開け放した窓を通して、時として、しとしと降る雨音とともに鶯の鳴き声が聞こえてくる。
しかし、アブラゼミも聞こえる。梅雨が明けたかどうだか知らないけれど、とにかく夏なのだ。
合宿開始だ。
昨日の演奏録音を聞いた。
うーん。
正直、これじゃ全然ダメだ、と思う。
こなされていない事は山のようにある。
やるべき課題は数限りなく。
ダメ出しは際限なさそうだ。
自分のミスを認識していく作業は辛い。誰だって嫌だ。
楽しくおもしろおかしく愉快が良いに決まっている。褒めてもらい、喜びに満ちた練習をしたいに決まっている。
ゴミは誰でも触りたくないものだが、ゴミが減らなければ掃除をした事にはならない。
同様に、ダメは見たくないし知りたくないが、ダメが減らなければ、練習した意味がない。
自分のミスを認識していく作業があって始めてそれを乗り越える嬉しさ、楽しさを感じるのだ。
昨日、会場のロビーに座っていて、少し離れたところに落ちているゴミに気がついた。鼻をかんだ後のティッシュのように見えた。すぐに拾える状況ではなかったのでそのままになっていたのだが、ある一団の生徒が通り過ぎようとしたとき、その中の1人がそのまますっとしゃがみ、そのゴミを拾い、周りをちらっと見渡し(たぶんゴミ箱を探したが、無かったからだろう…)、すぐに自分のブレザーのポケットしまった。しかも、その動作はみんなと楽しく話しながら何のよどみもなく一連の動きだった。
言うまでもなく、彼女たちの学校は招待で素晴らしい演奏をした。
ゴミ拾いを嫌がっては決して綺麗にならない。
ゴミを見逃さない。見て見ぬふりしない。
幸いな事に、再度ダメ出しをするチャンスを戴いた。
さらに鮮烈にダメ出しをしようと思う。
今、このタイミングでダメ出しが出来ることは、この上なく幸せな事なのだ。
いつの間にか雨も上がり、最初の練習が始まって楽器の音も聞こえてくる。