月別: 2009年4月
名古屋マーチングフェスティバル。
新入生のデビュー。
初々しくて良かったなぁ。
難しいのをよく頑張ったぜ。
舞台の上でライト浴びることってとっても緊張するけど楽しいでしょ?
上級生のステップも良かった。
キレがあって、揃えることの喜びや、高い完成度を求める楽しさが伝わってきた。
言われて、やらされて動くのではなく、自らの意志でステップの一歩を出し、それがみんなと揃う、というTSWの理想が垣間見えた本番だったと思う。
いくつかのアクシデントはあったけど。(それは本番にはつきものだし…。)
さらに、一日中、安心してみんなの行動を見ていられた。
いや「見ていなくても大丈夫、という確信がある」のほうが表現は近いかな。
その安心感は一見何気ないけれど、実はそんなに簡単なことではないんだ。
苦労して積み上げてやっとここまで来たんだから。
私の中で「この状態は他のどこにも劣らない」という自負はある。
みんなはどうかな?
TSWは自立(自律)した集団になってきたと思う。
そろそろ漲る誇りと自信を全面に打ち出そう!
も経っている、ということに少なからずショックを受けた。
ついこの間のことだと思っていたのに。
私は永遠の23歳。計算が合わないじゃないか…。
同窓会があったのです。
13年とは、彼ら彼女たちが卒業してから重ねた年数。
にわかには信じられない。
何故かっていうと、会って数分も経たないうちに私の感覚が、みんなが高校生だった当時にタイムスリップするんだ。
話が弾んでくると、まったくその13年前のままな気がしてくる。だからみんな若い若い。
今実際に目の前にいるTSWの現役の人たちと何ら変わらない。
決して、立派になっていないという意味では無く。
私の中のみんなは、新鮮な高校3年間に固定されているかのよう。
楽しかった。
そして当時がむしゃらにバンドやっていた私の手法が間違っていなかったんだな、ということを改めて感じることが出来て嬉しかった。
みんな音楽やっていた仲間なんだよ。
音楽が生業になっている人たちが複数いる。
全く音楽と関係ない仕事をしながら、子育てしながら、でも「やっぱり音楽やりたい」って思ってくれているみたい。
それぞれ、きちんと自分の足で自分の道を一歩一歩、歩いていると思った。
それが心の豊かさだと思う。
そして3年間の苦楽を共にした仲間はいつまでたっても色あせない。
あの3年間はやり遂げた者にしか分からない奇蹟なんだな。
限りなく純粋な時間と空間。
いつまでも大切にしたい。
廊下で、メンバー同士激しくやり合っているのが聞こえてきた。
漏れ聞こえてくる感じでは、係にお願いをする人と、しかし、そのお願いは筋が違うんじゃないか?という係のやりとりのように見受けられた。雰囲気的には圧倒的に係り優勢で、一人のメンバーが「係に激しく怒られている」状況と言った方が正確なのかもしれない。しばらくの時間続いていた。
私は内心「ニヤニヤ」していたのだが、「もう少し静かにしてください」と注意し、気を利かせてくれた他のメンバーもいた。
必要だからこそ激しいやりとりが日常的に出来て、しかもその状況を冷静に見守る別の人もいる。やっとそこまで進化してきたんだなぁ、と「ニヤニヤ」していたのだ。
その後、日誌にこんな記述があった。
「逃げてばかりじゃ何も進まない」事を教えてもらいました。ありがとうです。
先の激しいやりとりの当人達だと思われる。しかも立場は真逆。
あれだけ激しいやりとりの様子から、この言葉が出てくることは普通結びつかない。
もちろん、この言葉が出てくる背景があるはずで、それを想像すると感動的ですらある。
全体的な流れの中で強く感じたのは、お互いを認めていなければ出来ないこと。そしてさらに重要なのは極めて自然であること。
決して、無理して物を言うのではなく、使命感で行動するのではなく、それぞれが感じ考えたそのものをぶつけ合って関わり合っている。
猜疑心で探り合うこともなく、無意味な気を遣うこともなく、それぞれが思ったまま感じたまま自然体で物を言い、お互いに感じ取り、怒り合い、同感し、さらに感化しあう。
それはビンゴ!なのだよ。
だからあなたたちの表情はとても自然で美しい。真剣な顔、笑う顔、喜ぶ顔、怒りの顔、不思議そうな顔、落ち込んでいる顔でさえ。
なによりアンサンブルとして出てくる音が何もしなくても一つに寄ろうとする。
ここまで来たんだ。
真っ只中にいると、そんなの当たり前と思うだろうが。
実は奇跡に近い。
=ちょっとした言葉の行き違いで感情むき出しの攻撃をするのとは全くの別世界。
大切にしたい。
