11月
28
仕事部屋の

照明器具が壊れた。
ドーナツ型の蛍光灯32型と40型の2連のもの。インバータでリモコン付き。天井の埋め込みローゼットに直付けタイプ。
少し前から調子悪くて、何度も取り外して接点掃除したりしていたんだけど、とうとう、反応しなくなっちゃった。

同じような照明器具って案外高価で、即取り替えるのは躊躇する。
何か良い暫定代案はないかと近くのホームセンターで物色する。
あるある。
レセップキャップという、ローゼットに直付けで電球のソケットになるもの。¥310。
電球型蛍光灯スパイラル球という、電球60W相当(実際には消費電力12W)のもの。¥299。LED球ではないが白熱電球でもないので、ある程度エコではある。
2点合計¥609。

取り付けて少しびっくりした。
もちろん見てくれは悪い。今までの器具の跡がくっきり天井に残っていて綺麗ではない。
しかし、今までと明るさに遜色がないのだ。白いカバーがないからとか、要因はいろいろあるだろうが。
普通に仕事したり作業したりするのに暗くて困ることはない。

あたりまえだが照明器具の本来の役目は明るさ。好みの明るさや色もあるだろうが、とにかく基本は真っ暗なところが明るくなること。
それ以上のこと、例えばスイッチ入れるとすぐ明るくなることとか、リモコンで操作できることとか、部屋の雰囲気に合うデザインとかいうのは皆、単なる付加価値だ。
そうか、その付加価値を手に入れるためには20倍近くの価格になるということなのだ、今までとほとんど同等の基本性能はさほど高価ではない(¥609!)のだ、と理解した。
そして「これがエコだ」とも思った。
 

「基礎って、なんだと思う?」って記事を先日書いたけど、そういうことなんだな。
もちろん付加価値が不必要だとは思わない。いやむしろ大切な要素だ。そこには文化が生じるだろうから。
しかし、本来必要な基本性能を見失って付加価値ばかり求めるのは虚しいように思う。
 

音楽が、単なる付加価値になってしまっていないか?
音楽の基本性能ってなんだろう?

11月
26
桜と紅葉

数日前の新聞で紹介されていた。
旧小原村の四季桜。
楓の紅葉と相まって不思議な美しさ。
桜は満開。紅葉は絶好調。
小原四季桜

9年前、やはり今と同じような生活だったときも見に行った。
でも、それから随分変化していた。
小さな苗木達は大きく立派に成長し、いたるところで花を付けている。
当然、皆に知られるところとなり、早朝から多くの人が訪れ、駐車場は有料になり、観光バスが何台も連なってくる。
小さな山里が一時賑わいを見せる。

なんにせよ美しい。

11月
24
昔の

演奏記録を聴き直したり見直したりしてる。
VHSビデオだったりDATテープだったりするデータを、最近のメディア(DVD-VIDEOや音楽CD)に変換するデジタルファイル化のために。

その時々の状況で頑張っていたと思うが…。
だいぶ時間が経ってはいるけれど、あらためて聴くと予想通り恥ずかしい。
「もっともっと出来たはずだなぁ」
「どこかで妥協したり諦めたりしてたなぁ」
 

いつまでたってもその繰り返しか。
いや、それがその時生きていた証しだということにしておこう。

11月
15
つい先ほど

DVDを見終わった。「GO」
監督:行定勲、脚色:宮藤官九郎、撮影:柳島克己、主演:窪塚洋介。
昨日原作読んで、今日映画。

僕はちょっと緊張していた。オヤジが口を開いた。
「左腕をまっすぐ前に伸ばしてみな」
僕はとりあえず言われた通りにした。オヤジが続けた。
「腕を伸ばしたまま、体を一回転させろ」
「は?」
「足をその場所から動かさないで、どっち回りでもいいから回ってみろ。コンパスみたいにな」
オヤジの顔は真剣だった。僕はためらいながらも、左腕をまっすぐ伸ばしたまま、左回りに体を一回転させた。僕が再びオヤジとまっすぐ向き合うと、オヤジは言った。
「いま、おまえのこぶしが引いた円の大きさが、だいたいいまのおまえという人間の大きさだよ。その円の真ん中に居座って、手に届く範囲のものだけに手を出したり、ジッとしたりしてればおまえは傷つかないで安全に生きていける。言ってること、分かるか?」
僕はゆっくりと頷いた。オヤジは続けた。
「お前はそういうの、どう思う?」
僕はすぐに答えた。
「ジジくせえ」
オヤジはニカッという笑みを浮かべて、言った。
「ボクシングは自分の円を自分のこぶしで突き破って、円の外から何かを奪い取ってこようとする行為だよ。円の外側には強い奴がたくさんいるぞ。奪い取るどころか、相手がお前の円の中に入ってきて、大切なものを奪い取っていくことだってありえる。それに当たり前だけど、殴られりゃ痛いし、相手を殴るのだって痛い。何よりも殴り合うのは怖いぞ。それでもおまえはボクシングを習いたいか?円の中に収まっているほうが楽でいいぞ」
僕は少しもためらったりせずに、答えた。
「やる」

