6月
27
語る。語りたい。
夢は大概、将来に対する期待だ。(夢で過去を論じることは少ないと思うから…。)
こうなりたい。
こうありたい。
自分が。周りが。世界が。
当たり前だが、夢の段階ではその事は実現していないから、実体や結果は全く無い。
あるのはイマジネーションだけ。またそれを言語化や図面化(我々の場合だったら楽譜化)した、いわゆる設計図(夢を共通認識するための記号)だけ。
絵空事だけで話をすると、普通は現実味がないと嫌われるのかも知れない。「現実を見ろ!」と。しかしそれは、その絵空事を現実味のある物にしていく力が無い事が原因なのだろうね。その発想や経験も少ないのだろう。
私は文字通り無から有を生み出す訓練をしてきた。
しかも新しい価値観を見つけ造る方向で。二番煎じは恥なのだ。
だからいつも自分の中には既存の実体ではなく、新しいイマジネーションで膨れあがっている。
(もちろん、既存のものに価値がないということではない。自分が何かをするときに単なる真似ではだめだ、と思うだけだ。)
大風呂敷を広げて壮大な夢を語る人が少なくなったように感じる。
特に若い世代は身の程知らずで、がむしゃらでかまわないと思うのだけれど。
「夢見たってどうせ…」な感じなのかな。
たまたま近くにいないだけかな…。