5月
04
政治家・加藤紘一氏の記事。
2006年の終戦記念日に自宅を放火され全焼してしまったことからその記事は始まる。
〜前略
自分たちと違う発言をする人を許容せず、相手が折れないと実力行使に出る、もともとあったこうした底流に、ナショナリズムが盛り上がりやすい時代背景も重なっていました。
〜中略〜
強くて分かりやすいものにひかれ、言葉が激しいほどいいという雰囲気に満ち満ちています。
例えば、政権交代すれば幸せの青い鳥が現れる、と多くの人が思った。それが逆になっても、みなが押し黙っている。誰かがなんか言うと、深く考えずにワーッと同じ方向に動いていく。あるときは郵政改革、あるときはヨン様、そしてあるときは政権交代。
いくら異論を唱えても響かない。それは言論不自由社会です。
〜中略〜
「あれはなんだったのかね」という、失敗の分析をしない社会がこの国をいい加減にしていると思う。
流れで自分の考えを決めていくと、それに反するようなことは話さないようにしようとなる。そんな社会だと、イデオロギーで扇動する人たちにたやすく利用されてしまいますよ。
後略〜
このご時世、徒党を組み排他的になる要素は増加しているのだろうか。
ファッショに走るようになったら嫌だなぁ…。