4月
16
普通

って何だろう、って考えた。
今、普通である事の価値は随分高いらしい。

しかし、人ってそれぞれ唯一無二だろうが。それぞれが特別な存在ではないのか?

「普通」が大切でないとは決して思わない。
しかし、「普通」というレベルを目指すべき目標にしてしまって良いのだろうか?

そういえば、人と意見が違うことに関して極めて敏感で恐れている、と感じることが良くあった。
「人と違って当然」という、ごく当たり前と思っていることがなかなか伝わらなくて歯がゆい思いを何度もしたな。
「人と同じでなければならない」という強迫観念に支配されているようにしか思えなかった。

ずっと昔、ルーズソックス全盛の頃、
「何故、みんなそんな格好するの?」と聞いたら、
「これは個性の現れです」と答えた人がいた。
「みんな同じ格好してるから、どうしても個性的とは思えないんだけど?」
「いえ、それぞれの履き方に個性があるんです!」
なんだかとってもささやかな個性の感覚にびっくりした覚えがある。

(ルーズでないソックスを履く人に対しては、その個性を認めるのではなく仲間はずれにされてしまうんだけどね。)最大公約数の中にいる安心感なのか。
 

私は人と違う新しい価値を見いだすことが大切だ、という道を歩いてきた(つもり)。

例えば、ものすごい努力をしモーツァルトそっくりの曲が出来るようになった(…それはそれでものすごいことだと思う…私には出来ない…)としても意味はない。なぜならもう既にモーツァルトは存在してしまっているから。クローンは要らない。目指すべきはモーツァルトを超えること、もしくはモーツァルトとは全く違う価値の創造だろう。
例えば、名演といわれるCDそっくりそのまま演奏が出来たとして、それは「勉強」としてとても大切なことだけれど、自分の表現としてはあまり価値はない。その演奏は敢えて自分である必要がないからね。他の誰でも構わない。(上海では盗作騒ぎが起きてるね。)

だから、個とか個性とかの受け止めがどうやら少し違うのかも、という気がしてくる。
確かに、コストがかかるし、そもそもリスキーだからなぁ。

一方、オンリーワンで在ることの大切さを強調したら、ナンバーワンを目指すことからの逃げだ、と強烈に非難されたこともある。(いや、確かにそれも判るけれど、そういった意味じゃなくて…)と思ったものの、その時はきちんと説明できなかった。
そんな私でも、「普通が目標」という意識はやはり「逃げ」に感じる。
 

百歩譲って、「『せめて』普通でありたい」、なら理解できると思った。
昨日、TV番組を見ながら考えたこと。

4月
13
居心地

が良いのは快い。
しかし良すぎるのもダメなのかも知れない。停滞してしまうから。
次に行くことが大切だとしたら、居心地の良い場所からどうやって離脱しようか。

考え方は二つ。
一つは、実は現状居心地が良くないからもっと快適な場所を探したい、と思うこと。ごく自然だ。
もう一つは、今も居心地悪くはないけれど、もっと快適な場所があるはずだ、と敢えて飛び出すこと。少し勇気が要る。

自宅から出て一人暮らしを始めること。
ある政党を飛び出して新党結成すること。
住み慣れた所から見知らぬ土地に引っ越すこと。
親しい人がたくさんいるコミュニティを出て見知らぬ人ばかりの集団に属すること。

緊張と緩和。
ストレスと解放。
ドミナントとトニック。

ストレスがあるからこそ解放に指向するのであって、ストレスは悪だから無くせ、とは少し違うような気がする。それだと、いわゆる平和ボケと変わらなくなってしまうのではないか。
お腹いっぱいだともう食べたくない。「空腹とは最高のスパイスである」 は言い得て妙。
1コード(1つの和音)だけの音楽は、ある1つの状態を表現できるかも知れないけれど、ダイナミックなドラマを表現するのは苦手だ。
友達同士みたいな気楽な家庭だと、敢えて飛び出し苦労して一人暮らししようとは思わないのかも知れない。

