7月
31

バンド漬けの毎日にぽっかり1日空いたから、指揮棒よりもう少し長いものを振りに越前海岸へ行ったのだけれど、残念ながら貧果であった。
帰りに南越前町の蓮池(花はす温泉 杣山)で久しぶりに写真を撮った。

めちゃくちゃ暑い中、K-x使ったんだけど、写真撮るの久しぶりで設定の仕方忘れてた。
マニュアルレンズ付けたら絞れなくて、全部開放。
50M


SMC PENTAX-M 1:1.7 50mm 1/6000 開放 鮮やか

50M


SMC PENTAX-M 1:1.7 50mm 1/6000 開放 鮮やか
 

どうやっても絞って撮れないし、もちろん絞り込み測光も出来ないし、どんどん暑くなり朦朧としてきたのでマニュアルレンズは止め。(原因はとても単純なことでMモードにしていなかっただけ、と後で判った。)
ジャンク入手で改造(ズーム全域でマクロ可)済みのSIGMA 28-80mm 3.5-5.6は100Dsに付けて貸してたからそれは使えず、おなじくジャンク入手のSIGMA 100-300mm 4.5-6.7 DLに変えてAvで続行。
SIGMA300 1/1600 F6.7


SIGMA 100-300mm 4.5-6.7 DL 300mm 1/1600 F6.7 ほのか
少し後から手を加えてみた。

SIGMA250 1/1000 F6.7


SIGMA 100-300mm 4.5-6.7 DL 250mm 1/1000 F6.7 鮮やか
このレンズ、案外いけるのかなぁ。

いやいや、レンズのことより、(設定の仕方忘れてるように!)撮り手が上達しないからもっと頻繁に練習しなきゃ。

7月
23
佳境

例年通り、この時期は吹奏楽コンクール一色の生活だ。
6月末から休み無く朝から晩まで1日に2つ、3つとバンド漬け。

昨日一つ自分の本番が終わった。
今日も、現場に行けなかったが深く関わったバンドの本番があった。(もちろん別の練習があった)
また明日一つ本番。

その次も、さらにその次も、まだまだ先は続くので、一区切り付くような段階ではないが、ここ(コンクール)に向かって進んできた皆さんが、なお、それ(コンクール)を越えていく事を心から願う。
吹奏楽コンクールは決して到着点ではない。
 

毎年くり返しコンクールに振り回され「進歩無いなぁ」とイヤになる自分が居る。
しかしその一方で、本当に自分がやりたいこと、やるべき事が見えかけてきている事も確かな事実。
それもこれも、一緒になって汗をかき力を尽くしている10代から20代にかけての若い人達がいるからこそ。さらにはその環境を与えてくださっている多くの方々がいらっしゃるからこそ。
まだまだ形はもちろん、言葉にもならないのだが、この1年くらいで確実に何かが見え始めている。

だから、苦しいことには変わりないが、以前とは違い迷いはない。
音楽の意味、吹奏楽の意味、スクールバンドの意味。
ずっと以前(深く考えもせずに)「本質」という言葉をよく使っていたが、もう一度考え直そうと思う。
いずれ、何かの形にするときは来ると予感するが、その「形にすること」の意味も含めてあらためて考え直す。

7月
19
ドミナント−トニック

バンドレッスンするとき、どうしても和声的な処理としてドミナント−トニックを説明したくなるときがある。
”ソシレファ”と音を出して、「この音聞くと、次にこう行きたくならない?」といいながら”ドミソ”と音を出す。「あー、落ち着いたねぇ。」
そうすると大概の人が「うん、うん。」という顔をしてる。

機能和声としての基本的な動き。コードネームでは”G7−C”。
皆「うんうん」と頷くのだから、そう感じているのは確かだと思う。

でもいつもそこで疑問が湧く。
「なぜ、みんなそう思うの?」
和声という約束事でそう決められていて、いつしかその感覚を覚えるのかしら?
いやいや、機能和声というのは、試行錯誤した結果、生き残った音の動き方を整理したモノだと思ってるから、始めに「約束ありき」ではなく、「そう感じる」ことが先にあっただろうはずな気がする。

ではなぜ人は皆、一つの理論体系が出来るほど確かにそう感じるのか?
百歩譲って、西洋音楽機能和声ではなくても、ドミナント−トニックの機能、即ち「不安定→安定」「ストレス→開放」のようなものを音を通して感じるのはなぜだ?しかも限られた人ではなく大勢の人が等しく感じるのはなぜだ。

機能和声の大前提となるこの感覚については、どこかで説明されてるのだろうか。
ご存じの方、どうか教えてください。

7月
16
¥108

この時期どうしてもバンドレッスン漬けになるのだが、その移動中ほんの少し時間が有ったのでぶっくおふに寄った。
気軽に時間つぶしできるような本を、と思ったのだが、目に留まったのが 「脳と仮想」茂木健一郎 著 新潮文庫 。

パラパラとめくって冒頭の、
”「サンタクロースは存在するか?」この問いほど重要な問いはこの世界に存在しないという思いが、私を不意打ちした。”
が、私の何かを刺激し、
”小林(註 小林秀雄)が、それほどまでにとらわれていた問題とは、物質である脳に、いかにして様々な主観的体験に満ちた私たちの心が宿るのかという、いわゆる「心脳問題」だったのである。”
まで数ページ進んだところで思わずレジまで動いた。108円也。
車にもどってから気が付いた。お店に入って2分弱。あぁ時間つぶしにはならなかった!

少し気になることがあって、まずいくつかの読書レビューをネットで探し読んだ。概して「なるほど」という感想と「全然判らん」という感想に別れるようだ。
「なるほど」タイプは、感覚的に共感する、な感じ。「判らん」は「難しくて判らん」と「論拠を示せ」の二通り。
うん。予想通り。

コンクール前でなかなか時間が取れないが、早く読みたい。
そして「論拠」を見つけたい。まさしく「音楽」は脳内の仮想だと思うので。