8月
07
誰かと何かを差し向かいで話し込んでいる。BAND(吹奏楽)絡みの話しだったと思う。
音楽の扱い方だったか運営のポリシーだったか、内容は詳しく覚えていないのだけれど相手が気に触ることを言ったのだと思う。
真剣に心の底から怒りを感じ、怒りの大きさではっきりと目が覚めた。覚めてからも怒りで震えていた。
昨晩寝入りばなのことだ。
特にこの数年、夏の時期、自分の非力に対して悔しさを刻み、何とかしてそこから抜け出す事に傾注してきたつもり。
今年もやはりその悔しさは感じたのだが、どうやら一つ段階が進んだような気がする。悔しさと同じかそれ以上の怒りに似た感情が生まれてきたのかも知れない。
先の夢の話しは、その直前に考えていた事に由来してたのだろう。つまり吹奏楽コンクールの在り方とその審査に求められる内容について。
それは例えば、数年前トモダチ作戦で希望の光を乗せて東北の空を飛び回ってたヘリが墜ちたことに対する短絡的な感情とか、今でも汚染水が溢れ続けているのに、生活維持するには電気がたくさん要るから動かせ、とか、自分ちの周りでは止めろ、といったりするのと同じレベルのモノとして自分は捉えてるみたいだ。
もちろん全てがおかしな事になっているのではない。誠実に賢明に物事が進んでいることも少なくないはずだ。
しかし、この大きなうねりは止められないのか。加速していくだけなのか。そのうち呑み込まれてしまうのか。
本日は愛知県大会2日目。
私と関わった団体も出演する。ぜひ舞台の上で音楽の愉しみや幸せを感じることのできる演奏をと、願う。