月別: 2011年4月
一歩を踏み出した。
小さいけれどとても意義のある重要な一歩だ。
椅子に座った足が床につかずぶらぶらさせながら、それでもたくさんの小さな真剣な瞳が私を射抜く。
反応の早さはこれまでの経験をはるかに超える。
何の躊躇もなく間髪を入れず問いかけに応えてくれる。
小気味よいことこの上ない。
楽しい一時間半はあっという間に過ぎた。
みんなにとっては有意義な時間になっただろうか。
きちんと何か伝わっただろうか。
やり残しや言えずじまいは限りなく。
アレもやりたい。コレもやりたい。
とはいっても限られた時間の中でどれだけのことが出来るのか。
もっと時間が欲しい。毎日でも。
この先、この小さな一歩を僅かずつでも重ねていく。
苦難を乗り越え継続すること。
いずれ、たくさんの人が同じ一歩を重ねるようになり、当たり前な大きな道になっていくために。
今日はその始めの一歩が踏み出された記念すべき日。
Nシステマ始動。
組織の力。
このひと月ほど様々な事象を見て感じていること。
とにかく人の力はすごい。
凄まじい状況の中、老若男女を問わず一人一人がしっかりと生きて他人を思いやり助け合う。
破壊や絶望を乗り越え前に進もうとする。
ようやくがれきが取り除かれた畑だというのに、もう耕してジャガイモの種芋を植え付けている映像。
漁師が魚採りに海に出るのに必ず船とエンジンが必要なんだ、だからこの工場を一刻でも早く再開するんだ、という船舶修理工場主の話。
自分の育った町だからそれを守るために被爆覚悟で現場に行く、という福島原発作業員の話。
一方、組織の力はなかなかそうは見えてこない。特に大きくなればなるほど。
一刻を争う状況の中、なかなか方向が定まらない。
−全て流された会社の社員雇用を守るための支援助成を受けたいが…。
それには社員のデータが必要です。
−流されちゃったんだから有るわけ無いでしょ。
支援するために書類データは必要な決まりなんです。
−…。
責任者誰や!出てこい!と言いたくなる場面は数限りなく。
確かに大きな責任が伴う決定はそこに至るまでのハードルが高いのは判る。しかしそれでも、まず始めに逃げ場作り、アリバイ作りありきに感じてしまう。どうしても責任逃れに見えてしまう。(もちろん担当者の個人レベルではどうしようもない事だろうとは重々承知なのが。)
一般個人もしくはそれに準ずる小さなコミュニティの範囲ではそのリスクと責任を伴う重大な決定をいとも易々とクリアしているのに。
このようなときの組織の役割っていったい何だろう。