昨日で一息つくことになった。
この夏、私とバンドで関わっていただいた全ての皆さん、すばらしい!
練習を進める上で、その前後に日頃指導していらっしゃる先生方と様々なお話をする度に、直接皆さんとお話しする中で、ひしひしと感じる夏でした。
何を、かというと、スクールバンドの根底は「教育活動」だということ。
実際には、楽器が上手くなることや音楽(表現)がさらに高度になることを、ひたすらやっているだけです。
いい音を出せ! 音程を合わせろ! タイミング合わせろ! 等々。
そして、その成果を(冷酷に)評価され順位が付く。それがコンクールです。
事柄は至極単純。
これでもか、といわんばかりに楽器の課題が出て解決できずに途方に暮れ投げ出したくなったり、他のメンバーと折り合いがうまくいかなくなったり、顧問の先生に言いたいことが言えず悩んだり。
それでも、一つになることを目指し、音楽が雄弁に語り出すのを夢見て、音楽に打ち込む。
もう一度演奏するチャンスが欲しい! これを最後にしたくない! と熱望しながら本番の演奏に臨む。
見えているのは「それだけ」といえばそれだけのことなんです。
しかし、それと同時進行しているもっと大きい意味でのひとりひとりの心のありようが、ずっと大切なんだ。
だから、その見えていることだけにとらわれている演奏を聴くと悲しくなる。「それでは悲しいから、ちゃんと音楽やろうよ」と言葉にしてみるのだが、なかなか「音楽」の意味合いを深く伝えられずにいつも苦悶する…。
心のありようなんて誰にも見えない。自分だって良く見えないのだもの。
しかし唯一、出てきた音を通してその心のありようが手に取るように判るときがある。
「出てきた音」と「その心のありよう」。この二つは必ず表裏一体。二つで1セット。
音現象のクオリティを求めるのだけれど、ただそれだけを求めてもダメ。もちろん心のありようだけを求めてもダメ。そんな精神論だけでは今のスイソウガクは歯が立たない。音楽の本質を真摯に追究することよっていつの間にか技術が高まり心が磨かれ二つが1セットになる。生半可じゃダメ。「音楽のまねごと」でもダメ。とにかく全力で事に当たらないと何も動き始めない。
そのことを噛みしめ日頃から心を砕いてご指導いただいている顧問の先生方がいらっしゃってこその活動なんです。関わり方はいろいろです。おおらかに自主に任せる、丁寧にアドバイスしていく、一つ一つ指示してチェックする。でも、どの方々も生徒の皆さんと一緒に「本番」という土俵に登り評価の対象として晒されるのです。そうまでして生徒ひとりひとりの成長を願っているのです。
だから育っていく。この夏の暑いさなか劇的に育つのです。
それを目の当たりにすることが出来るなんて、こんなに幸せなことはないです。
また、先日は「その後」の確認も出来た。数年前にはまだ中学生だった人達がさらに次を目指しているがんばっている話を聞き、何年も何十年も経っているのに当時の面影のまま、しかしそれ以降重ねてきた経験を頼もしく感じつつ再会することできた人達が居た。
これはさらに嬉しい。
今はまだ、悔しい涙、悲しい涙、苦しい涙、が乾いていない人も多いと思う。それも良い。
来年こそは、と密かに決意している人や、もう来年にこの夏はないんだ、と寂しく感じてる人もいるだろう。それも良い。
やり切った満足感にあふれている人もいるだろう。それも良い。
音楽を突き進めようとした結果受け取る感情は何物にも代え難い。それがどんな物であれ成長の証であることは間違いないのだから。
あらためて、この夏音楽で関わることの出来た全ての皆さんに伝えたい。
「本当にすばらしい!最高です!」