10月
25
メールのやりとり

しばらくぶりにある人から連絡があった。
珍しく苦しんでいるよう。
(ま、調子の良いときは連絡の必要がない、って事だけど…。)

で、しばらく相談に応えるようなメールのやりとりしていたんだけれど、次第に私の様々な想いを一方的に綴るように変化していった。
申し訳なかったなと思い「これメールで書くんじゃなくてブログに書いた方が良いような内容なのかな。」と言ってみた。即座に
「ブログに書くべきですね。」って返ってきた。皆に周知しろということらしい。

といういきさつで、シリーズで転載してみることにする。ただし公開するために原文に少し手を入れる。

まずはとっかかりのもの。最初のメールの返信だ。
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日時: 9月8日
件名: Re: Sです。

一般的には、生徒の状態(テクニカルな面もメンタルな面も)を良く把握して、メンバーが出来る範囲(決して無理はしない、という意味でもないけれど)の中で、出来ることをやれる方法でやり、それで世が認める実績を作っていくのだろうなと思います。

私が思うような「生きる力」であるとか「アンサンブルする力」などという代物は残念ながら世が認めるためには説得力が少なく、教員の口上として発せられることはあっても本気でそれらを目指す事は少ない。せいぜい結果のおまけ程度にしか考えていないのだろうな、と思ってます。
(長いバンド指導経験で如何にマイノリティであるか良く解ってるつもりです。)

だから極論してしまえば、仲が悪かろうが本末転倒であろうが音程やアインザッツやラインが揃えばいいわけで、即ち「技術が高いことが」最大の解決への近道ということで、どんな手を使ってでも「高い技術を身につける」ことによってのみ全てが解決していく、のようなことを最優先にした指導がメインになるのかな。(誤解無きよう。不必要なのでは決してない。他に大切なことがあることを忘れている場合が多い、ということ。)
「ここに到達するとご褒美がもらえる」=「全国大会に出れば希望大学の指定校をもらえる」「そのために大嫌いな隣の奴とでも音程が合いさえすればよい」とかになってくると、モチベーションの持たせ方がなんだかなぁ、になってくるんですわ。簡単な図式で言ってしまうと(良い意味でも悪い意味でも)「如何に騙すか」なんですな。
その弊害として、いつの間にか意識の中で自分と他人を隔離して「自分はやっているのに、あいつは出来ていない、ケシカラン!」と他を非難することによって自分の立場を守ろうとする者が出てくるんです。攻撃は最大の防御ですからね。それでも成り立つんだったら構わないのかも知れないけど、バンドは人数が多いからなかなかそうはいかないよね。
どこでも常にコミュニケーションスキル不足から来るそのようなトラブルを抱えて苦労していますよ。

私は、それが嫌で、人との関わりから迫っていくから、理解してくれたら最強になるんだけれど、出来なかったら0のままなんですな、きっと。さらに、なぜか指導者になった私の教え子達はみんな私と同じような道をたどるようで。申し訳ない。

よく言われます。
「1、2年の時は言うこと(オレの事ね)さっぱり判りませんでしたよ。なんてやなやつ、と思ってました。」と実にあっけらかんと。その人のその時は全くの0だったんでしょう。
しかし3年になるころに変わった。時間をかけて少しずつ変わってきたのだと思います。彼女ですら2年かかった。

で、現在。
そんな人との繋がりを理解してくれるような生徒は限りなく減ったなと思います。ましてや入学時点で既に理解出来ている生徒は皆無でしょうな。

そんなのを相手にしているのですから、私のやりたいような音楽を目指すのに苦労は尽きませんわ。一人一人を通して世の中の大勢と向かい合っているようで無力感で打ちひしがれます。

> WIND MESSAGEの2008年9月から12月を読んでいてなぜだか涙がでてきました。

まさにこの頃は最大の苦労をしているときでしたね。大混乱している時期です。それでも私的には蛹が羽化する直前のような期待感はあったのです。傍目にはどう見えていたかは判りませんけれど。

ただ、無理すると自分の身が危ない。
(実際それが起こったわけだし。ただ、その結果下級生の成長は著しかったよ。唯一の救い。)
かといって何もしないでいてもラチがあかないから、じたばたするんですけどね。
探せば方法はあるのでしょう。思いもよらない方法を見付けるかもしれないし。
 

直接、練習いって生徒達の様子見たらもう少し気の利いたこと言ってあげられるかも知れないけれどねぇ。
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続編は続く。