1月
31
きのこ?

あはは。なんだこれ。
面白い形。
三重県の伊賀上野(上野公園:伊賀上野城)にあったよ。
俳聖殿


そんなに古いものではなく、1942年(昭和17年)築。

「俳聖殿」という松尾芭蕉生誕300年を記念する下層八角形平面、上層円形平面の木造建築。屋根は桧皮葺。
2008年に三重県の有形文化財(建造物)指定、2010年に国の重要文化財に指定。
どうやら、このユニークな屋根は芭蕉の旅姿を模したデザインらしいです。

1月
26
いよいよ

明日。
第9回吹奏楽フェスティバル in NAGAKUTE。
思えば愛知万博のプレイベントで単発企画だったのに、今回で第9回。よく続いている。

その間、自身にも世の中にも色々なことがあり、様変わりしていったことも多い。
けれど、無謀とも言える全乗り200人を越える合同合奏は変わらず。

短い練習の中では、音符を並べることに精一杯で、音楽でもっと大切だと思っていることを上手く伝えていくことが難しい。
いつまでたっても全然ダメだなぁ、と悔しい。
それでも、思いを伝えていくと音が変わっていく。細かい指示をすることで変わるのではないから不思議だし凄いことだと思う。

細かい指示をして各々トレーニングをするつもりはない。というより出来る訳ないよ、この人数でこの時間内では。
そんなコトしたら時間の浪費でお互い気が滅入るだけだから、「各自でやってきた」という前提で進めるしかない。
ということでまったく別のことをやりたい、と思い続けて9回目を数えた。

漠然とした、言葉にならない何か。
雰囲気というのか、イマジネーションというのか。
一人一人の頭や心の中でぼやっと浮かんでいるだろう事々が音を通して伝わってくる。場合によっては強烈に伝わってくる。
音達や、メロディーや、和音や、休符さえ、「繋がり方」みたいなことを説明すると途端に音楽が繋がりだす。みんないつも「繋がりたい!」と心の底で思っているのだろうか。
オトノタテヨコヤキョウジャクを合わせることだけではない、もっと違う繋がり方を知ったら良いのにな。そうやって繋がりだすと、私には人の温かみを感じようになる。

お世辞にも上手い演奏ではないけれど、でこぼこの一人一人がお互いにうめ合わせながらいつの間にか大きな一つになる。
そこにいるみんなが繋がった演奏をしたい。

だからといってそんな演奏は生半可のことでは実現しない事も知っている。オトノタテヨコが合うよりもっとハードルは高い。人を試されるからね。

たった数十分の本番の間だけで良い。本当に繋がったと感じることが出来る演奏だったなら、そのたった数十分がかけがえのない一生の宝になるのだ、と思う。

1月
04
365分の1

12月31日の夜が明け元旦の朝が来る。
そうすると新年だ。

とはいっても年を重ねるにつれ厳かで特別な感じのするお正月感は薄まっているような気がする。
もちろん大切な1年の始まり日なのだから、ある種の線を越えていく緊張感やそこまで来た達成感のようなモノ、さらにはこの先の期待感などは依然としてある。

しかし、数日経った今日1月4日でも元旦と同じようにかけがえのない大切な1日であることには変わりない。
正月という特別な日だけではなく日常にあるほんのちっぽけな一つ一つ幸せの積み重ねが、やがて大きな満足感に繋がっていくはずだと思う。

正月だからこそ出来ることと、正月でも忘れてはいけないことと、両方あるんだなぁと思うが、ことさら日常として大切なことを忘れないでどんな日も365分の1年である1日を大切にしたい。
 

遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。