柚子の苗が三鉢ある。数年前に種を蒔いたら発芽して植え替えながら育ってきているものである。アゲハチョウが卵を産みに来るので、すぐ葉を食べられて坊主になりかかるのだけれど何とか50cmくらいまでになった。蒔いた種は特別な物ではなくスーパーで食品として購入し自家製柚子胡椒を作ったときに出たもの。普通は間違いなく生ゴミ行きだよ。
我が家にはそうやって育っているものが他にもたくさん。良く発芽するアボガド、信州で買っておいしかったリンゴ(種類はなんだっけか)、枇杷(本当は土肥の白枇杷が絶品で種も持っていたんだけど保存が悪かったらしくまったく発芽しなかった)、紀州でよく見る三宝柑やパール柑など柑橘類6種。これらは熊野詣出に行ったときに入手してきた各種柑橘系ものが主体だ。
梨は三粒の種が発芽したんだけど枯れちゃった。沖縄のシークワァーサとか和歌山十津川のジャバラとかも種蒔いたんだけどダメだったみたい。
家人は「そんなコトしないでおいしい実を買ってきた方が速いし安い!」と言われてる。
そりゃ、出来れば花を咲かせ実を実らせ収穫まで持っていきたいとは思っているが、そんなことよりも、蒔いた種がちゃんと発芽し育っていくことが何やら面白いのですよ。
オーストラリアのユーカリのように山火事の高温に晒されないと発芽しないとか、そんな特殊な条件でなくても発芽させるのは難しいようで。夏に蒔いたのに冬の寒い時期を越してそのまま何も変化せず、それでも水をやり続けたら春になっって一斉に芽が出たのもある。せっかく発芽してもその後の条件が悪いとたちどころに萎えていくし。
芽の出たては本当にか弱いんだよな。枯れちゃった梨は本葉が4、5枚になったところで赤星病という病気にやられて全滅したんだ。葉に何だか赤い斑点がプツプツ出来たな、と思っていたら苗全体から気持ちの悪い髭みたいなのが無数に伸びてきて、ついに全体が枯れてしまったんだ。調べてみたらウィルスが時期を見計らって移ってきて梨をイジメルらしい。効果的な対策は無いようで、出来るのはそのウィルスのキャリアであるカイヅカイブキという樹を梨の回りから半径何kmで取り除く事だけのよう。それって個人レベルではどうやっても無理だなぁ。なかなか他所のお宅に行って「この木切り倒してください」とは言えないもの。だから果樹の産地では自治体の条例でカイヅカイブキの植栽を禁じているところもあるらしい。
種蒔きのきっかけは庭にある藪椿と柿。そこに留まった鳥たちが様々な遺留品を残しその中にあったのであろう種が次々と発芽していくのを知ったのが始まり。一度鳥の体内を通っているのに!種って凄いなと単純に感動したのである。
しかも発芽するだけでなく、例えば、そうやって始まったアスパラの株は毎シーズン食卓を賑わす。
で、鳥による偶然に頼るのではなく、積極的に種を蒔いてみよう!と。
か弱い苗が、手をかけ世話をすることでいつの間にかそれ自身の力で生きる力を得、生きようとする強い生命力を見せてくれる。
桃栗3年柿8年柚子の馬鹿たれ13年。欲をかいて成果物を期待してるのではなく、耕して種蒔きしたものが芽を出し育っていくこと自体が妙に嬉しい。どうやら、盆栽のように樹形良く整えるとか、花をたくさん咲かせるとか、美味しい実をたくさん実らす、のように他人の目にも見えやすい形ある事は二の次のようなんだ。
最近、それって私がバンドを通してやりたいこととまったく同じだって事に気が付いた。関わった生徒達に音楽の楽しさという種を蒔きたい。もちろん種蒔きするためには事前にちゃんと耕してあげないとダメだけど、蒔いた種が芽を出しある程度育ったら「音楽の楽しさ」という樹は自分自身でどんどん成長することが出来る。そうやって一人一人が自分自身の楽しさや喜びを得る事が出来るようになることが私にとってのなによりの喜びなんだ。
どんな種でも芽を出すことは出来るが種を蒔かなきゃ芽は出ない。しかし自分自身で種蒔きすることはとても難しい。
当たり前のことだけど決して忘れてはならない。誰かが種蒔きしなきゃ芽は出ないって事。