6月
30
梅雨

昔のように、穏やかな雨がしばらく続くのではなく、カァーッっと晴れたり急に土砂降りになったりはするものの、それでも今は梅雨。
真夏日になったりもするが、日が沈んでから熱風が吹くことはない。
しかしもうすぐ七月に入る。梅雨があけたら本格的に夏だ。また記録的な高温を記録する夏になるのだろうか。

さて、誰がどうあがいても時間の進み具合は変えられない。7月になり8月になる。宿題が片付かないままいつの間にか夏休みは終わり9月になる。
(そして、気が付けば秋が過ぎ冬が来る。あっという間に新しい年を迎え桜が咲いている。)

その間、自分は何が出来るのだろうか。何をすべきだろうか。
出来ることと出来ないこと。
やるべき事とやってはいけない事。

今まで私がやってきたことは一定の誇りと自信があるのだが、1つだけ欠点があるのを知っている。
膨大な時間と労力が必要なのだ。
その欠点を補うにはあまりにも時間が無い。
自分の無策を恨むしかないかな。

6月
29
想いの

強さ。
想いは目に見えないから、強さとか重さとかなかなか伝わらない。

しょうがないかな。
どれだけ無理しても理解できなかったらそこから先へは進まない。

苦しいね。
でも何時かは判る時が来るだろう。
そのときにまた改めて進み出せば良い。

6月
27
夢を

語る。語りたい。

夢は大概、将来に対する期待だ。(夢で過去を論じることは少ないと思うから…。)
こうなりたい。
こうありたい。
自分が。周りが。世界が。

当たり前だが、夢の段階ではその事は実現していないから、実体や結果は全く無い。
あるのはイマジネーションだけ。またそれを言語化や図面化(我々の場合だったら楽譜化)した、いわゆる設計図(夢を共通認識するための記号)だけ。

絵空事だけで話をすると、普通は現実味がないと嫌われるのかも知れない。「現実を見ろ!」と。しかしそれは、その絵空事を現実味のある物にしていく力が無い事が原因なのだろうね。その発想や経験も少ないのだろう。

私は文字通り無から有を生み出す訓練をしてきた。
しかも新しい価値観を見つけ造る方向で。二番煎じは恥なのだ。
だからいつも自分の中には既存の実体ではなく、新しいイマジネーションで膨れあがっている。
(もちろん、既存のものに価値がないということではない。自分が何かをするときに単なる真似ではだめだ、と思うだけだ。) 
 

大風呂敷を広げて壮大な夢を語る人が少なくなったように感じる。
特に若い世代は身の程知らずで、がむしゃらでかまわないと思うのだけれど。
「夢見たってどうせ…」な感じなのかな。
たまたま近くにいないだけかな…。

6月
26
喉元

過ぎれば熱さ忘れる、か。

あなた達は何故コンクールに出るのかな?
そのために何をやるのかな?
今まで以下だとしたら、いや、今までと同じだったとしても、それって意味あるの?
今までと同じではダメだから、変えなければいけないんじゃないの?

何やっても変わらない、変えられないんだったら、結局何処かの誰かたちと全く同じじゃん。
わはははっ、って笑われてそれでお終いじゃん。

変えられる、変えるんだ、というプライドを取り戻せなかったら、そして実際に変えて見せなければ、TSWで音楽をやる意味を見失うことになる。
そんなことのために今までやってきたのか?
 

少し思い出したので探してみたらやっぱりあったよ。
私は、とっくの昔から覚悟している。

6月
24
毒舌

で有名だった私の師匠。
確かに身も蓋もない言い方で相手を圧倒している場面は数多く見た。
しかし、それはただ罵倒しているのではないということを何となく理解はしていた。後に本人の言葉から「その解決方法を示すことが出来ないときは決して罵倒しない」事を知った。

さらに、圧倒的な態度で辛辣な言葉を吐き出す人なのに、自分が悪いと思ったときにはいとも簡単に「俺が悪かった」と謝っていた。相手が小学生だったとしても。

できの悪い学生時代から、少なくともこの二つだけは必ず真似しよう、と思っている。
でも実際にはなかなか難しいんだ。

カリカリに熱くなった合奏レッスンをしていて「バカヤロウ!」と怒鳴った直後、それが自分の勘違いだと気付いた時、素直に「ゴメン、俺が間違えていた」と言うのはなかなか勇気の要ることなのだよ。でも、それはどんな時でもするべきだと思っている。
−実際には「ゴメン、俺が間違った。悪いのは俺!」と、なんとか言えてるかなぁ?
 

「謝る」というキーワードで検索した。すぐに以下の物に出会った。
 [The Ethics of Apologies (BusinessWeek)より 実際にはこの訳文を見つけたのだけれど。]

【謝るとき】
1. 素早くミスを認め、自分の責任を取る。「私がミスしました」と言うべき時に「私たちがミスしました」とは言わないこと。
2. まず最初に、ミスをした相手に謝ること。その人に最も配慮しなければならない。
3. 心から謝ること。みせかけの謝罪は謝罪しないことと同じぐらい悪い。「僕は演技が上手い」などと思っていても、本気で言っているかどうかは他人の目から見れば明らかだ。
4. 「ごめんなさい」はただの言葉。その言葉に意味を持たせるには、ミスを繰り返さないようにベストを尽くさなければならない。そのための戦略を考え、徹底すること。
5. 意味のある謝罪というのは、弱さではなく誠実さの表れだ。誰でも他人を非難し、自分は悪くないと言い、真実を隠すことができる。強くて冷静な人物だけがミスを認め、本当の尊敬を得ることができる。
6. 助けを求めることを恐れるな。自分だけで出来ないなら、誰かに解決を手伝ってもらうこと。自分の手に負えない事態なら、別の人に引き継ぐこと。
 
(この後に【謝られるとき】と続くのだけれど、省略!)

