9月
07
音の向こう側

以下は、本日の ENSEMBLE SPIRITUS というバンドの演奏会で、パンフレットに載せた一文。

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音の向こう側

 
「三角形な感じの音にしてみてよ。」
「お湯入れてから30分も経ってしまったカップラーメンのように手を叩いてみましょう。準備はいい?ではそれを食べる時の気持ちで、さん、はい!」
我が師、兼田敏先生のレッスンや講演、バンド指導ではこの類の話は連発した。単に「〜のように」という指示にとどまらず、面白おかしいエピソードを混ぜながら話しが進んで行くのでいつに間にかその独特な世界観に引きずりこまれて行く。私はそれが大好きだった。
傑作だったのはこれ。
「こんどは色を白くしてみよう」
「あ、はい。しろですね。少し待ってください…。うーん…。」
「…。さあ、やってみて。」
の後、シンバルを一発叩き、しかし即座に止めて、
「すいません!間違えましたっ!ごめんなさいっ!」
と彼女は叫んだのだった。誰も「間違えた」なんて判らないのに。公開レッスン会場は一気に笑いの渦。自分の想いと全く違った音が出ちゃったんだろうな。

そんな訳だから、私もついつい長々とそのような話をしてしまうのだが、最近、初顔合わせのバンドレッスンでそれをやると違和感を感じるようになってきた。
「で、それが何なの?」「結局どうすればいいんですか?」な、ぽかんとした顔に出くわすことが増えたように思うのだ。

先日、バンド絡みの若い人たちと「波間の昆布」(…バンド指導で度々話す内容…。残念ながら詳細は割愛…。)が話題になった。そして「あの話は意外に敷居が高いです」と言われた。
愕然とした。音楽におけるそれぞれの役割とその感じ方について上手く言い当てていると自分でお気に入りの話だったし、「とっても良くわかります」「何だか妙に全てが納得出来るようです」などの感想も多く聞いているので、ショックは大きい。
私の、「音」や「音楽」とイメージとの関係が、突拍子もなくあまりにもかけ離れていて、かえってイメージが湧きにくいのだろうか。
音楽によるイメージの深さが、少なくとも私と、「波間の昆布」の話を敷居が高いと感じる人たちとは、かなり異なっているのだと急激に不安になったりした。

「テンポ60、一点イの全音符二つと二分音符のタイ、ダイナミクスはmp、発想記号としてespressivoと書かれている」ような楽譜について「440Hzの音が50dbの音圧でしかし多少の音程や音色や音圧の変化を伴いながら10秒間発生すること(その楽器の「良いとされる音色」で)」のようであるのなら、それはただの「音」に過ぎないのだと思う。(並外れて優れた「音」ならば、それだけで心が動く事も有るだろうが…。)

その音に「蛇に呑み込まれかけた蛙がまだ飲まれていない足をぴくつかせながらもがいている様子」だったり「今まさに夕日が水平線に隠れ、真っ赤だった空と海が急激に群青色に染まり変わっていく情景」だったり「強く挟むと潰れてしまうのでそうっと、しかし早くその美味しさに感動したい一心でゴマ豆腐を落とさないよう箸で口に運ぶ期待感」だったり、こんな私の陳腐な表現ではなく、本来言葉で表せないもっと様々なイマジネーションを潜ませたり膨らませたりする事が音楽なのではないのか。そのイマジネーション活動こそが音楽の神髄ではないのか。
「良い音色だなぁ」「美しい音の並びだなぁ」にとどまらず、その発せられた音を仲介として演奏する人と聴く人が様々な想いを馳せ合う。
重要なことは、その想いには全く実体が無い、ということだ。微振動すらない。全てがそれぞれの人の頭の中だ。自分以外の誰も覗き見することが出来ない唯一無二なイマジネーション。それを脳科学の世界では「クオリア」と呼ぶらしい…。すなわち「心」。
今、私は、「音楽」とはその「心」を「音」によって顕在化させ豊かにすることなのだ、とようやく実感を持てるようになってきた。

