければそのエネルギーはただの暴挙にしかならない。絶妙なバランス感覚はとても重要だ。

しかし、今はとにかくその力が欲しいのだよ。TSWに。
全くのパワー不足で何も出てこなかったら表現も何もあったもんじゃない。
 

「他律の中から自立は生まれる」というキーワードが最近気になっている。この場合少し意味が違う(反面教師)かもしれないけれど。
結果、理不尽な校則という他律の中から、それはおかしいんじゃないかという(ある意味正義感的な)自立が生まれたのかもしれない。

押されたら押し返す。そんなことでも良いじゃないのか。
とにかく「若さ」という無尽蔵なエネルギーが欲しい。

第4回定期演奏会は目前だ。

3月
10
横断歩道で

車に轢かれそうになった。
対向車線に右ウィンカー出しながら近づいてくる車を目視しながら、道路左側を直進し信号青で横断歩道にさしかかった。通常横断歩道上に歩行者見たら車は止まるけど「もしかしたら怪しいぞ」と思いながら真ん中までさしかかった。案の定ほとんど減速せずに右折して突っ込んできた。
とっさに、ボンネットの上に飛び乗ってやろうか、とか、蹴っても負けるよな、とか、本当はちゃんと止まるつもりだろ?とか思ったりしながら。
結局、車は急ブレーキで停止し、私は横っ飛びに飛んで当たらなかったのだからまあ良しとしようか。

しかし。車の中で頭下げてたようだけど、そのままびゅーって行っちゃったよ。
ミスそのものより、その後が大切だよな、と改めて思った。

と、同時に、世の中いつ何があるかわからない。今、生きてるだけでも幸せと感じよう。だから行っちゃった車に怒るのはよそう。自分がそうならないように気を付ければ良いんだ、とも思った。

3月
08
2週間

を切った。
3年計画の総仕上げ。

総仕上げ。
今まで積み上げてきたことの。
積み上げてきたはずのこと。

何を?どれだけ?ちゃんと積めたのか?
積んだものは活きているか?
どれくらい詰めたか?
密度は上がったか?

「3年間」という膨大な日数を見渡す。1000日を超える日々。何ができたか。何ができなかったか。
「3年間」という全体を見渡す。そして今いる位置を確かめる。今後向かうべきところを確かめる。

あと2週間弱。その日はやってくる。
その一瞬に懸ける気迫をさらに漲らせよ。

3月
08
関連させる事

一つの解決が次の解決に繋がっていく事。
それぞれの事柄は各々独立しているのではなく関連している事。
一見別の事に見える事でも、イメージの中でどんどん繋げていく事が出来る事。

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小学生の頃、好きだった工作本の裏表紙にあった広告。(マブチモーターの広告だった。)

真ん中に万年筆一本と、むき出しのモーター(もちろんマブチの模型用モーター)
の写真が載っている。絵柄はそれだけ。

下に小さな字で、「あなたは一見関係ないこの二つをどう結びつけますか?」みたいな事が書いてあった。
さらに小さな字で、「機械の力で文字を書かせたい、という気持ちが電動タイプライターを発明させました」みたいなことが書いてあった。

今でも鮮明に覚えているのだから私にとって何らかの大きな意味を持っているのだろう。その広告から得た物は単なる数百円の模型用モーターという物の購買意欲だけではなく、人類の知恵そのもの(ほんの一部だけどね…)だった気がする。

電動タイプライターは、いつの間にかワードプロセッサーになりパソコンになっていく。また日本語変換プログラムや音声認識技術などにも繋がっていく。さらにはケータイにだってつながっていく。
−−何年か前、口頭で色んな指示してた時、メモをケータイに入力する人がいた。「間に合うの?」「はい、早いですよ。」−−

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何かが何かの足がかりになる。一つの事柄が次のエネルギーになる。そうやってより素晴らしい物を目指していく。それは「失敗は成功の元」ともつながる。

関連させ積み上げる事。
これは決してTSWの中だけの事ではない。同じ所にとどまるのではなく次のステップに行くためには世の東西・老若男女を問わず必須だと思うのだが。

もちろん、明日の練習でもさっそく問われ試される。気がついて欲しい。

3月
03

土曜の夜あたりから調子が悪く、たくさん寝汗をかいた。「風邪引いたかも」と、次の日は普通の風邪薬飲んで合同練習・会合・懇親会と朝から夜までめいっぱいに頑張った。さすがに帰り道はへろへろになっていてやっとの事で家にたどり着いた途端ダウンしてしまった。
体温計ったら39.5位まで上がっていて、どんなかっこうしていても体中痛くまともに寝られない。それでも朝方には38度を切るくらいまでには下がったので一日休んで寝ていたら大丈夫だろうと、ひたすら寝ることにした。
しかし、それから一向に下がらない。ずっと38度前後のまま。「やっぱり医者に行かにゃだめだわい…」と午後一番になじみの先生のところに行く。
「咳もくしゃみも鼻水も出ませんが…」
「インフルエンザじゃなさそうですねぇ。」
「一応調べてもらえませんか?」
「良いですよ」
「やっぱり陰性です。胃腸風邪ですね。」
との所見。
いただいた薬飲んで寝てたらすぐ熱は下がった。体の痛みも消えしばらくぐっすりと寝れた。

と、ここまではよくある話。

だいぶ楽になって、体温計ったらなんと34.7度。
何回計っても35度以上にならない。
思わず笑っちゃった。
元々体温高くない方だとは思っていたが、ここまで低いのか、と少々びっくり。解熱剤というのは無制限に体温下げるのか??

もう一晩寝て、今朝やっと35.4度だった。

変温動物になっちゃったかな。