月別: 2012年8月
Symphony No2 in D Major, Op.73 / Johannes Brahms
(交響曲第2番 ニ長調 作品73 ヨハネス・ブラームス作曲)
ずっと昔、ある人と話しをしているときになぜかこの曲の話題になった。(その人がバンドアレンジの演奏をすることになったんだったか…だったかな…。)
で、その人が唐突に私に尋ねた。
「ブラームスは何であんな和音つけたのかね?」
「えっ、どこのこと?」
「1楽章始まってすぐ2回目のホルンの出る前。」
「(えっ、そこ?)なんで、って言われても…。」
具体的には第一楽章冒頭9小節目。
小難しく言うと、この曲はD Durなのでその部分はH,D,Fisの構成音でVI度の和音になるところ。次の小節でII度調(E moll)になりホルンでテーマの確保が行われる直前だ。私は何の疑問もなくE mollに移るためのVI度だと思っていた。
「何であんな和音にしたのかな??」と大いに疑問のご様子。
彼が言うには「D durなんだからD,Fis,A(主和音)で良いじゃん。」と、随分強い主張だ。
彼にそんなことを尋ねられるとは思ってもいなかったし、あらためて聞かれどう答えて良いのか判らずに窮したのだけれど、私はようやく「ブラームスに聞いてみないと解らないねぇ…。」と曖昧に返した。
今日、突然にこのエピソードを思い出した。
バンドの様々なことに思いを巡らしている時だった。
いや、彼のこと云々を考えていたわけではない。
吹奏楽界では往々にしてあり得るこのような話しをつらつらと思い起こしていた時だ。
吹奏楽界では有名な彼がこんな質問を発することに吃驚したんだった。
「吹奏楽」って何だろ?
音楽を演奏する単なる編成の一つではないのか?
吹奏楽だって先祖代々脈々と受け継いできた豊かな音楽のはずなんだけど、(日本の)吹奏楽だけなんだか貧弱なことになっていないか?
終了してしばらく経つ。
〜ようやくコンクールについて少しだけ思いを吐き出せる気分になってきた。〜
今年も複数のバンドでレッスンを重ね、久しぶりにコンクールで棒を振り、他の演奏を聴き、たくさんの素晴らしい指導者の先生方とお話をさせていただいた。
様々考えた。コンクールの前も、最中も、後も。夢の中でも。
そして、やはり私自身のバンドに関する指向性は大勢とだいぶ異なっている事を再確認した。
音、とか、音楽、とかの指向性というより、スクールバンドとしての活動の指向性と言った方がより正確だろうか。
スクールバンド活動で何を一番目指したいのかと自問したら心の底から「スクールバンド(=若い世代のアマチュア)に対して、音楽もしくは音楽の在り方や幸せを伝えたいと強く願っている事」だと思っている。
が、現実には極めて難しい。コンクールという世界で成果を出す事と自分のやりたいことの両立が出来ないままだ。
「成果の出せないヤツがいくら何言ってもダメなのさ」
コンクール直後、帰宅途中にほぼ絶望に等しい感覚を持った。この感覚、一体何度目だっただろう。
しかし、何日か経ってある生徒から以下のような言葉をいただく。
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(前略)
昨日の演奏は本当に楽しかったです。みんなの気持ちが音や空気や呼吸や動きから感じられて、
いいバンドだなぁ。居場所はここだ。ひとりじゃない。って実感しました。
結果とか順位とかより、みんなと部活できないことに涙が出ます。
それが私は嬉しいです。そんな風に思えるバンドに居れたことが、誇りです。
(後略)
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私の想いは伝わっているのかな?つたわっていると思って良いのかな?音楽の幸せの輪が少しは広がったのかな?
「ダメかも知れない」と思う気持ちを「いやまだまだ!」と跳ね返すパワーを若い人達からもらったようだ。
希望がまた少し戻った気がする。
この夏、音楽を通して私と関わってくれたすべての人達に心より感謝。
みんな、ありがとう。
泣き言いってちゃダメだね。まだまだ頑張る!
