3年計画その後。
本当に様々な事があって1つの本番がある。
一番大切なのは、その場にいて、そこで音を出し演技をした人が、何を考え何を感じるか。
その事がその人のその後にとって大切なことになり得るか。
最近呼ばれていくつかのバンドでレッスンをしている。そこでこんな話を聞いた。
「コンクール前の練習では、感情を捨てて音程を合わせてください、っていう練習をしていたんですよ。私は違うと思うんですけど、そうでなければ東海大会には行けないから、って。何か違いませんかねぇ?」
「東海大会に行くこと」が目標だったらそれでも良いのかも知れない、と思うのは大きな間違い。最近のコンクールはそんな悠長なことでは太刀打ちできないところまでレベルが上がっている。
そりゃ、音程は合ってたほうが良いに決まってます。いや、合ってなければ論外でしょう。でもそれだけじゃダメ。いくら音程が合ったからといって東海大会に行けるほど簡単じゃない。
もっとも大切なのは「音」ではなく「音楽」だからね。サウンドではない。
「音」は単なる素材・材料であって決して料理の完成品にはなり得ない。
その辺りの「音楽の本質(?)」みたいな話は、もちろん色々な考え方があって良いのだけれど、しかし、見て見ぬふりをして議論さえしないのが現状だと思う。
だから吹奏楽の若い世代が「良い音楽」=「金賞・代表になること」と見事に短絡していくのだろう。
ただでさえ日常は「人の豊かさ」や「心の温かさ」に気付きにくい生活をしているみたいだから。
そういった事を少しでも伝えていかなければ「音楽」はより貧弱になってしまう。つまりそれは「人」が限りなく貧弱になっていく一番の要因なのではないか、とさえ思っている。
TSWではとにかくそれを伝えたいと思ったし、力の限り伝えたつもり。
伝えていく条件としては難易度の高い環境だったと思う。
超強力形状記憶合金。自身の性質もさることながら風土も手強い。
厳冬氷点下20度の中で湧かしたコーヒーが、口元に持ってくるまでに冷め切ってしまう。何度湧かしても同じ事。体を中から温めたいのに…。そんな感じと似てる。でも…。
人としての力を取り戻してくれたのは一人や二人じゃなかったと思う。お互い苦しい苦しい道のりだけれど乗り越えた人には解るだろう。
現状だってそうだ。みんな必死で自分を取り戻そうとしている。もしかしたら周りのオトナの思惑とは違う方向へ行くかも知れないけれど、それが「自分らしさ」につながるのならそれで正解だと思う。自信を持てばいい。
音楽ってそんなことが滲み出てしまうのだよ。さらにマーチングは動きが伴うから、視覚によって誰もが見抜くことができるようになる。
「誰かに厳しく調教されたからしょうがなくやる」のではなく「自らの意志で高い集中力を持って一歩を踏み出す」演技をして欲しいと心から願う。
TSWなのだから。
3年計画その後。誇りと自信を持つ準備は出来たか?