現状から飛び出すのには背中を押してくれる何かが要るのだろう。
誰だって居心地の良いところから外に出たいとは思わないから。

そういった意味で特に若いうちに、出来ればそこにいたくない、チャンスを見て飛び出したい、(しかし大切な何かを得ることの出来る場であること)という状況に在るのは、とても貴重で大切なことなのではないか、と考えた。

4月
12
試算

高速道路の料金が変わるらしい。

今まであったETCの特別割引きもなくなるようで、通勤割引きとか深夜割引きとか、仕事で毎日近距離で高速道路を使う人にとってはとてもありがたかったのだけれど。
ま、今さらなのであまり影響はないが。
 

私は、毎日の通勤で名古屋瀬戸道路:長久手IC〜東名高速道路:豊川ICの往復をしていた。
朝は通勤割引き、帰りは通勤割引きが効く時間だと良いのだけれど、なかなかそうも行かず遅くなって夜間割引きもしくは深夜割引きが適用されていることがほとんどだった。

で、割引きが無くなるとどうなるのか、と思い試算してみた。

長久手IC〜日進JCまで ¥100 日進JC〜豊川ICまで ¥1550 合計 ¥1650 往復で ¥3300
ほぼ休み無し毎日 一ヶ月30日だとして ¥3300×30
をぉ。すごいな。ほぼ¥100000だ。
通勤と深夜の割引き率は5割だったから、この差はとてつもなく大きい。
休日割引きで名古屋瀬戸道路も¥70になったりしてたから、ちっぽけだったけど恩恵はあった。

かたや遊びに行く遠出は安いまま。値上げだって言うけれど上限¥2000だぞ。
なんか間違っていない?
渋滞は酷いし。すぐ事故で止まるし。豊田JC付近は日本中で一番日常的に混むんじゃないのか?
これじゃ勤労意欲無くなるよな。

ついでに。
距離は片道だいたい65km。燃費が7.5km/リットル。往復消費量は約17.5リットル。
ガソリン(レギュラー)¥130/リットルだとして、一日¥2250。 一ヶ月で¥67500。
へぇ〜。一体何やってたんだろうね。3年半も。

時間は渋滞無ければ、ほぼ1時間。
一方、公共交通機関だと歩きを入れて2時間半強。もちろん片道だから往復5時間の計算。
当時、時間を金で買う、と思っていた。疲れたらSAに停まって車内で寝れたしね。

4月
11
手紙

が昨日届いた。
この3月TSWを卒業した人達から5通。
ありがとう。

私がやりたかったこと、やりたいこと、目指したいこと、様々見えてきているようで嬉しい。
さらに心底判るようになるのにはもう少し時間がかかると思うけれど、最後までやりきった人達なのだから必ず。じわじわと。

やったか、やらなかったか、の違いは時が経てば経つほどはっきりと。
種がなければ決して芽は出ない。しかし、あなた達は開墾され種蒔きされたのですから。

4月
10
もう5年も前

だったんだな。WEBをさまよってこんなの見つけた。
名古屋ハイスクールバンド2005の記録。
このページの下の方「名古屋ハイスクールバンド2005 第30回名古屋吹奏楽フェスティバル演奏報告 (練習風景…)」あたりのリンクをたどってみてください。

丁寧に練習の記録を取ってくださっている。こんな記録は少ないから本当にありがたいことです。

そういえば、このときの本番終了後の記念写真をTSWに置いてきたかもなぁ…。

当時一緒にやったメンバーの噂を、それこそ風の便りで聞くことがある。
何とも嬉しい瞬間だね。

4月
10
再度

侵入者。本日の朝。
全く同じ所に同じように。

足跡これは足跡。

残留物残留物。

カラーだとあまりにリアルでグロテスクなのでモノクロにしてみた。
吐出物ではなく糞かもしれない。だとすると全くの未消化だ。柑橘系の臭いすらする。

実は前日、掃除して洗い流しさらにアルコールで消毒してみたのだった。
それが気に入らなかったのかしら?

