5月
21
みるみる

変わっていく子供達。

なぜか。
・今までその状況になかった、というだけのこと。

なぜその状況になかったのか。
・単にオトナの事情。(もちろんやむを得ない場合も…)
 

みんなもともと素晴らしい力を存分に持っている。
発揮させたい。

5月
09
いつの間にか

黄金週間も終わり、とうとう夏日になるような頃合いになった。

そこここでは「カダイキョク」と「ジユウキョク」にまみれ出すんだろうな。
ああ、大変なことで。
…どこでどう間違ったのか。それとも始めから歩む道がまったく違ったのか。

−−
このところ意外な場所で何度も感じていることがある。
「人って誰か(何か)を支配したいんだな」と。
常に誰か(何か)に対して優位に立ちたい気持は、意識無意識関わらずかつて自分が支配された感覚の裏返しなんだ、とも思う。
その事を否定するつもりはさらさら無いのだが、イジメとか虐待とかの方向に作用していくのは避けてほしいと強く願う。
−−

最近よく耳にする「自分達はまだ良い方だ。他ではもっと大変な思いをしている人たちがいるんだから…」という言葉。
大変な思いをしている人を慮っているように聞こえる(いや、もちろんそれ以外の意味合いは皆無だろうと確信はする)けど、裏返すと「あそこまで大変でなくて良かった」という他と比較して優位であるというような閾下の安堵感が見え隠れするのは考え過ぎか。
ある特定の地方のナンバーの車に「地元へ帰れ」と落書きされてしまう悲しい話が現実にあるのならば、それは自分の優位性を確認し誇りたい作業に他ならないのではないか。
果たして、そんなどんぐりのめくそはなくそみたいことで本当に幸せは獲得できるのか。
今まで信じられてきた様々な価値観が液状化でぐらぐらになってきたように感じる今、もう少し支配とか征服とかのような他からの優位性と、人の幸せとの関係について考えを深めたい。

このことは昔からずっと心の中にくすぶり続けている「コンクールだから勝つためにやる事」の疑問についての考察にもつながると思っている。