余談ながら、現代科学ではクオリアを、随伴現象として出来れば無いものにしたいらしい。科学の対象は「計量できる経験」に絞られて、「心」が絡むとたちどころに客観的検証から外される。以前「教育の範疇で優しい行為をさせることは出来るが、優しい心の持ち主にすることは不可能である」を読んで途方もない絶望感を感じたのを思い出し、「いや、ちょっと待てよ。音楽では可能なはずだ。私はその実践をずっとしてきたつもりだし、関わってきた多くの人達がその証明をしてくれる。絶対諦めてはいけない!」と密かに誓った事も決して忘れない。

冒頭のエピソードは、出てくる音のイメージを豊富にさせる手段だけではなかったのだ。音の向こう側にあるイマジネーション「クオリア」を育てていたのだ。つまり現代科学では困難な「心を豊かにする」実践がそこにあり、確かに私はそれで育てられていた。
これこそ音楽の意義だ。
音の向こう側にこそ音楽が存在する事をさらに伝えていくことが「音楽とはなぁ、生きることなんだ…。」と遺して逝った我が師への恩返しでもある。
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8月
15
一息

コンクールラッシュが終わってしばらく日にちが経つ。
ようやく一息ついて、色々ざわついていたものが落ち着いてきた。
棒を振ったバンド3団体。
レッスンに行ったバンドは…えっと、幾つだっけ?
審査員も。
コンクール日程が年々早くなっていて、夏休みにじっくりとレッスン、というわけにはいかず、どの団体にもスケジュール調整でご迷惑をお掛けした。申し訳ない。
それでも、それぞれのバンドは少しでも良い音楽にするために粘り強く練習に励み、それぞれきちんと成果が出たと思う。頂いた賞の色に一喜一憂するのではなく自分達がやってきたことに自信を持ってさらに前に進んで欲しいと思う。

さて私自身、今年は妙な絶望感はなく、むしろ沢山の発見があってとっても有意義だった。
なんと言っても、自分の方向性がかなり明確に見えてきたことは重要だ。
今までずっと納得できなかったことの理由が判ってきたようなのだ。

例えば。
なぜコンクールを嫌いなのか。
バンド界での「サウンド」至上主義に抵抗したくなるのはなぜなのか。
皆が「うまい!」という団体の演奏を聴いても、必ずしも「素晴らしい!」と思わないことがあるのはなぜか。
レッスンをしていて、どうしても拘ってしまうことがある(しかも、それはコンクールでは不利益なことが多い!)のはなぜか。

最近読み漁っている類の本の中に、

「学校はグライダー人間の訓練所である。飛行機人間はつくらない」

(※ グライダーは自力では飛びあがれない。牽引してもらってようやく空に飛び出す。一方、飛行機にはエンジンが付いていて自発的にいつでも空に飛び出すことができる。)
さらに、

「しかし、現実にはグライダー能力が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし、という”優秀な”人間がたくさんいることもたしかで、しかもそういう人も”翔べる”という評価を受けているのである」

思考の整理学 外山滋比古 / ちくま文庫

をみつけたりして「あ、そういうことか」と気が付いたりしているのである。
私はバンドのメンバーに対し常に飛行機人間を望んでいる!

思い起こせば、ずっと昔からそのようなことを口走り、いつもそれを追いかけてきた。
今さら何を再確認しているのだ、と思うが、その再確認が今の私にとってとても重要であることには間違いがない。

ようやくとっかかりが見えてきたようだ。

8月
14
あと二つ

気が付くのが遅かった。
がちゃ。松本大洋コレクションフィギュアストラップ。7種類+シークレット1種類、合計8種類。
6月中旬発売だったらしい。

悔しいから随分さがし、ようやく見つけたので大人買い。
1ヶ¥300×?。
でも残念ながら全種類にはならなかった。残すは「五島 雅」とシークレット。
補充されているかと後日再度同じ所に行ったが既にこのシリーズはなかった。他でもまったく見ない。

