月別: 2010年8月
ネイティブ化について考えているうちに、急にもう一度読みたくなった本。
その中の一節。
五感は最大の障害物
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ふたりはやがて、声や文字や記号に託すことばがいらない、まったき相互理解の境地に達する。思考や感情を共有するのに、いちいち象徴を使ってそれを表現する必要がないことがわかってくる。そして、たがいの調和を自覚したふたりは、自分たちが他のすべての生き物とも調和していることに気が付いていく。
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「 ヒトはイヌとハエにきけ―異種間コンタクトの方法 J・アレン・ブーン 著、上野圭一 訳 講談社」 より
(以前もちらっとここで紹介したことがある。)
ふたりとは、著者(J.アレン ブーン)とストロングハートとという名のジャーマンシェパード(イヌ)の事だ。
自分もイヌと生活を共にしていた経験があるから、ここに書かれている内容が単なる眉唾ではなく、出来得るならば自分もそこに行き着きたいと思うものだ。
そして音楽人として思うのは、ヒトとヒトが音楽を介してコミュニケーションできる可能性があるとすれば、さらにその延長線上にこの境地があって欲しい。
言い方を変えて、本来持っていたコミュニケーション能力を失った代償として、音楽をはじめとする芸術という一見いかがわしいモノがヒトの文化として成立してきたのではないかと。
しかし、その音楽でさえ今はその役割を充分に果たすことが難しい場面が増えているのではないかと。
先述の本は、今日の夕方、少しだけ気温の下がった風を受けながら、前半(イヌの部分)まで読んだ。
後半はハエのフレディーが出てくる。
特に導入のガラガラヘビのくだりは説得力があると思っている。
ゆっくり噛みしめながら読み進めよう。
そして、何度もはじめから読み返そう。
もう一つ引用を付け足そうと思う。
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「イヌにかんする事実がある。またイヌにかんする意見がある。事実はイヌのものだし、意見は人間のものだ。イヌにかんする事実が知りたいのなら直接イヌから知るしかない。意見がほしいんだったら人間にきけばいい。」
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2010/08/31 10:29
持病の関係で体重の増減がそこそこ(普通以上に?)ある。
最近になって、発病後一番体重落ちたところから、それ以前の最大だった頃まで復活してしまい、そこからなだらかに(それなりの努力をしながら…)元に戻してきたのだけれど、今は途中で停滞気味だ。
その間、服用している薬量の変遷もあるのだが、食事量と運動量とのバランスを見ながら、薬を少しずつ減らしたいと思いながら、なかなか良い着地点に至らない。
体重増減の最大原因の根っこはストレスだと睨んでいる。
イライラすると食べたくなるし、食べ過ぎるとてきめんに体に影響が出るし、体がしんどいとさらにイライラするし。
このところイライラはほとんど無いから少しずつ戻すことができているわけだ。
停滞で済んではいるが、まだまだ不安定だからすぐリバウンドする。油断するとすぐだ。
結局それは「食事のコントロール」という意志の強さだろうから、まだまだ修行が足らないのだと、自分を律するしかない。
とはいっても美味いものは食いたい。
たくさん食いたい。
でも、体はいじめたくない。
さらに、薬は減らしたい。
ふー。安定したバランスがとれるようになるにはまだまだ先だな。
そんな努力をせずに安定を維持できるようになるまで、継続すること。
途中で妥協して失敗しないようにしなきゃ。
そう、良くある禁煙の失敗のように。
私は、かつて一日3箱吸っていたヘビー(チェーン)スモーカーであったことを日頃全く忘れているところまで来たから、これは成功だと思うぜ。
だからウェイトコントロールも必ず出来るはず…だ…。
窓のすぐ外で二匹のコオロギが鳴き誇っているようだ。カネタタキも聞こえてくる。(思い出したようにカエルの声も混じるが。)
心地の良い風も入ってくる。時折うっとうしいくらいカーテンが揺れる。
昼間はまだまだ容赦のない猛暑だが、日が落ちると少しずつ過ごし易くはなってきた。
いろいろな夏の行事が猛暑と共に過ぎていく。
先週の土曜には地元の花火大会が終わった。
そうそう、庭のシシトウが此の期に及んでポツポツ実を付け始めた。
もう出来るわけ無いと思っていたので、取り損ねの少し赤みを帯びた二つを食したら辛かった。当然か。
それから気を付けて見てみると、小さいのが幾つも付いている。もう少しで食べ頃だ。
秋ナスも順調そうだ。まだまだ花も咲いている。
ぼちぼち秋の準備が要る、ということかな。
急遽近くの激安眼鏡屋に行った。
以前より知ってはいたけれど、さらに安値が強化されていて、レンズ付き眼鏡セット¥2000なんてモノがあった。
さすがにその値段ではフレームの種類が少なかったけれど、セット価格¥3000ならそこそこ選択肢があってそれなりのものを見付けたので、
「普段使いだから、こんな程度で良いや」
と即決してきた。
本番眼鏡(フォーマル用途)やサングラス(もちろん度付きの偏光)はあるのだから、普段眼鏡はTシャツ感覚で良いのだろうと。
一方、壊れたフレームの修理について尋ねたら、
「それだったらメーカー送りで直せますよ。費用は最低で¥7000ほどはかかると思います。期間は一ヶ月はいただきたい。」
だって。
直せない事も無いらしい。(直す価値はあるものなんだけどね。)
でも、新品で¥3000だよ…。
世の中の仕組みとして修理しながら長く使うといったような文脈にはどうしてもなりにくい。
壊れた。
昨日の本番前レンズを拭いていたら、何かがポロッ と。
よく見ると、片方の鼻あてが根本から無い。
ネジが外れたか、と思ったんだけどよく見たら折れている。
今まで一度もその兆候はなかったから金属疲労ではなく、蝋付けが取れたのでもなく、気が付かないうちに腐食が進み一気に折れた様子。
これは私の持っている技では復活不可能だな。
「夏祭りだからラフな格好でお願いします。」なので、普段使いしか持っていなくて(いつもは本番用眼鏡を使うんだけど…)、みんなの顔が見えないと困るから、
「あやしい〜」
「けど、まだ明るいから、アリですよ〜」
などと言われながらラフついでにサングラスで本番決行。(屋外だったからね)
ほとんどのメンバーはその事を知らず、私の登場時にみんなびっくり。笑ってた。
案外気に入っていた眼鏡だから、すこし残念。