柚子の苗が三鉢ある。数年前に種を蒔いたら発芽して植え替えながら育ってきているものである。アゲハチョウが卵を産みに来るので、すぐ葉を食べられて坊主になりかかるのだけれど何とか50cmくらいまでになった。蒔いた種は特別な物ではなくスーパーで食品として購入し自家製柚子胡椒を作ったときに出たもの。普通は間違いなく生ゴミ行きだよ。
我が家にはそうやって育っているものが他にもたくさん。良く発芽するアボガド、信州で買っておいしかったリンゴ(種類はなんだっけか)、枇杷(本当は土肥の白枇杷が絶品で種も持っていたんだけど保存が悪かったらしくまったく発芽しなかった)、紀州でよく見る三宝柑やパール柑など柑橘類6種。これらは熊野詣出に行ったときに入手してきた各種柑橘系ものが主体だ。
梨は三粒の種が発芽したんだけど枯れちゃった。沖縄のシークワァーサとか和歌山十津川のジャバラとかも種蒔いたんだけどダメだったみたい。
家人は「そんなコトしないでおいしい実を買ってきた方が速いし安い!」と言われてる。
そりゃ、出来れば花を咲かせ実を実らせ収穫まで持っていきたいとは思っているが、そんなことよりも、蒔いた種がちゃんと発芽し育っていくことが何やら面白いのですよ。
オーストラリアのユーカリのように山火事の高温に晒されないと発芽しないとか、そんな特殊な条件でなくても発芽させるのは難しいようで。夏に蒔いたのに冬の寒い時期を越してそのまま何も変化せず、それでも水をやり続けたら春になっって一斉に芽が出たのもある。せっかく発芽してもその後の条件が悪いとたちどころに萎えていくし。
芽の出たては本当にか弱いんだよな。枯れちゃった梨は本葉が4、5枚になったところで赤星病という病気にやられて全滅したんだ。葉に何だか赤い斑点がプツプツ出来たな、と思っていたら苗全体から気持ちの悪い髭みたいなのが無数に伸びてきて、ついに全体が枯れてしまったんだ。調べてみたらウィルスが時期を見計らって移ってきて梨をイジメルらしい。効果的な対策は無いようで、出来るのはそのウィルスのキャリアであるカイヅカイブキという樹を梨の回りから半径何kmで取り除く事だけのよう。それって個人レベルではどうやっても無理だなぁ。なかなか他所のお宅に行って「この木切り倒してください」とは言えないもの。だから果樹の産地では自治体の条例でカイヅカイブキの植栽を禁じているところもあるらしい。
種蒔きのきっかけは庭にある藪椿と柿。そこに留まった鳥たちが様々な遺留品を残しその中にあったのであろう種が次々と発芽していくのを知ったのが始まり。一度鳥の体内を通っているのに!種って凄いなと単純に感動したのである。
しかも発芽するだけでなく、例えば、そうやって始まったアスパラの株は毎シーズン食卓を賑わす。
で、鳥による偶然に頼るのではなく、積極的に種を蒔いてみよう!と。
か弱い苗が、手をかけ世話をすることでいつの間にかそれ自身の力で生きる力を得、生きようとする強い生命力を見せてくれる。
桃栗3年柿8年柚子の馬鹿たれ13年。欲をかいて成果物を期待してるのではなく、耕して種蒔きしたものが芽を出し育っていくこと自体が妙に嬉しい。どうやら、盆栽のように樹形良く整えるとか、花をたくさん咲かせるとか、美味しい実をたくさん実らす、のように他人の目にも見えやすい形ある事は二の次のようなんだ。
最近、それって私がバンドを通してやりたいこととまったく同じだって事に気が付いた。関わった生徒達に音楽の楽しさという種を蒔きたい。もちろん種蒔きするためには事前にちゃんと耕してあげないとダメだけど、蒔いた種が芽を出しある程度育ったら「音楽の楽しさ」という樹は自分自身でどんどん成長することが出来る。そうやって一人一人が自分自身の楽しさや喜びを得る事が出来るようになることが私にとってのなによりの喜びなんだ。
どんな種でも芽を出すことは出来るが種を蒔かなきゃ芽は出ない。しかし自分自身で種蒔きすることはとても難しい。
当たり前のことだけど決して忘れてはならない。誰かが種蒔きしなきゃ芽は出ないって事。
たまたまハードオフがあったので覗いてみた。
ガラスケースに入っているカメラを横目で流しつつ、その下に無造作に置いてあるいくつかのジャンク箱の中身を一つ一つ丁寧に物色する。いくつかKマウントレンズがある中に、smc PENTAX-M 1:3.5 135mmを見つける。
少々ゴミは入っているようではあるけれど、そこそこ綺麗そうだ。¥2100のシールが貼ってある。
迷うことなくレジに。(もしゴミやカビが気になるような代物だったらいつか分解掃除の練習台になってもらうつもり…。)
レンズキャップもマウントキャップも無いそのレンズを、そのままビニールのレジ袋に入れてもらってお買い上げでした。
まだ、しっかり撮っていないけれどこんな感じです。
あまり寄れないみたい。最短1.5mかな。
なのに、ずっとアブラゼミが鳴いている。
至近ではないが良く聞こえる。
一匹ではないようだ。
街灯が明るいんだろうか。昼間は暑すぎるんだろうか。何か気に入らないことでもあるんだろうか。
我が家の前の田んぼは、もう既に耕作していない。
そこら一帯が駅前の大規模商業施設開発のために区画整理に入っている。(といってもまだ亜炭坑充填工事真っ最中で商業施設建設は当分先の話のようだが…。)
だから、ここに越してきた頃にはやかましく騒々しかった蛙は今年はほとんど聞こえない。
子育中の近くを通るとけたたましく威嚇してきたケリももういない。
便利になることと裏腹に失っていく物は多い。
ファンタジエンのなかで、自分の希望が一つ叶う度に一つ自分のことを忘れていくバスティアンのようだ。
アブラゼミに壮絶な悲壮感を重ねてしまうのは考え過ぎかな。