庭にある大きな木は、柿と椿と金木犀の3本。
どれも野放図で、あまり格好が良くない。
金木犀は数年前に剪定しかけたままなので特に変な格好。椿にいたっては全く手入れしていなくて、枝は絡み、徒長し、今まで田んぼだったところの新しい隣家へ葉だの花だのが落ちて申し訳ないことになっているし、風が吹くと家の壁面にこすれて音を立てる。
柿は冬に葉が落ちるので、枝だけになった木を見ながらよく判らないなりにどこを剪定したらよいか考えることはできた。
ネットで調べてみてもいまいちよくわからないので、ベランダからのぞきながら、下から見上げながら、「あの枝は切ってもよいだろう」「勢いよく真上に伸びてしまったやつのどこを切ればよいのか?」「案外うまくいってそうな細かい枝はどうする?」とかあれこれ考えていた。
しかし、4月末の長雨とその後の急激な気温上昇で、ぼやぼやしているうちにあれよあれよと新芽を吹き、葉が育ち新梢がどんどん伸びる。気がついたら冬に間に剪定しようと確認していた枝は全く見えなくなってしまった。
葉が育つと枝は見えなくなる。いや、無くなるわけではないから正確には「見えにくく」なる。
だからといって、葉を取り払うわけにはいかないから、枝を見るには繁った葉を見通さなければならない。
柿のことを熟知しているのなら全体を外から見ただけで幹も判ろうが、無知な私には一つ一つ葉の裏がわから確認しなければ枝は見えてこない。
今の私では剪定作業は難しそうで、当面は様子を見ることにした。たくさん花がつきすぎて実が増え過ぎ、小さくなるだろうと思うが致し方ない。
〈葉〉は指示表出。〈幹〉は自己表出。
決して葉が柿の木のすべてではない。幹がなければ葉は出ない。さらに根がなければ立ちもしない。しかし根は地中で見えないし幹は葉に隠れて見えづらい。見えるのは葉(もしくは花や実)。
目に見える葉や花や実だけでなく、葉に隠れた枝(や根)を正確に見切ることが大切なのだな。
「言葉のいちばんの幹は沈黙です。」とはそういうことなんだ、と思う。