2月
08
育てる

愛知県の文化施設でJAFRAアワード受賞館は二つ。
うち一つで先週、吹奏楽フェスティバル。
今週は、もう一つでジュニアユースウィンドアンサンブルの発表会。

双方とも吹奏楽での関わりで、中身は青少年の育成を期待されている。
活動はとても先進的で有意義な取り組みだ。
そんな立派な意識を持っている方々(他の出演者や指導者、主催者)と練習、本番の合間、終演後などおおいに話しをした。
話題の多くは、「(育てることが)なかなか難しくなってきた。」の一点に絞られる。

昨日のこと。
本番中ホールの中で電話をかけている親がいたそうだ。周りの人(同じ観客)が注意すると「なんでそんな事あんたに言われないかん!?私の勝手でしょ!」だったそうだ。
特に最近多いらしいが、かといって最近の親世代が…、ということでもないらしい。
和太鼓のリサイタル、遅れてきた老人が演奏中、中に入ろうとしたので「演奏中の出入りはご遠慮ください」って丁寧に注意したら「俺は客だ!入れろ!」

そんなこんなの多すぎる障害の中で、健全な青少年育成を本気でやろうとしても自分の無力を思い知るだけで苦しい。本来やりたいことに行きつく前のトラブルが多すぎる。

だから、学校現場はほとんど諦めているようにも見える。何かあれば即教員の責任を問われ学校の見識を問われ足をすくわれる。誰だって痛い目には遭いたくないから差し障りのないところまで。

話していくうちに、学校教育ではなく、もっと別、社会教育の範疇での対策のほうが有効なのかも、と思うようになってきた。
しかし個人の力だけでは如何ともし難い状況まで来ているだろう。
何かもっと大きな組織的な動きが必要なんじゃないか。

2月
04
立春

だけど、まだまだ寒い。雪も降るかもしれない。
その中で梅の蕾は少しずつふくらみ、メジロが山茶花の中で遊ぶ。
昨日は豆撒いた。犬が喜んで食べた。自分も年の数だけ食べた。

そういえば郡上では2月1日で鱒が解禁だなぁ。
どれくらい行ってないだろう…。
肩のリハビリに竿出すってのも良いかも知れない。あ、痛くて合わせられないかもな。

いずれにしても、春は近い。

理科のテストで「氷が溶けると何になる?」の問いに、「春になる」という回答はつくづく秀逸だと思う。

2月
04
半年

で瓦解。
ビジョンを確認出来ない集団は目的を見失い、志を忘れ、耕作放棄農地のように急速に荒れていく。
手が出せないのだから致し方なし。

「ザルで水を汲むみたいなもんだ。ほとんど不可能かもしれないけれど、やり続けていたら、ゴミや水ゴケでザルの目が詰つまり、少しは水も汲めるようになるかもしれない。それを信じてやり続けるしかない。しかし、とても大変だし時間がかかる。」

少しでも手をゆるめるとたちまち汲めなくなるんだな。しかも自覚症状が無い事が多い。
いや、汲み続けていてもそれは単に無理が重なるだけなのかもしれない。しばらくすると突然拒否されてしまったからね。何度も。

ということは、所詮叶わぬ夢を見ただけなのか。

2月
01
最近の

新聞より。

「何でも時代のせいにしてりゃあ、そりゃあ楽だわな」。 〜中略〜 「時代」を「他人」あるいは「世の中」にしても、その意味はほぼ変わらない▼何でも自分以外の「せい」にしたがる甘えと未熟が、凝縮し、暴走したのがこの事件だっただろうか。

あんな大きな重大事件(秋葉原でおきた無差別殺傷事件)でなくても、この事に起因するトラブルは日常頻発する。しかし1つ1つはほんのちっぽけな事件だから、当事者はその重要性を認知できないまま見過ごしていってしまい、いつの間にかさらにトラップの奥深くまではまり、結果取り返しのつかない所まで発展する。
なんといっても「〜そりゃあ楽だわな」だからね。大概、人は楽な方へ流れる。

もひとつ。

「倹約に努める美徳的な行動が、まとまれば結果として人々の生活をさらに脅かす。浪費や美食など、多少の悪徳を許して刺激しないと、経済は生きていけません」

うーむ。多少の悪徳か。有る意味、文化はそれだな。
決して直接的ではないけれど、文化が豊かになることによって脅かされる生活から逃れることが出来る。即ち、人の生活が(心が)安定していくのだろうから。

2月
01
第6回

長く続いているなぁ。
地元の吹奏楽フェスティバル。継続は力なり。

回を重ねる毎にパワーアップしていると思う。
多くの賞賛の声をお寄せいただいた。
「演奏者の素晴らしい顔に感動した」
「参加者全員の大勢での演奏、というだけで感動していたレベルから、音楽としての感動に変化しているよ」
参加した生徒が、わざわざ私のところまで駆け寄ってきて
「音楽って本当に楽しい、って感じました、ありがとうございます!」

なんといっても地域力だと思う。
そして毎日地道に現場で活動している方々の努力の賜だろう。

世の中、事業仕分けで大変なのに「来年もよろしくお願いします」と言っていただける。もっとも仕分けられそうな文化教育事業なのに。
行政、教育、地域、家庭、それぞれの文化に対する熱意、それらの連携、さらに啓蒙の努力。

そんな背景があってこそ、演奏直後のみんなの顔が素敵に輝いている。
この瞬間は何にも代え難い。心の宝物だ。