2月
01
最近の

新聞より。

「何でも時代のせいにしてりゃあ、そりゃあ楽だわな」。 〜中略〜 「時代」を「他人」あるいは「世の中」にしても、その意味はほぼ変わらない▼何でも自分以外の「せい」にしたがる甘えと未熟が、凝縮し、暴走したのがこの事件だっただろうか。

あんな大きな重大事件(秋葉原でおきた無差別殺傷事件)でなくても、この事に起因するトラブルは日常頻発する。しかし1つ1つはほんのちっぽけな事件だから、当事者はその重要性を認知できないまま見過ごしていってしまい、いつの間にかさらにトラップの奥深くまではまり、結果取り返しのつかない所まで発展する。
なんといっても「〜そりゃあ楽だわな」だからね。大概、人は楽な方へ流れる。

もひとつ。

「倹約に努める美徳的な行動が、まとまれば結果として人々の生活をさらに脅かす。浪費や美食など、多少の悪徳を許して刺激しないと、経済は生きていけません」

うーむ。多少の悪徳か。有る意味、文化はそれだな。
決して直接的ではないけれど、文化が豊かになることによって脅かされる生活から逃れることが出来る。即ち、人の生活が(心が)安定していくのだろうから。

2月
01
第6回

長く続いているなぁ。
地元の吹奏楽フェスティバル。継続は力なり。

回を重ねる毎にパワーアップしていると思う。
多くの賞賛の声をお寄せいただいた。
「演奏者の素晴らしい顔に感動した」
「参加者全員の大勢での演奏、というだけで感動していたレベルから、音楽としての感動に変化しているよ」
参加した生徒が、わざわざ私のところまで駆け寄ってきて
「音楽って本当に楽しい、って感じました、ありがとうございます!」

なんといっても地域力だと思う。
そして毎日地道に現場で活動している方々の努力の賜だろう。

世の中、事業仕分けで大変なのに「来年もよろしくお願いします」と言っていただける。もっとも仕分けられそうな文化教育事業なのに。
行政、教育、地域、家庭、それぞれの文化に対する熱意、それらの連携、さらに啓蒙の努力。

そんな背景があってこそ、演奏直後のみんなの顔が素敵に輝いている。
この瞬間は何にも代え難い。心の宝物だ。