松本大洋−1


左から、「花田 花男」「IQ」「瀬能 宗一郎」

松本大洋−2


左から「シロ」 「イタチ」「クロ」
一番のお気に入りは「IQ」
鉄コンの3種も良いなぁ。

さて、どうやって残りを集めようか。
どうしてもシークレットは欲しい。理由は…。

8月
11
記憶の彼方から

自分がいったい音楽に何を求めているのか、つらつら思い巡らしている時に、30年以上(だと思う)前に読んだ本のある一節をいきなり思いだした。
その本のプレビューなどを見ると

これが、魂の音楽だ! トランペットの響きに魅せられ、ニューヨークのジャズメンの世界にとびこんだ少年の熱くほろ苦い日々。「最高の青春小説」として、若い読者の圧倒的な共感をよんだ話題作。

などとあって、「え?青春小説だったのか?」と思ったりもするのだが…。

探したら本棚にあったので読み返した。
思いだして良かった。
そのなかの演奏描写が強く印象に残っていて、少々長くなるが、引用する。

「ジャズ・カントリー」
ナット・ペントフ 木島始訳/晶文社

7 リハーサル より

〜〜ゴッドフリーは、ウィル・パークのほうを向いた。「ウィル、この曲には題が付いていないんだ。この曲は、あんたにどんなことを言ってきかせてるね?」
「そういうふうには、おれはこの曲を聴いてみなかったんでな」と、バークは言った。「ただ、どういうふうに組み立てられてかってことだけ、おれは聴いてみたんだ。」
「感じ取れよ」と、ゴッドフリーは言った。「もう一度、考えて、感じとれよ。」
 バークは、そこに数秒、立ったままで、天井を見上げ、それからこう言った。「そうだな、お堅いよう(スクェア)に思われるかもしれんが、この曲はおれには子供たちが遊んでいるみたいに聴こえたな。」
 ゴッドフリーは、喜んだ。「ズバリだ。だからこそ、あんたはここに来てるんだ。おれは、あんたならそれをぴたりと掴まえてくれると思った。よしきた。あんたが子供のときのとおり、やってくれ。街でどんな感じだったか。だれがあんたは好きになったか、だれがあんたを苛々させたか。お回りや教師や両親なんかを引きずりこんでくれ。そういうの、みんな引きずりこんでくれ。あったとおり、吹いてみせてくれ。それできみたちは」−−ゴッドフリーは部屋を見まわした−−「耳を傾けて、そのどれかがわかるかどうか、そのなかに入りこめるかどうか聴きとるんだ。きみたちが子供だったころのことだ。サム、きみもむかしは子供だったんだろ、え?」
 ミッチェルは、唇をすぼめた。「おれは八十二年前に生まれてな、毎日、若返ってるんだ。ここにくるときいがいは、よ。ここに来る日は、おれの寿命に十年つけ足すことになるぜ。」
 「おまえは、きっと警官にだってなれるぜ」と、ゴッドフリーは言った。彼は、ピアノのところにいき、テンポを叩きだした。で、音楽は、始まった。それは、ぼくがこれまでに聴いたことのあるうちで最も並みはずれたジャズの二時間だった。最初、バークのために背景となる音は、いまや完全にミュージシャンたちによって極めつくされたモーゼの譜面(スコア)によって、ほぼ完全に構成されていた。しかし、バークがもっと自信を持って、しだいしだいに個性的な即興演奏をやるようになると、他のメンバーたちも、音楽にじぶんじしんのアイデアやフィーリングを徐々につけくわえはじめた。モーゼの譜面(スコア)に基ずいて、かれらは、バークが演奏しているものにたいして、そして、めいめいお互いの言いたいものにたいして、反対(カウンター)メロディ創りだした。まるで複雑だが奇妙に美しい絨毯を一緒に織っているとびぬけて技倆のすぐれた職工の一団を見まもっているようだった。

