月別: 2011年3月
有名だった師匠。
「怖くてしょうがない」という人をたくさん見たし、その反動で聞く耳を持たない人も多く見てきた。誤解されることは多々。
でも、一度懐の中に入ってしまうと決して「怖い」や「身勝手」ではないことが良く判ってくる。
「単純に言いたいこと言っているだけじゃないんだぞ。チャンとその解決方法を教えられないときは決して言わないんだ。」と、密かに私に教えてくれたことがある。
知ってからその線引きを厳格に守っていることは良く分かった。
「判っているのに言ってやらなければむしろ失礼じゃないか」と。
そして「どうしたら良いのか判らないのに軽々しく言っちゃダメだ。それは無責任だ。」
それをなかなか理解してもらえないリスクは百も承知だったようだ。
言えば「出る杭は叩かれた」と思われ、言わなかったら「相手にもしてくれなかった」とかなんとか。
実はとっても繊細な人で、こんな事もあった。
ある有名なプロバンドの委嘱曲(5作品あるシリーズ作品のうちの一つ)の録音(超有名な棒振氏と超有名なプロのバンドの演奏)が上がってきて「おぉ、録音来たぞ、聴くか?」と一緒に聴いていたのだが、聴きながらどんどん顔が曇っていき「なぁ、俺の曲が悪いのか?譜面の書き方が悪いのか?」と私に何度も尋ねるのだ。
その後も何度も聴き直して、その都度黙って考え込み何人にも同じ事を尋ねたようだ。見るのが辛かった。
私たちが「いや、これは演奏が悪いんです。」といっても「いやいや、この棒でこのバンドだぞ?」とうなだれるのだった。
ケーブルテレビに釣りチャンネルがあって、その中の番組の一つに四国の奇才と言われる釣り名人の番組がある。
初めて番組を見てその人の言葉を耳にした時は「何言っているのか良く分からない??」「こんな乱暴なこと言って良いのか?」とはらはらどきどきした。文句も多いし身勝手だし。言いたいこと言い放題だし。
しかし何度もシリーズで番組を見てその世界に慣れてくると、細やかな気配りが随所に溢れてとても暖かい人であることが判ってくる。
磯の名人のようだが、鮎も渓流も筏も何でもやる。いつも同じメンバーでチームを組んで本当に楽しそうに釣っている。
なかなか語法を理解するのに骨が折れるが、雰囲気だけでも案外伝わってくるのが面白い。
言葉尻からだけでは真意は分からないのだな。
以前からもそうなのだが最近特に言葉の深さに対して慎重になろうと思っている。
自分が発する言葉は特に。
しかし、それがとても難しい。
ノルウェーの劇作家ヘンリック・イプセンの戯曲「ペール・ギュント 」の劇音楽。グリーグ作曲。
冬も春も、そして次の夏も過ぎ、一年がまた流れ去る。
でもわたしにはわかっている、あなたはいつか戻ると。
だからわたしは待っていよう、あなたに約束したとおり。
放浪の旅に出たままのペール・ギュントを待ち続けたソルヴェイグ。
何十年もたった後に戻ってきた彼に、既に白髪の老女となったソルヴェイグが歌った子守歌。
ソルヴェイグの腕の中でペール・ギュントは本当の安らぎを見つける。
なんと苦しくはかない歌だと、ずっと思っていた。
「私の時間を返せ!」って思わないのかなぁ、と。
しかし最近なんだか思いが変わってきた気がする。
案外苦しくはないのではないか、と。
まだはっきり説明出来ないけれど。
啓蟄の今日、春を待つ事をつらつら考えていたら、こんなところに行き着いた。