4月
09
密かに

WEBコンテンツを追加しつつあります。
その結果、このブログページはそのコンテンツの一部になります。

何とか形が見えてきたので、いくつか入り口を作りました。
どこにあるか探してみてください。今までのリンクも新しい別のページへのリンクになっている場合があります。

携帯電話アクセスでも見ることは出来ますが、あまり綺麗に表示できないかも知れません。メニューは一番最後に出ます。
出来れば、PCやスマートフォンのような端末でご覧いただくのが良いかと。

どうか引き続きお楽しみ下さい。

4月
07
侵入者?

本日、朝ベランダにて、侵入者の形跡発見。

椿の木が伸びてベランダにかかっているのだけれど、どうもそこからの模様。
被害はない。いや、あるか。ベランダが汚れた。
形跡とは、なんと、吐出物だったから。
内容は全てキンカンの種が茶碗一杯くらいの量。

最近の観察により、侵入者はアライグマではないか、と推測される。
側溝にて足跡発見、調査によりアライグマと疑われる。
夜中、猫とも鳥とも違う鳴き声。
夜、自宅すぐ近くで車のヘッドライトに一瞬映し出された白い輪っかの尻尾。多分アライグマ。
存在は確実だろう。

ペットから離脱し、自然繁殖してしまった移入動物。
困ったものだ。

4月
06
「予定調和」

そして「会議あれども議論なし」
そうそう、そうだったなぁ。あそこは。
初めに結論ありきで、まさに会議は「アリバイ作りのセレモニー」だった。
 

さて。
先日、「アンサンブルしても面白くないんです」という話を聞いた。
下手じゃないんですけどね、という言外の言葉があったようななかったような。
「でも、別の○○とやると面白いんです」

詳細な状況がわからないから推測の域を出ないけれど。
たぶん原因は何かわかる気がするよ。

面白くないアンサンブルというのは、議論のない会議みたいなものではないのかな?
退屈で時間がもったいない、とか、決まってるんだったらやる意味無いじゃん、とか。
白熱した議論をするんだったら戦い負けたくないし、同調して盛り上がるんだったらそれはそれで楽しい、のに。

根は深い。
私にとっては「面白くないアンサンブル」と「議論のない会議」は同義なのだが…。
少なくとも、そこにドラマは無い。

追記
決して収束しない平行線の議論も勘弁だ。議論の意味はない。
(あそこのように、初めに結論ありきだとせっかく議論の場を設けても聞く耳持っていないからな。)

4月
05
睡蓮鉢

が玄関先にいくつか置いてある。

一番大きな鉢にはヒツジグサが入っていて、昨年の夏はとても調子よく毎日花を付けていた。未の刻に花を付けるのでこんな名前がついたのだとか。以前はチャワンバスも入っていたのだがいつの間にか消滅しちゃった。
もう一つはコウホネ。たまに黄色い可愛い花を付けていたが最近は咲かない。手入れ悪く株が弱っている。
少し背の高いのにはヒメガマ。これも最近はガマの穂付けない。手入れが悪いのだ。
とうとう冬に凍って割れてしまった濃いピンク色のヒメスイレンの鉢は、素焼きの普通の植木鉢に植え替えてブリキのバケツに沈めてある。緊急避難だ。
 

さて、このうちヒツジグサとコウホネが、何故だか水がこぼれたように周りが濡れている事がある。
最初は雨が降ったか、と思っていたけれど、そこだけに降ることもあるまい。

状況からして多分、鳥が水浴びをしているのだと思う。
どちらも水の深さがそこそこあるから、スズメとか小さい鳥ではなく、もう少し大きいのではないかと。
しかし、なかなか目視確認できない。
家の中かからでは死角で見えないのだ。
ずっと外で待っている忍耐力もない。

ヒヨドリか、ムクドリか、モズか、…ハトかも。
カラスではないと思うが。

本当はそこにメダカを入れたい。
入れて良いものかどうか、このところずっと迷っている。