GO / 金城一紀

映画の中でも、大切な台詞は原作に忠実だ。
こうやって書き出したくなる。

11月
15
来年の手帳

を探した。

以前はずっと長期間バイブル型のシステム手帳だった。
スケジュールは、見開き週間バーティカル土日均等タイプ(この形式名称はつい最近知った)を使っていた。
一日の予定覧が縦型で時系列順に書き込めるヤツだ。しかも、土日覧も他の曜日と同じ大きさになってる。
私にはとても便利だったが、リフィルを探すとき、苦労するようになってきた。なかなか見つからないのだ。
週間予定タイプが8種類ほどあってもこのタイプはないことが多い。
しかも、見つけても特殊だからか、結構な値段することが多い。

昨年は、大きなシステム手帳は便利だけど仰々しくてスマートでないなぁ、と思うようにり、値段も完成品手帳とさほど変わらないし、また荷物の重さを減らすため(昨年は肩が痛かった…)に、とそんなこんなで、普通の市販手帳に変えた。
 

しかし、やはり市販手帳でも見開き週間バーティカル土日均等タイプを探すのが一苦労なのは変わりがない。
慣れているから使いやすくてどうしてもそれが良いのに、昨日探し回ったときは見つからなかった。
「気に入ったモノがない」のではなく「まったく無い」のだ。

しょうがないから、マクロで曜日や祝日を計算できるシステム手帳用リフィルのエクセルデータをネットで見つけ自作しようとした。
自分が使いやすいように加工しながら2011年1年間分エクセルデータを作り、後は印刷、まで来たところで、はたと仕上げをどうしようか悩んだ。
単票両面で出力してシステム手帳に戻るか、製本印刷して針綴じにするか。
システム手帳を止めた経緯や、簡易製本で1年間持つのか、などを考え込んで、再度売り物を探すことにした。

今日は近隣で一番大きい本屋に行った。
沢山ある手帳の山の中から、やっと数種類だけ見つけ出した。
選択の余地はほとんど無い。
いくら何でも24時間刻みのスケジュールはいらないので、さらに選択は狭まり、残るは一種類。

それしかない。でも、必要充分ではある。
いろいろ回り道をしたがようやく、お買い上げ、であった。

見開き週間バーティカル土日均等タイプ、使いにくいのかな?
なぜこんなに少ないんだろう?

11月
14
印象的な

台詞。最近読んだ本の中から。

「基礎って、なんだと思う?」
「いらないものを削ぎ落としていって、必要なものだけを残すことだ。いまのおっさんの頭の中とか体の中には、余計なもんがたくさんついてる。そんなわけで、まずは基礎作りから始める。分かったな?」

フライ、ダディ、フライ / 金城一紀 より

これ、高校生の台詞なんだよね。

11月
12
読書の秋

って云う訳でもないのだけれど。
時間はたっぷりあるから最近色々本を読める。

今封切りしてる映画「SP」、どうも、深夜TVでドラマやっていた頃からファンらしい。
原作は金城一紀なのだけれど、その他の作品の著作や映画やテレビドラマも、ある物全てを見たく読みたくなったらしい。
その関連で「DVD借りに行こう!」「本買いに行こう!」とあちこちの古本屋、レンタルDVD屋、もちろん普通の本屋、に連れて行けといわれる。どれも一度見ただけでは細かいところが解りにくいらしいのだ。

始めは「ふーん」程度で付き合っていたのだけれど、読んでみたらなかなか面白い。
社会の深いところをさらっとえぐりながら痛快だ。

特に、落ちこぼれ高校生・ゾンビーズ・シリーズ
 レヴォリューションNO.3(2001年) 漫画化 
 フライ、ダディ、フライ(2003年) 映画化・漫画化 映画はDVDで見ることできる。
 SPEED(2005年) 漫画化
の3部作。
こんな奴らいたらいいね、といいながら何度も読み返してる。

他にも直木賞受賞作品「GO」とかあって次はどれ読もうかと、これまた楽しみな悩み。
他にも少年犯罪とか教育システムとかの本も平行して読んでいるけど、なかなかどうして時間を忘れる。

…やっぱり、読書の秋です。

11月
11
DVD-NAVI

が、このところずっと不調だった。
Panasonic CN-DS110 ポータブルDVDナビ。06年製。
ディスクへのアクセスが出来ず、地図データを読み込めない。

ずっと以前、近隣数県程だけ簡易地図データをSDカードに入れてあったので、とりあえずそれで地図表示や現在位置がわかるような動きはする。
でも、新たなデータは読み込めないから目的地の検索できない。それじゃ、あまりナビの意味はないな。

