は大切だと思う。
ただし、無駄を生かす、無駄は生きる、ということを理解していなければならないが。
たとえば。
花にんじんを作る。花にんじんとは花びらのような形をにんじんで作るもの。煮物等の飾りにすると見た目は美しいし、少し贅沢な感じがする。作ると切りくずが出て食べ物がもったいないと思うなら、普通の輪切りでかまわない。味付けが違うわけではないからね。
しかし、切りくずは「ゴミ」ではない、それを使って別の物を作ればよい、と思えば手数は増えるが、品数も増えるし美しい盛りつけで豊かになれる。
たとえば。
できれば失敗はしない方が良い。失敗はダメなもの、悪なもの、と思えばなおさら。
しかし、その失敗で経験値が上がる、生きる為の肥やしになる、と思えば失敗はたくさんあった方がよい。様々な経験をすることでその人の豊かさにつながると思えば、失敗は失敗でなくなる。
以前、自分の中で「豊かさとは無駄の多さである」と定義したことがある。
効率よく無駄なスペースを作らない収納庫は、物の出し入れに苦労する。一度きれいに詰めたら二度と出したくなくなる。
もちろん無制限に大きくても意味がないが。
無くても良いけれど、有って活用すると豊かになれるもの。それを付加価値というのではないか。
「無駄」は必ずしも「浪費」ではない。無駄だから一方的に排除する、のような発想は決して豊かさを生まない。
スクールバンドは経費がかかる。桁違いに大きい。
大きな音が出てうるさい。近所迷惑だし授業後の補習や仕事に支障がある。
毎日遅くまで練習、休みの日も練習、もっと勉強する時間が…。
確かにどれも事実だ。でもそれを無駄だからといって排除する方向に動くと確実に貧相になる。
「バンドが無くなる」といった直接的なことだけでなく、それを維持しようとする心の豊かさが無くなる。その事はつまり「魅力を失う」ことだと気付くべきだ。
しなければならないのは、その一見「無駄」と思えることを活用する方向に発想すること。
実はその発想が既に「豊かさ」なのだと思う。