コメントの裏側。
11月21日のレッスン時に少し詳しい話をしようと思っていた。しかし、練習の内容はそれどころではなく、時間延長してもなお3楽章を一通りレッスンしていくことで精一杯だった。だから、するつもりだった話はしないままレッスンは終わった。
最近は誰もが便利に使うインターネット。特にケータイを巻き込んでブログなるものが発達してる。勘違いが多いが通常これは全世界に向けて公開が前提だ。いつどんな人が覗きに来ても良い。希に自分のブログを知らない人が覗きに来た、と怒る人がいるが、それはファミレスで大声で会話して、見ず知らずの隣の人に聞かれ笑われた、と怒るのと同じだ。怒るような内容を公衆の面前で喋るほうが悪い、と思っている。
出来なかった話をいつ伝えようか、と考えたとき、次は1ヶ月ほど先なんだよな。また同じように話をする時間はないかも知れないなぁ。じゃぁ、その次は?いつ?
みんな何かと忙しいから、なかなか上手くいかないかもね。
手遅れにならなければいいのだけれど、と強く思う。
(私の思っている優先順位と違う場合もあるだろうから「何が手遅れか」は、人によって違うかも。)
何の事やらさっぱり判らないかもね。
でも、今までにたくさんの事例を示してきた。着目点のヒントも、具体的な策も提示した。実際ギリギリのところでなんとか解決できたことも一つや二つではない。
もちろんその1つ1つの事例そのものを見直しても判らないだろう。それは個々の問題だから。
そこで行われた思考の方法やパターンの数々が何かの力にはなるかも知れない。
当たり前だと思っていること、出来たと思っていることは如何なる場合でももろく崩れ去るかもしれない、という想定はしておくべきだ。そして、そんなことにしたくないのならば打てる手は打ち続けるべきだ。
逆に、それで構わないのなら、ここで書いている事は無意味で全く必要はない。
このところ続けて書いているWIND MESSAGEの内容は、実は連続している。
そして主語が省略されている場合がある。
対象を明言していない事も多い。
(公衆の面前だからね。)
しかし、風任せとはいえそれなりに重要な発信はしているつもり。
(わかる人が判れば良い、というスタンス。)
ということで、誰もが一読して判るようには書いていないのでした。
(自分でも十分承知なんだよ、読んでも良く解らないからアクセス少ないんだって。)
譜読みって大切だよな。