急に思い出したある話。
何かで読んだか、聞いたか。ドキュメンタリーだったかなぁ。
おぼろげな記憶を頼りに書くので多少の脚色があります。
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大きな悩みを持ち、生きる望みを失った少年(少女だったかも知れない)が、最後の最後で電話相談に頼ってみることにした。
北陸東尋坊にある電話ボックスはとても大きいのだ。イスつき。「その前に電話しろ」と電話番号が書いた張り紙がたくさんある。
電話相談員は男性で、長い時間少年の話に耳を傾け、相談に乗り、穏やかに、しかししっかりと励ましてくれた。
少年は彼の話を聞いて、もう少しだけ生きてみようと思い、電話を切った。
ところがやっぱり希望は長く続かず、数日後命を絶つ決意をし、先日の電話相談の彼にお礼を言おうと再度電話をかけた。
電話相談の彼は、事情を知ってか知らずか、再び電話をくれたことを喜び生き生きと少年にいろんな話をする。少年はそんな彼の話しぶりによって心が動き再度生きてみようと思うのだ。
その後何度も電話で話をしていくうちに少しずつ気持が前向きになり少年はすっかり元気になっていく。
生きる気力を取り戻したとき、少年は電話相談の彼にお礼に行こうと苦労して家を探し当て訪れる。そしてとてもびっくりするのである。
やっと探し当てた命の恩人は、人生のラストステージで自分で用を足すことも出来ないずっと寝たきりの老人だったのだ。
老人は言う。「自分の体はこんなんだが、まだまだ最後まで社会の役に立ちたい。何が出来るかと考えたら、電話相談なら寝たきりでも出来る、若い人の相談なら自分の人生経験を生かせる、と気が付いた。」
少年は思う。本当は自分がこの死を目前にした老人を励まさなければいけないのに全く逆だった、自分は愚かだったと。そして生きる気力を呼び戻してくれた老人に心より感謝するのである。
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思いやりってなんだろう、と考えたことも思い出した。
「人の役に立つ」という発想はどうも偽善に思えて気に入らなかったときだから。
この話を知って、「そうか、思いやりは一方通行ではいけない」と。
とかく、強い者が弱い者を、かばう、守る、ような意味合いで「思いやり」というが、実は違うのではないか?
弱い者が強い者を思いやることだってあるんじゃないのか?
何が「強い」「弱い」のかで意味合いが変わってくるけれど、少なくとも一方通行ではいけないのではないのか?
そんなことを当時考えていた。
今も同じだ。
相互に関わること。
一方通行でなく。
それぞれの立場を尊重して。
それがアンサンブルだ。