9月
13
ま、つまるところ、何かカタチのあるモノがなければ人には伝わらない。
ここで書いた異種間コンタクトでも、ハエのフレディの見解を人の言葉として代弁しなければ他人には伝わらないのだから。
===
−−オレの曲は仕上がったか?オレの芝居の曲だよ。
ああ。
−−見せてくれ。
ダメだ。
−−何故だ?
見せるものがない。へへへ。
−−来週からの練習には間に合わせるという約束だぞ。
出来るよ。
−−スコアはどこだ。
ここだよ。もう全部頭の中に出来ている。後は書くだけだ。呑みながら書く。へへへ。
−−書くんだよ、書いてくれ。ウォルフィ、頼むから紙に書いてくれ。
−−君の頭の中ではどうにもならない。
映画アマデウスの終盤に出てくる、魔笛の依頼者とモーツァルトのやりとりの一節。
どんなモノでも、カタチにならなければ伝わらないし残らない。
===
ポツポツと頭の中に貯まってきたモノをカタチにしなければ、とそろそろ焦りだして急に上記エピソードを思い出した。
もちろん私はアマデウスなわけが無く。
「呑みながら書けばいい」なんて芸当は逆立ちしても出来っこない。
頭の中にはほんのちっぽけなかけらがいくつかあるだけ。
それらをカタチにするために七転八倒のたうち回って何度もやり直しながら、上手くいかないことばっかり。
出来たモノを振り返ると後悔の塊でしかない。
それでも何かしらの誰の目にも見えるカタチにしなければ次に進まないからね。
今の私にとって最重要課題は「とにかく紙に書く」だ。
さて。