 モーゼが望んだとおり、中心になる物語の筋は、いつもバークによって決められた。彼の両目は閉じ、両頬はふくらみ、バークは、そのトランペットに物語らせていた。ほんとにそのトランペットが話していた時があった、とぼくは言いたいのだ−−いや、むしろ−−ふくみ笑いをし、鼻を鳴らし、唸り、冷笑し、激怒し、すすり泣き、どなり、囁いていた、と。そして、かれは、ぼくがこれまでに聴いたことがないようなメロディーを創りだしていた。けれども、それらのメロディを一度聴くと、すぐにそれは聴きなれたひびきをもってくるのだ。フットボールの長いパスみたいに、舞い上がって、ぽいとすくい上げられるメロディーがあった。眠っているなと思われてるときに、暗闇で話してるみたいなメロディーがあった。
 バークと他のミュージシャンたちがその音楽を五回目か六回目かやりおえるころには、ぼくは幼年時代の記憶から、もう何年も考えてもみなかったいろんな場所のことを想いだしはじめていた。そして、そのころの感じも。
 あるとき、バークは深くブルースに突っこんでいったので、ぼくは、ぼくも死ぬのだ、始めて死について考えたときのことを想いだし、突き刺されたみたいになった。十一歳のころで、とても高く長たらしい丘を、ぼくは登っていた。半分くらい昇ったところで、とつぜん、ぼくは永久に生きるわけじゃないという考えが浮かんだ。じっさい、そのとおりなのだ。それから、ぼくは、あと何年のこっているかなあ、と思い、そのこと断続的に長いあいだ考えあぐねたのだ。〜〜

中略

〜〜彼女は、見上げ、びっくりし、それから苦笑した。
「ちっちゃな女の子にかえってたの、わたし。」と、彼女は言った。「ね、モーゼ、人形といっしょに遊んだり、ママがお料理するのを見てたり、学校の黒板を消しにかかったり。ヴァージニアのダンヴィルにもどってたの。」
「おれは、シカゴのサウス・サイドでフルーツを盗んでたぜ。」サム・ミッチェルは、かすめてきたものの味をためしてみることができるみたいに、舌づつみをうちながら、言った。「そいで学校サボって映画にいってたんさ。」
 ミュージシャンのだれもが、ゴッドフリーの背景になる音楽とウィル・バークのトランペットのまわりで即興演奏をやりながら、じぶんの瞬間的回想(フラッシュバック)をおこなっていたのだ。今や、だれもがバークの話すのを待っているようにみえた。かれは、まわりを見まわし、またすこし頭をふり、腰をかけて、泣いた。泣くのは、長くはつづかなかった。当惑して、バークは、ポケットに手を入れ、巻煙草を一本とりだした。「モーゼ、八つくらいのときから初めてだよ、泣いたのは。」〜〜

この部分を読んで、音楽はこんな奇蹟のようなことを起こせるんだと知った。
たとえ、これが小説の中の話しだとしても、実際に起こりうることなんだと直感した。そして涙を流した。

8月
10
台風

11号が来た? かすめた? 通り過ぎた?

WEBの気象警報の情報ページを見ると細かく行政単位で警報・注意報が出てるが、気象警報ってそんな細かく行政区域単位で出す必要があるのかな。
(学校の休校とかの配慮…?)

一方で「四日市市全域の約31万人に避難指示」ってどうなんだろうか。
少々大雑把すぎないか。
全域ってどういうこと?とか四日市隣接では危険なトコはないのか?とか。
この川の流域とか谷筋とか、海岸沿いとか、山のこっちとか向こうとか、きめ細かくするのは大変なんだろうけど。
(報道だけでは何とも判らなかった。全域が本当に大変だったのならこの発言は取り下げる。)

もっとも警報と避難指示とでは管轄が違うだろうからさらにややこしい。

不思議なことに、名古屋市は早くから暴風雨警報出てたのに東隣の我が市は出なかった。
それでもけっこう風吹いた。雨も降った。
狭い道路はさんだ向こう側に建っていた作業小屋は倒壊してしまったもよう。
倒壊小屋


特に二次被害は無さそうだけど。

ところで、こういった被害の報告ってどこにすれば良いんだ?消防?警察?行政?

