月別: 2009年4月
打ち合わせのため、久しぶりに、いつも行くところではない、私が住んでいる地元のファミレスに行った。
吹奏楽の事、音楽の事、教育の事、私の師匠の事、等で話に花が咲き、いつものようにフリードリンクをおかわりしようと店員を呼んだ。
こちらに来たのは高校生かそれより少し上の男性。物腰、制服の着方、話し方、対応の仕方、運び方、どれをとっても「もうちょっと何とかしようよ!」な人。
しかし私はあまり違和感なく「そういえば最近こういうのよく見るよなぁ。」などと思っていた。いつも行く仕事場近くのファミレスなどでは、年齢性別に関わらずよく見る光景なのだ。
「ちゃんと仕事しろよ!」思わず声をかけてしまいそうだが、「でも、このあたりじゃ珍しいんじゃないか?蔓延ってきたのかなぁ」などと考えていた。
そしたら、すかさず同席の人がぼそっと一言声を出した。
「かわいそうに。きっと明日からクビだね。」
「え?」
「いくら何でもこれじゃダメでしょ?世の中はこれは許さないと思うよ。」
そんな言葉を出すような厳しい人だとは思っていなかったので少しびっくりしつつ、自分の感覚が鈍っているような気がしてぎょっとした。
の指導方針について最近二つの話を聞いた。
その一。
現在ある程度の人数が揃って、地域での演奏活動や演奏以外でも盛んに頑張っている中学校バンドがある。きわだって達者な演奏が出来る訳ではないが、それでも音楽を好きになって経験を豊かにして欲しいという願いを充分感じられるバンドである。スクールバンドとしての役割は十分に果たしていると思う。
しかし、訳あって指導者が代替わりしていく必要があるらしいのだが、その代替わりの条件を少しお聞きした。
・人数を半減させること。
・コンクールまでの時期ですべての出番をキャンセルさせること。
・一つの部屋でひたすら揃って基礎練習をさせること。
等々。
絶句した。たぶん音楽(管楽器)を専門に勉強してきた人だと思うのだけれど。
それぞれ、
・(下手は要らない!という)人材の切り捨て!
・(余計なことやって悪影響受けたくない!という)喜びの切り捨て!
・(すべて指示通りやれよ!という)個性の切り捨て!
だと思うぞ?
大会の成績はもしかしたら上がるかもしれないけれど、確実に音楽は嫌いになるんじゃないか?
じゃ、誰のための大会の成績なんだろう?
その二。
ある中学校バンドはコンクールに出てこない。
ま、色んな考え方があるから、コンクールにこだわるのを嫌う、事もあろうかなとは思う。
しかし、出ない理由を聞いて驚愕した。
・そのメンバーだと決して良い演奏が出来ない(良い成績にならない)から、自分(指導者)のプライドが傷つく。
ことらしい。では、良い演奏が出来るようになるために日ごろ鍛錬するかというと、
・資質がないから教えても無駄。
と思っていらっしゃるらしい。
こちらも音楽を専門に勉強した方と聞いた。
音楽教育って何だろう?
スクールバンドって何だろう?
もちろん、伝え聞いた話なので話半分としたい。
だとしても、あまりにもショックだよ。
音楽やりたいな、と思ってそこに集まってきた生徒達があまりにも不憫だ。しかし、それしか知らない生徒達は音楽とはそういう物だと思うようになり、そしていつの間にか世代が変わり、気がつかないうちに同じ事を繰り返すのだろう。
それが「風土」というものになっていくのだな。
これでは決して文化は育たない。不毛だ。
どれだけ水をまいてもまいても、乾いた大地に即座に吸い込まれて蒸発してしまう。
文化の温暖化は思ったより酷いようだ。
しかもこのあたりはきっとオゾンホールだぞ。
私は「音楽」を生業としている。
だから、と言うわけでもないが、まずは自分が「豊か」であるべきだと思っている。
しかも、豊かさとは物質的な意味合いではなく、「気持の有りよう」だと。
また、「豊かさ」の対義として「惨め」や「哀れ」にはなりたくないとも思っている。
何が「惨め」で何が「哀れ」なのかは説明が難しいが、「心の貧しさ」から来る、「優しさ・愛おしさ」「思いやり」「敬う気持」「賢さ」などの欠如した状態、と言えば一番近いか。
だから心の貧しさほど醜いものはないと。
さらに、人の尊厳は決して忘れたくない。
私自身がそれを失った「貧しいもの」と同類にはなりたくない。
「貧しいもの」は「弱いもの」と読み替えて差し支えないかと…。
少なくともその心構えを忘れてはならない。
なぜなら、私は「音楽」を生業としているが、それ以前に「人」でありたいから。
4月になっていろいろ新しくなるのに、なかなか掃除が出来ない。
先日、やっと職員室の新しい机を綺麗に拭いた。糊が付いていて汚かったんだ。
準備室も何やらごたごたと溜まってきた。
そりゃ、仕分けして不必要な物はどんどん処分していかなければ溜まる一方だよな。
もちろん必要な物もたくさんあるけれど、それですら整理しなければまずいよ。
今週一週間で何とかしよう。来週になったら授業が始まってしまう。
そういえば、パソコンも「デスクトップ上に使用しないアイコンが有ります。処分しますか?」みたいなダイアログが出るようになった。
親友に教えてもらった掃除の掟。
「迷ったら捨てろ!」
これもエコに反するかなぁ?
もう一つ。密かに格言だと思っている言葉。
「掃除とはゴミの移動である。」
掃除してもゴミそのものの存在は消えない、不都合ではないところに移動するだけ、ということだ。
もっとも、存在は消えないが、性質を変質させることはあり得る。リサイクル。もしくは焼却処分。
誰が?どうやって?が工夫のしどころではある。まだまだ巧くいかない事が多いようでもある。
いずれにしても質量保存の法則は大原則。
…何をごちゃごちゃ言ってるんだか。
…掃除嫌いの屁理屈は必要ないぞ。
…掃除をします。
…近々。
…きっと…。
…。
…さっぱりしたいもの。
4月のど初っ端から大波乱。
でもそれは私の話で、皆は何も悪くない。にもかかわらず皆の真剣な眼差しがありがたい。感謝。
さて。
話題にもしたけれど、定期演奏会以降、このところの何回かのイベントで進化を確認できて嬉しい。
少しずつではあるけれど確実に進んでいる実感。
思い返してみれば、一人一人の顔つきが変わっていることに改めて気が付く。
言葉の端々にその変化が現れていることにも気が付く。
細かい動きの中にごまかしや上っ面でない本物が見え隠れするようになった。
優しく思いやりに溢れ、きちんと自分と向き合うことが出来るようになり、挫けずにやり続ける事が出来るようになったあなた達。
まだまだもろくて、何かあれば壊れてしまいそうだけれど。
まだまだちゃんとした答えがでないことが多いけれど。
でもね、それで良いんだ。
壊れそうになることを不安に思わなくても大丈夫。
答えが出ないことに焦らなくても大丈夫。
もちろん、これからだって紆余曲折があり一筋縄ではいくまい。
だからこそ、もう少しだけ「この方向で良いんだ」という自信に満ちあふれて欲しい。
そうすればさらに進化が加速されていくはず。
「信じて待つ」事でここまで来た。奇跡でも何でもない。今まで押し込められていた、本来あなた達が持っている力だ。まだ無尽蔵に持っている。
解き放とう!
「出来る」ことを信じよう!
花いちもんめ。皆の心遣いが嬉しかった。心よりありがとう。