で、DVDのディスクドライブ不調だろうと、本体を分解してみた。でも結局ドライブのユニット毎交換しなければならないように思えて元に戻した。
ジャンク品手に入れてユニット交換出来るかも、とあらためてぐぐる先生にお聞きすると、ジャンクの不具合が「地図データは読めない、しかし、DVD-VIDEOは見れる」というものが結構あることがわかった。
ん!ならば、と思い、DVD-VIDEOを入れてみると見事に再生できる。(タッチパネルの反応が若干鈍くなっていることも発見したが…。)
DVDドライブは、調子よくチャプター探したり、動画の最後まで行ったり、トップメニューに戻ったり元気そのものだ。

原因はディスクぽいぞ。
地図ディスクのバックアップ取ってそれで動かしてみたらどうなるか、とやり始めたが、残念ながら片面2層のメディアの手持ちがない。
とりあえずのテストだから、もう一度DVDの盤面をチェックし楽器用の高性能ウェスで拭き掃除してセット。
電源ON!
3回やって一勝二敗。おぉ、1回は動いたのだ。

ハードは何の問題もなく、デスクのメディアエラーであることがほぼ確定。 (註  後日、違う、と判明)

最新版の地図ディスクを手に入れるのが最良の方法だろう。
が、何とか生き返らす方法も探ってみたい。

継続検討することにした。

11月
09
先日の

講演会、このページで知ってご参加いただいた方がいらっしゃるのかどうかわかりません。
もしいらっしゃったら、もう少し深い、進んだ部分をお聞きになりたかったのかも知れないな、と思います。
日本へのローカライズ、という部分です。

私の感触ですが、まだなにも始まっていないのかな、です。
レクチャー以降にもお話しする機会があったのですが、やはりあまりその部分は見えませんでした。

提案があるというより、むしろ「これを参考にして何かやってみたら?」な感想です。

で、その日の夜 始まる、のではなく、始めろ、ということなのだな。 と書きました。
今の気持はさらに 諦めろ が加わり、三つ巴の堂々巡りが始まっています。

もう少し切り込んで考えなければなりません。

何が出来るか。

11月
07
アンサンブルの

レッスン。
朝9時半到着で、すぐさま演奏時間を5分以内にするためのカットの相談。検討する時間ももったいなくそのままレッスン突入。
そして50分一コマで休憩無し午前中3つ連続。昼休み15分を挟んで午後4つ連続。ご多分に漏れずレッスン時間延長し少しずつずれ込んでいく。
さすがに最後はしんどかったな。

しかし、とても充実した時間。至福の時間と言っても良い。

アンサンブルによって人と人が繋がることを理解して、にわかに音が変わっていく。音楽の流れが出来る。
何故だか解らないけれど、人の持つ暖かさや豊かさが、発せられた音から滲み出てくる。
突然、テクニックが上達した、なんて事ではない。
楽器始めてまだ一年未満だったりするのだから、音さえうまく出せないことだって数多い。
心のありようが変わったのだ。アンサンブルの仕組みを知ったのだ。
ただそれだけで音が変わる。音楽になる。
その礎となる豊かな心は誰しも遜色なく存在している事の証明だ。

当たり前だが、決して世界の頂点の技術や音楽ではない。比べようもない。
どこにでもある、ありふれた高校吹奏楽部。
名を馳せた有名伝統校ではない。
そんな決して恵まれた環境ではない学校の普通教室に、音楽の本質を見ることが出来るなんて、誰も信じてくれないだろう。

あ、いるかも。そこにいたそれぞれ数人のメンバー達は、今は解らなくても年月が経った後に解るときが来るかも知れないから。
いや、きっと解るときは来るだろう。レッスン中の生き生きとしたキラキラの目がとても印象的だ。

そんなところには世間のフォーカスはまず当たらない。
そんなちっぽけなこと誰も気には留めてくれない。
もちろんTVや新聞の取材が来ることなどあるわけがない。
当事者以外誰も知ることのないまま、がほとんどじゃないかな。

しかし。
そのちっぽけなことの積み重ねが人の幸せを作るのではないか。
そのちっぽけなことこそ、脈々と続く人の営みであり、音を通じて人と繋がることの幸せであり、目一杯自分と向き合って生きていくことなのではないか。

そんなこんなを、どうやって広げていったらいいのか。

昨晩横になってから「出来ないかも知れない」と思ったら悔しくなってほんの少しだけ涙が出た。
その直後だっただけに、みんなの生き生きとした目と心温まる豊かな音に救われた。
ボコボコにダメ出しされて思いっきりへこんでいる生徒ですら、悩んでいる姿が瑞々しかった。
諦めちゃダメ、と言ってくれてるんだと痛いほど感じた。