8月
02
まだまだ

続くコンクールの本番。
明日は久しぶりに、書き下ろしを自分で演奏する。
14人のための「ルーマニア民族舞曲/バルトーク」だ。
[Fl/Ob/Cl-2/ASax/TSax/Trp2/Hn2/Trb2/Euph/Tuba/ (内、適宜Perc.持ち替え)]
曲が持っている恐ろしいほどの素晴らしい力を表現できる楽譜になっているかどうか。
メンバーのひたむきな音でバルトークの世界観を表現しきれるかどうか。
 

とある地区で少人数演奏を審査員としていくつか聴いた。
一番少ない団体で10人だったが、同じような少人数団体が複数有った。
当然、素晴らしい演奏も、もう一息な演奏もあった。

ずっと昔から、人数の多い・少ないと、演奏の出来・不出来は直接関係がないはずだと思っている。
確かに出てくる「音」は違う。音量とか響きの豊かさとか音色の豊富さとか。また、人数が少ないと一人一人の負担は限りなく増大する。
しかし、人数が少ないから音楽が貧弱になるのではない。その演奏に音楽の力が少ない(それは演奏技術であったり表現手法であったり感性であったりするのだが…)ことが原因だと思う。

しかしそれらを聴いて、大いに触発されたのは確か。

一人一人をきちんと磨き上げ、14人で出来ることは限りない。諦めず求め続けること。
個性溢れるメンバー全員の力が全て発揮され音楽を通して一つになり、この上ない幸せな時間になることを心より期待している。

考えず。
感じて!

7月
31

バンド漬けの毎日にぽっかり1日空いたから、指揮棒よりもう少し長いものを振りに越前海岸へ行ったのだけれど、残念ながら貧果であった。
帰りに南越前町の蓮池(花はす温泉 杣山)で久しぶりに写真を撮った。

めちゃくちゃ暑い中、K-x使ったんだけど、写真撮るの久しぶりで設定の仕方忘れてた。
マニュアルレンズ付けたら絞れなくて、全部開放。
50M


SMC PENTAX-M 1:1.7 50mm 1/6000 開放 鮮やか

50M


SMC PENTAX-M 1:1.7 50mm 1/6000 開放 鮮やか
 

どうやっても絞って撮れないし、もちろん絞り込み測光も出来ないし、どんどん暑くなり朦朧としてきたのでマニュアルレンズは止め。(原因はとても単純なことでMモードにしていなかっただけ、と後で判った。)
ジャンク入手で改造(ズーム全域でマクロ可)済みのSIGMA 28-80mm 3.5-5.6は100Dsに付けて貸してたからそれは使えず、おなじくジャンク入手のSIGMA 100-300mm 4.5-6.7 DLに変えてAvで続行。
SIGMA300 1/1600 F6.7


SIGMA 100-300mm 4.5-6.7 DL 300mm 1/1600 F6.7 ほのか
少し後から手を加えてみた。

SIGMA250 1/1000 F6.7


SIGMA 100-300mm 4.5-6.7 DL 250mm 1/1000 F6.7 鮮やか
このレンズ、案外いけるのかなぁ。

いやいや、レンズのことより、(設定の仕方忘れてるように!)撮り手が上達しないからもっと頻繁に練習しなきゃ。

7月
23
佳境

例年通り、この時期は吹奏楽コンクール一色の生活だ。
6月末から休み無く朝から晩まで1日に2つ、3つとバンド漬け。

昨日一つ自分の本番が終わった。
今日も、現場に行けなかったが深く関わったバンドの本番があった。(もちろん別の練習があった)
また明日一つ本番。

その次も、さらにその次も、まだまだ先は続くので、一区切り付くような段階ではないが、ここ(コンクール)に向かって進んできた皆さんが、なお、それ(コンクール)を越えていく事を心から願う。
吹奏楽コンクールは決して到着点ではない。
 

