3月
20
覚え書き

FB絡みでなかなか興味深い文章に出会うことが多くなった。
しかし、FBへの投稿はアカウントがない(出先でログインするのもメンドクサイ…)と見ることは出来ないし、日にちの経過とともにその投稿はどんどん埋没しすぐ行方不明になっちゃうんだな。
先日見つけたのはこれ

まえがき 「先生、先生」と言われ続けて何十年にもなる。そうすると「先生」は大体がバカになる。先生がバカになるのにはわかりきった理由がある。自分より少しはバカな人(学生たち)を相手に教え続けるからだ。だから少しはバカな人はどんどん…

芦田 宏直さんの投稿 2013年3月14日木曜日

いきなり

 「先生、先生」と言われ続けて何十年にもなる。そうすると「先生」は大体がバカになる。

と始まる。まったくその通り!と自戒を込めて思う。

他も少し見てみたけど、共感する部分が多そうだからもう少し深くさまよってみよう。FB見られないときのために前半部分をここに覚え書きしておく。

芦田 宏直

まえがき

「先生、先生」と言われ続けて何十年にもなる。そうすると「先生」は大体がバカになる。

先生がバカになるのにはわかりきった理由がある。

自分より少しはバカな人(学生たち)を相手に教え続けるからだ。だから少しはバカな人はどんどん賢くなっていくけれど、自分自身はバカなままにとどまる。自分のバカが学生にばれそうなときに、学年が変わり、入学生と卒業生が変わり、学生は消えていく。先生のバカは多くても4年持てばいいわけだ。先生のバカはそうやって二重に守られている。

百歩譲って、“教え方”はどんどん賢くなっていくと言ったところで、知っている内容が変わらない点では一緒のことだ。教え方が変わることによって教える内容も変わるともっともそうなことを言う人もいるが、それは“教え方”という言葉の乱用に過ぎない。

「教育」というのは、“教え方”の研究(文科省は「教育研究」という便利な言葉をよく使うが)でもって教える内容を棚に上げるシステムだと思った方がいい。「先生」と言われる以上は、それくらいの恥を覚悟しないと。

昔、トロツキーは、ロシア共産党はすべてを変えたが唯一変わらなかったものは、そのロシア共産党自身だと言ったことがある(埴谷雄高は何度もこの言葉を紹介していた)。前衛主義や啓蒙主義が破綻するのは、自分が考えていることについていつも「知ったかぶり」をするからである。

前衛主義や啓蒙主義の本性はいつも軽薄で保守的なものにすぎない。映画『ミッドナイト・イン・パリ』に嘲笑的に出てくる大学教授やアメリカ文化もそれと似たところがあるのかもしれない。

ラテン語の格言でDocendo discimus(ドケンドーディスキムス)という言葉がある。「教えることによって学ぶ」という意味だが、これは『学び合い』教育とは何の関係もない。いつでもどこでも最高判断、最高認識が露呈する仕方で学ぶ者に接しなさいということだ。学ぶ者の程度を考えることは教える者自身の堕落に他ならない。留保なく教えることができるときにこそ、〈教育〉と〈研究〉は重なることが可能になる。

「教えることによって学ぶ」とは、教えることによって自分を空っぽにするほどまでに最高判断で語りなさい、学ぶ者自身が一から学び直さなくてはならないまでに教えなさいということだ。

私が大学の最初の教壇に立ったのは400名の受講者のいる階段教室だったが、一コマ目で話すことが尽きてしまったことがある(もちろん目一杯、最高判断=最高認識で話そうと思ったためだが)。そのとき私は、10年以上(たかが10年程度という意味でもあるが)哲学の勉強に集中してきた私のストックの貧弱さに自己嫌悪しきりだった。