その通りだな。
今までも「きちんと謝る覚悟ができるならば、ミスすることは怖くなくなる」と言ってきた。
「きちんと謝ること」と「自信を持つこと」は裏表だと思う。

また、きちんと謝るためにはまず「自分の非を認める」ステップがあると思うけれど、その勇気も大切だな。
「自分の非を認める」=「自分にとって不利になる」の発想から抜けられないとどうしてもその勇気は出ないね。とてもちっぽけなままだ。

何らかの事情で、自分の意志とは裏腹に本来するべき事が出来なくなったとき、さらにその事によって事態が悪化していくとき、自分ではどうしようもないもどかしさと、いきり立つ憤りは、どうすればいいのか?

6月
22
人として

の成長は著しいと思う。
思いやる心。
関わろうとする心。
見極めようとする心。

しかし、だからといって少々楽器が下手でも構わない、と思ったら大間違いだ。
練習の手を抜いても許される、と思ったら大間違いだ。
音楽は馴れ合いではない。TSWは仲良しクラブではないのだ。

もちろん、人としての成長は一番大切だ。
しかし、その事は「即、素晴らしい音楽ができる」ということでは決してない。その前提にすぎないのだ。
ようやくスタート地点にたどり着いた、と思えばいい。

言い換えれば、全ての人がそのスタート地点に立てる訳ではない、ということだ。
しかし、スタート地点が最終目的ではないことは誰でもわかるだろ?

求められていることは、成長した心を持って正しい練習を妥協することなく継続していくこと。

迷わず次のステップに進もう!

6月
20
根は

深い。とんでもなく。
入力不可能なモンスターは数限りなく。
とても太刀打ちできない。

せめて、大切な宝物を精一杯守り愛しみ育てる。
私のやり方で。
悩みも増すが「正しい道が楽な道だとは限らない」。

本質を見逃さないように。

6月
15
コンクール

に向けて全開にしよう!

悩みに悩んだけれど。
課題曲は5、江原大介作曲「躍動する魂」に。
自由曲はP.Hindemith作曲「March from ‘Symphonic Metamorphosis’ of Themes by Carl Maria von Weber」だ。

確かに難易度はとても高い。

しかし、一つずつ確実に。
ゆっくりでかまわない。しかし間違いなく。
その積み上げが大切なのだ。
粘り強く、最後の最後まであきらめることなく。
焦って適当になってしまったら負け。

人によっては今まで経験した事のない練習を積む事になるかも知れない。
しかし、やった事ないから、といって投げてしまってはいけない。捨ててしまっては絶対だめ。
やり方を覚えよう。行き着くところまで行ってみよう。

そして成し遂げたときの感動を知って欲しい。
絶大なチャンスなのだ!必ず物にして見せよう!

そしてこのことは全ての事につながっていく。
必ずあなた達の生きる力になる。

素晴らしい演奏のために。
感動の渦に巻き込まれるために。

6月
12
笑う

しかない、という場面に遭遇した。
久しぶりだ。
もちろん、楽しくて、面白くて、笑うのではない。
クスクス、うふふ、なんてものではない。

わはははははっっっっっ!
いっひっひっひっっっっっ!
えへっ!えへっ!えへっ!えへっ!
あ”〜〜〜〜〜くるしい〜〜!
がはははははっっっっっ!
 

悲しい、悔しい、苦しい、どうして!…などが度を超していくと、笑うしかなくなる。
こんな感じの時は、人の感情の安全装置が働いているのだと思っている。

そうなってしまう状況については複雑に考え感じている。悲しい、悔しい、苦しい、どうして!…、な状況がどれだけ心を圧迫しているか、痛くて涙が出る。

しかし、一方できちんと安全装置が働いて笑いこけているのを見ていたら、ほんのちょっぴり安心した。
「壊れていない!」

しばらくの間笑って、だいぶ落ちついた。
いくら笑っても何も解決もしないだろうが、それでも心のバランスはかろうじて保たれたような気はする。

こんな様子を見て「何も解決しないのだから笑うなんて不謹慎だ、とんでもない!けしからん!」という見方をする人も世の中にはいるのだろうな、なんて考えたことも事実。

6月
12
自信

が無いんだな、と思う。

ネットをさまよっていたらこんな言葉を見つけた。

○何事も決断できない人は、何事においても自分を頼ることのできない人のことです。
○自信をつけるためには「相手に依存しないこと」。 これしかないと思っています。
○自信とは、自分で自分を頼ることのできる能力なのです。

などなど。なるほど、そうだよなぁ、と。
こんなのもあった。

初心者だとか経験がないとかは、他の誰かと比較した場合の話であって、自信とはそれこそ「どれだけ自分を信じられるか」という「心の強さ」の問題だと私は考えている。

特殊なパーソナルな問題かと思っていたけれど、どうも「類は友を呼ぶ」のか、そういった個が集まってできた集団も性格はほとんど変わらないようだ。当然と言えば当然か。

腹立たしい、ではなく、とても残念。