飛行機乗りと、ゲームのような飛行機戦闘シーンと、そこに絡むいくつかのエピソードが淡々と進んでいく感じ。
一体全体どんな背景でストーリーの本流はなんだろう、と考えながらも、普通のアニメ部分と戦闘シーンCGがあまりにも違い、その違和感で気が紛れて退屈にはならない程度。
最初の方で「キルドレ」とか「僕たちはオトナにならない」とか良くわからない単語が出てきてその意味を考えてもいたから、CG駆使の(たぶん自慢の)細かい飛行機戦闘シーンはしっかり観れていたかどうかは判らない。
しかし観終わったら、改めてもう一度しっかり観たい、と思い直す作品だった。戦争法人(戦争請負会社)の存在とか、主人公のセリフ「何度同じ道を歩いたって良いじゃないか」とか、を考えたくて。
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タイトル
スカイ・クロラ
The Sky Crawlers
監督
押井守
原作
森博嗣
【2008年 アニメーション映画】
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人間によって作られた「物」が人間の為に利用されていく。ごく当然。だが「物」の定義って何だろう。
アイボに対しては笑って済ますこと出来た。アシモは技術の進化って凄いぜと感心する事ができた。でも近い将来猛烈な勢いでメカや素材やiPS細胞なんかの技術が進んでいってしまうと「物」が「者」と区別つかないことになるかも知れない。そうなった時果たして人間は、区別の付かない「物」に対してどのような対応が出来るのか。
キーワードは「心(の在りよう)」か、これは昔々からずっと(これからも)変わらぬ大切なテーマだろう。だから多くの作品で物と者の線引きが曖昧になったそれぞれの側での悲喜交々を主題にするわけだ。
ここではさらに踏み込んで「機械に心はあるか?」ではなく(乱暴に言ってしまえば)「ペットは家族か家畜か?」に近い。
もう一つ気になるのは、スポーツニュースを見る感覚でその状況を受け入れている人達。
仮にその状況下では私自身はどうするのだろうか。どうすることが出来るのだろうか。
詳細を知ろうとせずに高みの見物を決め込む無知は避けたい、と思う一方、知ってどうなる?何が出来る?な感じもある。
きっと、知った上でしかし何も出来ない自分の無力に腹が立つことくらいしかできないんじゃないか。
で、観終わった後に少し苦しさが残るのだと思う。
せめてその苦しさはリアルに覚えておこう。