トークというのは、研究者にとって通俗の極みのようなところがあるが(そんなものは政治家にでも任せておけというように)、時として書き言葉よりははるかに圧縮率が高いことがある。500枚の論文の内容も90分のトークで語り尽くせることがあるように。書き言葉は、ストックを積み重ねてどんどん観念的、体系的になってしまうが、トークは一言で認識を地べたに引きずり落とすことがあるのだ。若輩者の私にとってストックが足りないということはもちろんことのことだが、トークの解体力というのは、とてつもなく私自身の「学ぶ」姿勢を揺さぶり続けたと言える。

後略

後略の部分(こちらが主体だと…)も、とても興味深い。

3月
09
到達点として

満足出来るレベルかどうかは良くわからない。
が、全体的な伸びシロとしては及第点にはなったかな、とは思う。

数ヶ月前、何も準備が出来ていない状態を知って愕然としたが、「必要な準備とは何か」を知らなければ出来ないのはある意味当然だろう。「自ら知ろう」とすることはもちろん大切だが、そのきっかけとして「外から知らせる」ことも大切なはずだ。初動段階では特に。

人は勝手に育つ、と考える風潮が強いのかなぁと感じることが多いのだが、勝手に育つにしてもその環境下の範囲でしか育たないのだから、育つ環境をより良く整えるのはそのレベルにある者の最も重要な役割だと思っている。

少々強引かなとは思ったが、今年度から職として関わっている以上、時間も限られているし一定以上のレベルにしてほしいという願いもあったから、お節介にも私が介入した。ダメ出しが続くから苦しかっただろうなと思う。

今日に至っても大変重要な事で問題が発生した。それを解決するために皆苦しい思いをしたことだろう。(ずっと以前からこのことを予想していたのでもっと早く手を打つことは出来たはずではあるが、皆がその決断をするために「機が熟す」という意味合いでは今日に至ったことは必然なのかも知れない…。)
まだまだ片付けなければならない問題は様々山積みだが、時間はいつでもきちんとやってくる。

明日だ。
今まで苦労して積み上げた事々をすべて出し切って欲しい、と願う。
============
愛知東邦大学吹奏楽団
第3回定期演奏会
2013年3月10日(日)開場17:30 開演 18:00
尾張旭市文化会館 文化会館ホール
============

2月
27
広報誌

郵便受けに毎月入る「広報ながくて」。役場発行のA4版行政広報誌だ。長久手町時代からずっと見てきた。端から端まで読むと案外面白い。
その2013年3月号が本日投函されていた。
広報ながくて表紙


郵便受けから取り出しすぐに表紙を眺めた。最近、我が長久手は町から市になりさらには市長も替わり、なにやら広報誌も変化してきているのでいくつか注目していた部分もあったので。
そして「ほぉー!」と思った。
「写真で見るながくて」という見出しで先日の吹奏楽フェスティバルの文字が大きく並んでいる。

続いて表紙を一枚めくりさらに吃驚。見開き全面2ページにわたって大きな写真が飛び込んでくる。
広報ながくて3月


今年で9回目のフェスティバルだけど8回目まで広報ながくてには数行記事が載る程度だったと思うのだが…。
今回は何だかすごいな。大きく載ったことは携わっているすべての皆さんにとって素晴らしいことだ。

だが、今までとの扱いの違いは何なんだろう。
一方では、次のフェスティバルについて「第10回で節目ですから…」という語尾が微妙に曖昧になる感触があって、良い意味でも悪い意味でも「どうなるのかな?」と思っていたのだが。

このこと以外にも様々少しずつ変化の兆候があるようなので、とりあえず、ずっと温めてきた構想について動き出す時合いかも知れないな、とお気楽に考えることにしてみる。

1月
31
きのこ?

