4月
14
3月末に

熊野に行った。何度目だろうか。

初めて熊野に行きだした頃に比べると高速道路が延びてずいぶんアクセスし易くなった。
今は、尾鷲まで一気に南下できて、さらにトンネルばかりではあるが途切れながらも熊野まで行き着いてしまう。しかも一部は無料区間。
(もっとも、高速道路を通るということは、それまで通っていた国道を通らない、ということになってなじみの景色とか寄り道場所とかを忘れてしまいそうなのが少し残念な気もする。)

行きには、お彼岸を少し過ぎたが墓参りもかねて。
それ以外はこの時期の柑橘類や、こちらならではの海産物などを入手することなど。
お詣りは、いつものように三山詣でるのはやめにして今回は本宮のみとした。

新宮の街は桜満開だった。しかし、寒い。それまでぽかぽかな陽気で一気に春満開だったのにな。花冷えというヤツか。

いったん那智の道の駅に寄り、温泉につかり、新宮から熊野川沿いに本宮まで上がっていく。

いつものように石段を登る。
手水で手を清める。
詣る。
しばしその凛とした空気の中に身を置く。
空を仰ぎ深呼吸などする。
石段をゆっくりと下る。

しかし、今回は特別に何かを想ったり感じたりすること無しに、いわば単なる物見遊山な観光のように終始した。
なぜだ?
今まで、なにかしらそこに行くことによって思わぬ反省をしたり希望を持ったりしたのだ。少しだけ良いことが起こったりしたが、ぶちのめされたような気持になったこともある。確かに呼ばれたような気がするときも有ったのだ。
だから何度も何度も足を運んでいたのだ。
それが、なぜだ?とほんの少しだけ引っかかりながら新宮に戻る。

その後それ以外の目的もこなしつつ、ゆったりと過ごす。
勝浦の港でヒトハメの収穫をしている人達を見かけた。そしたらその直後、あんろくめ寿司を食することが出来た。美味い。絶品。
恒例の焼きまんじゅうも並んで手に入れる。
焦燥感も切迫感も、もしくは安心感も持つこと無しに帰路につく。
 

そしていつの間にか4月になって既に2週間近く。
「あ、そういうことだったのか?」と少しずつじわじわと思い至ることがある。

「何も言うことはない。頼るな。おまえはおまえの思うとおりにやれ。もう、やれるだろ?」

そう思う事が出来るまで回復したのだな。
そういえば頭の中ではやりたいことだらけになっているじゃないか。
その後次々と自分の中に新鮮な風が吹いてきているじゃないか。

2015年度。
以前なんとなく「24歳になってもよいかも。」と書いたが、どうやら確実に一つ年齢を重ねたと感じる。
思えばずいぶん久しぶりに年を取ったわけだ。