毎年くり返しコンクールに振り回され「進歩無いなぁ」とイヤになる自分が居る。
しかしその一方で、本当に自分がやりたいこと、やるべき事が見えかけてきている事も確かな事実。
それもこれも、一緒になって汗をかき力を尽くしている10代から20代にかけての若い人達がいるからこそ。さらにはその環境を与えてくださっている多くの方々がいらっしゃるからこそ。
まだまだ形はもちろん、言葉にもならないのだが、この1年くらいで確実に何かが見え始めている。

だから、苦しいことには変わりないが、以前とは違い迷いはない。
音楽の意味、吹奏楽の意味、スクールバンドの意味。
ずっと以前(深く考えもせずに)「本質」という言葉をよく使っていたが、もう一度考え直そうと思う。
いずれ、何かの形にするときは来ると予感するが、その「形にすること」の意味も含めてあらためて考え直す。

7月
19
ドミナント−トニック

バンドレッスンするとき、どうしても和声的な処理としてドミナント−トニックを説明したくなるときがある。
”ソシレファ”と音を出して、「この音聞くと、次にこう行きたくならない?」といいながら”ドミソ”と音を出す。「あー、落ち着いたねぇ。」
そうすると大概の人が「うん、うん。」という顔をしてる。

機能和声としての基本的な動き。コードネームでは”G7−C”。
皆「うんうん」と頷くのだから、そう感じているのは確かだと思う。

でもいつもそこで疑問が湧く。
「なぜ、みんなそう思うの?」
和声という約束事でそう決められていて、いつしかその感覚を覚えるのかしら?
いやいや、機能和声というのは、試行錯誤した結果、生き残った音の動き方を整理したモノだと思ってるから、始めに「約束ありき」ではなく、「そう感じる」ことが先にあっただろうはずな気がする。

ではなぜ人は皆、一つの理論体系が出来るほど確かにそう感じるのか?
百歩譲って、西洋音楽機能和声ではなくても、ドミナント−トニックの機能、即ち「不安定→安定」「ストレス→開放」のようなものを音を通して感じるのはなぜだ?しかも限られた人ではなく大勢の人が等しく感じるのはなぜだ。

機能和声の大前提となるこの感覚については、どこかで説明されてるのだろうか。
ご存じの方、どうか教えてください。

7月
16
¥108

この時期どうしてもバンドレッスン漬けになるのだが、その移動中ほんの少し時間が有ったのでぶっくおふに寄った。
気軽に時間つぶしできるような本を、と思ったのだが、目に留まったのが 「脳と仮想」茂木健一郎 著 新潮文庫 。

パラパラとめくって冒頭の、
”「サンタクロースは存在するか?」この問いほど重要な問いはこの世界に存在しないという思いが、私を不意打ちした。”
が、私の何かを刺激し、
”小林(註 小林秀雄)が、それほどまでにとらわれていた問題とは、物質である脳に、いかにして様々な主観的体験に満ちた私たちの心が宿るのかという、いわゆる「心脳問題」だったのである。”
まで数ページ進んだところで思わずレジまで動いた。108円也。
車にもどってから気が付いた。お店に入って2分弱。あぁ時間つぶしにはならなかった!

少し気になることがあって、まずいくつかの読書レビューをネットで探し読んだ。概して「なるほど」という感想と「全然判らん」という感想に別れるようだ。
「なるほど」タイプは、感覚的に共感する、な感じ。「判らん」は「難しくて判らん」と「論拠を示せ」の二通り。
うん。予想通り。

コンクール前でなかなか時間が取れないが、早く読みたい。
そして「論拠」を見つけたい。まさしく「音楽」は脳内の仮想だと思うので。