あはは。なんだこれ。
面白い形。
三重県の伊賀上野(上野公園:伊賀上野城)にあったよ。
俳聖殿


そんなに古いものではなく、1942年(昭和17年)築。

「俳聖殿」という松尾芭蕉生誕300年を記念する下層八角形平面、上層円形平面の木造建築。屋根は桧皮葺。
2008年に三重県の有形文化財(建造物)指定、2010年に国の重要文化財に指定。
どうやら、このユニークな屋根は芭蕉の旅姿を模したデザインらしいです。

1月
26
いよいよ

明日。
第9回吹奏楽フェスティバル in NAGAKUTE。
思えば愛知万博のプレイベントで単発企画だったのに、今回で第9回。よく続いている。

その間、自身にも世の中にも色々なことがあり、様変わりしていったことも多い。
けれど、無謀とも言える全乗り200人を越える合同合奏は変わらず。

短い練習の中では、音符を並べることに精一杯で、音楽でもっと大切だと思っていることを上手く伝えていくことが難しい。
いつまでたっても全然ダメだなぁ、と悔しい。
それでも、思いを伝えていくと音が変わっていく。細かい指示をすることで変わるのではないから不思議だし凄いことだと思う。

細かい指示をして各々トレーニングをするつもりはない。というより出来る訳ないよ、この人数でこの時間内では。
そんなコトしたら時間の浪費でお互い気が滅入るだけだから、「各自でやってきた」という前提で進めるしかない。
ということでまったく別のことをやりたい、と思い続けて9回目を数えた。

漠然とした、言葉にならない何か。
雰囲気というのか、イマジネーションというのか。
一人一人の頭や心の中でぼやっと浮かんでいるだろう事々が音を通して伝わってくる。場合によっては強烈に伝わってくる。
音達や、メロディーや、和音や、休符さえ、「繋がり方」みたいなことを説明すると途端に音楽が繋がりだす。みんないつも「繋がりたい!」と心の底で思っているのだろうか。
オトノタテヨコヤキョウジャクを合わせることだけではない、もっと違う繋がり方を知ったら良いのにな。そうやって繋がりだすと、私には人の温かみを感じようになる。

お世辞にも上手い演奏ではないけれど、でこぼこの一人一人がお互いにうめ合わせながらいつの間にか大きな一つになる。
そこにいるみんなが繋がった演奏をしたい。

だからといってそんな演奏は生半可のことでは実現しない事も知っている。オトノタテヨコが合うよりもっとハードルは高い。人を試されるからね。

たった数十分の本番の間だけで良い。本当に繋がったと感じることが出来る演奏だったなら、そのたった数十分がかけがえのない一生の宝になるのだ、と思う。

1月
04
365分の1

12月31日の夜が明け元旦の朝が来る。
そうすると新年だ。

とはいっても年を重ねるにつれ厳かで特別な感じのするお正月感は薄まっているような気がする。
もちろん大切な1年の始まり日なのだから、ある種の線を越えていく緊張感やそこまで来た達成感のようなモノ、さらにはこの先の期待感などは依然としてある。

しかし、数日経った今日1月4日でも元旦と同じようにかけがえのない大切な1日であることには変わりない。
正月という特別な日だけではなく日常にあるほんのちっぽけな一つ一つ幸せの積み重ねが、やがて大きな満足感に繋がっていくはずだと思う。

正月だからこそ出来ることと、正月でも忘れてはいけないことと、両方あるんだなぁと思うが、ことさら日常として大切なことを忘れないでどんな日も365分の1年である1日を大切にしたい。
 

遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。

12月
31
新しい年が

来るまであと少し。24時間を切った。

今までとりあえず何とかつないできた。
つなぎつつ展望を見据え次への力を蓄える。
色々考え、少しずつ実践し、悩みもがき、途方に暮れ、また始めからやり直す。
とはいっても、端から見たらほとんど何も動いていないよう、死んだふりに見えるのだろうな。

苦しくない、と言い切る自信はないが、それでもその中にも大小様々な喜びはある。

今まで気が付かなかったような喜び…。
気が付かなかった、というよりまったく発想出来なかったんだろう。最近特に大きく何かが変化し、思いがけないところでの精神的充足感の感度は飛躍的に高くなった。

来年はどんな年になるのか。
どんな年であろうとも受け止めてその中で精一杯生きたいと思う。さらに多くのことに喜びを感じることの出来る自分になりたいと思う。

そして世の中すべてが幸せになるように心から願う。

皆様にとって良き年となりますように!