ほんの少しのことで崩してしまわないように。一生の宝だ。
は肺癌だった。一度左肺を摘出し回復したかのように見えた。
しかし2年ほどで異常なほどのガンマーカー値になり、探してもなかなか見つからなかった転移が副腎で発見された時はもう終末期だった。
大学卒業後は発病の前も後も、いっしょにうまい飯を食い、キャンプをし、釣りをして、よく遊んだ。
開高健の大ファンだった。「あんな風に生きたいなぁ。」とぼそっとこぼしたことがある。
音楽について、吹奏楽について、教育について、人について、生き方について、学生時代など比較にならないほど濃い話で夜を徹した。でも一番多い話題は食べ物についてだったなぁ。今思うと本当は病気(癌以前も、糖尿も高血圧も痛風も、なんやらかんやらメタボ大集合)でしんどかったのではないか、無理をさせていたのではないかと心が痛い。
秋口に近くの喫茶店に呼び出され、
「おい…。
…。
…。
おれはあと半年だ。
…。
今、学校(非常勤で教えていた大学院)へ行って、最後の授業やって後のこと頼んできた。
○○君(我々キャンプ仲間の音楽学部長)に最後の挨拶してきた。
しばらく検査が続いて、2、3週間したら入院だ。
もうこれからなかなか会えなくなるな。
…。
…今までありがとう。
」
と言ってそこを去った。
その後。
驚異的といえる生命力で次の年の5月まで。しかし逆に最期はとても痛々しかったことも事実。
ここに書いたことはその事ともだぶる。
線を引かれた時、否応なしにそこに向かっていく時間と、関わっていく人たち。
私は、師匠に比べると全然たいしたことも出来ない小さな人間だ。
師匠の「おまえはまだまだだなぁ」という声がいつも聞こえているしね。
しかし、密かに、彼の吹奏楽スピリットを引き継いだ第1人者としての誇りを持っている。そして、吹奏楽という(アマチュアとプロフェッショナルが混ざり合い、芸術なのか教育なのか混沌として訳がわからない)世界のなかで人と向き合う事については誰にも真似が出来ないだろう、という気概も持っている。
かつてのTWEと現在のTSWはその第3世代だ。
受け継ぎ、広がっていくスピリットは限りない。決して無くなったりはしないのだ。
昨日、そう確信した。
ページを見つけてしまった。
SYU’S WORKSHOP
「リンクはフリーです。」だったのでそのままリンク張ってしまいました。
全然音楽と関係ないよ。
携帯では見るの無理です。(たぶん…)
(私は)遊び心をくすぐられます。
このこだわり精神は見習うべきだな。
「巨神兵」を調べていてこのページがヒットし、何で「巨神兵」を検索していたか忘れちゃったくらい、衝撃だったのです。
様々なテクニックだけでなく、こだわり精神の刺激を受けたいと思います。
といっても私のではない。せろりの。
先日、狂犬病の予防接種に行った。
ヤツは、動物病院が好きではないから、家を出るときから「今日は普通の散歩ではないな!」と既に警戒していて、全ての曲がり角で必ず病院とは反対方向へ行こうとする。
気をそらしながらそれでも病院に近づいていくと、ある場所からは観念したように自分から病院に入っていく。
そして大好きな先生に「お願いですからひどいことはしないでくださいね?」と言わんばかりに握手攻撃を繰り出してくる。
「では入ってください」の声で診察室に自分で入り、すぐさま診察台に飛び乗りよい子でお座りをする。
しかし、情けない顔をしてガタガタ震え出すのである。
いつもの事ながら、気持の流れが手に取るように判りとても興味深い。
しかもここに来るととても賢く見えるのが面白い。
さて。
「だいぶ歳取ってきたから、一度内臓の様子見るために血液検査しましょう」になった。
人間の血液検査だと後日再度病院に行かなければならないのだけれど、爪切りや耳の掃除してもらっている間に結果が出てきた。早い。ものの数分だ。
それぞれの数値はほとんど正常値。コレステロールだけ少し高め。
「今のところ異常はありませんよ。内臓は大丈夫です。」
良かったね。
「フィラリアも陰性です。」
「ただ、若干前足の関節の動きが悪くなっているようです。負担を減らすために少し体重を減らすと良いですね。」ですって。
元々は心臓が少し心配だったけれど、なんとか特に今まで問題なく過ごすことが出来ている。
この先もそうだと良いのだけれど歳には勝てないからね。
大切にしてあげたい。
最近は寝っ転がってうつらうつらしている事が多くなった。
私が呼ぶと「なあに?」と疑うことを知らない目でじっと見つめてくる。
無条件で信じることを教えてくれたのはせろりなんだよ。