果物の桃ではない。
ミヒャエル・エンデの同名の作品。日本では児童文学というジャンルに分類されるのかな。
時間泥棒とそれを取り戻そうとするモモのお話。
この辺りの説明が私の印象と一番近いような。
映画化もされている。「はてしない物語」と違い思いのほか原作に忠実だ。といっても限界はあるけどね。
蛇足ながら「ネバーエンディングストーリー」と「はてしない物語」は似て非なる物でしょう。
その中に、急げば急ぐほど遅くなってしまう場面がある。
追っ手に追われ焦って先を急ぐほど追いつかれてしまうのだ。
その時は、逆にゆっくり歩くと良い。ゆっくりになればなるほど先に進む。
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とても天気が良く、桜満開で、しかも近くの公園の桜祭りイベントで火縄銃の模擬連射が続きそうだったので、避難がてら音響シャイなせろりをドライブに連れ出したのだった。
道すがら、桜も満開だったが桃も満開で見事だった。
で、「桃源郷」って意味は判るけど、桃の字を使うのなんでだっけか?とか、仙人って良いなぁ、とか、とりとめもなく様々なことが頭の中を巡り、ついには、エンデのモモを思い出したのである。
そして、
「自分の中に流れる時間は、どんどん遠ざかっていないだろうか?」
「必死に(身の程忘れ)流れを取り戻そうとしていなかっただろうか?」
と考え、次に、ようやくそんなことに思いを巡らせることが出来る程になってきたかもね、と感じたのだった。
桜は満開。
うじゃうじゃと人間がその花の下に群がってくる。
そして昔聞いた台詞を思い出す。
「桜の花は毎年新品です!」