12月
26
湯たんぽは

スゴイ。
ただ、お湯を入れて布団の中に潜り込ませる、というシンプルこの上ない代物なのにとても強力である事を体感。
暖をとる様々なアイテムの中でも、この「あったかーい!」と幸せを感じる感覚的な効果はダントツなのではないかなぁ。
朝になってもまだほんのり暖かく感じるのは気のせいか…。

もう手放せないだろうな。
我が家での愛称は「ゆたぽん」に相成りました。

12月
20
師匠と弟子(3)

父性についての考察シリーズの最後(になると思う…)。

「抗うことの出来ないものの代名詞」のうち、今の日本では存在が薄いけど、諸外国では案外大切に重く人々にのしかかっているモノがあると思う。
…といっても推測でしかないのだけれど…。

人々の行動の規範や制約となるもの。探してみたらやっぱり以前に書いていた。ここの前半部分だ。
実体のある具体的な様々な父性の、さらに上の存在。「神」と呼ばれることが多いのかな。

人を越えたところに在る物。それが絶対的な存在として君臨しているところでは、一見父性が不足しているように見える社会においてもなんとかなっているような気がするのだが。

あ、そうそう。
父性のことばかり書いてきたが、もちろんその対極としての母性も大変重要である事は忘れてはいけない。
自身の前に立ちはだかる父性に対し、母性とはすべてを許し受け入れ与える存在と考えたい。

結局はそのバランス。両輪必要と言うこと。

12月
19
師匠と弟子(2)

地震・雷・火事・親父
抗うことの出来ないものの代名詞。
子供の頃よくこうやって恐ろしい物を例えるの聞いた。自分も良く口にした気がする。

大自然とか災害とか自分の親とか。どうやってもその関係を断ち切ることは出来ないのをいいことに自分の前で行く手を阻む物。
だからこそ如何にしてそれを越え、克服し、やり過ごすか、知恵と工夫を巡らす。
あるいは、「従わない」という意志を示すために自暴自棄になったりする。
そして、それら行為について「若さが故の…」という言い訳もある程度通用した。
なぜなら、その中では後に立派に一人前になっていくことを知っているから、厳しいながら暖かく見守っていける寛容さを回りが持ち合わせていたからだろうと想像する。

ここで書いた【「父性」と読み替えて良いのではないか】というのは、その「自分の前で行く手を阻む物」、もしくは「そう感じさせる何か」、それから「厳しいながら暖かく見守っていける寛容さ」が父性なのではないかと思ったのだ。
それは物分かりが良くいつでも自分の味方だと思わせる類の物ではない。いわば逆境の素だ。畏怖を抱きつつもいつかは越えてやるという目標、と言い換えて良いかも知れない。
その環境が人を育てるのだということ。<< 「当人が不安定な状況に耐えられるかどうか」 >>という事(ストレス耐性ですね)ですら、その環境の中で育つのではないかと思う。

それが、今なかなか容認されない。

それは、既に抗うことの出来ないものは克服したのだ、という人間の傲りかも知れないし、単に不快なモノは抹消すべきモノとする勘違いなのかも知れない。
とにかく「オヤジ」はいつの間にか、物分かりの良い友達みたいなおとーさんが理想となって、地震・雷・火事の次には並ばないご時世になった。

で、人が育つはずの<< 放っておいても自発的に学ぶような場 >>が減り、<< 不安定な状況にいるという危機感が、学びの効用を飛躍的に高める >>という認識は少なくなり、<< 自発的な学びとは、与えられるものではなく、自ら問題を見つけることです。何を解くかではなく、何を問うかです。それを習慣とするためには、好奇心や感受性を研ぎ澄まし、今までの自分を壊して、新しいものを受け入れ続け >>ることが難しくなっているのだと思う。

−−念のため。決して現在の「父親像」を論じているのではなく、世の中の「父性」という機能が働くなっているのではないか、と心配している。−−