1月
24
鴎と鵜

ある小さな漁港に行った。
休日で閑散としている。
風が冷たく強く岸壁で釣りをしている人すら見かけない。

湾内に10数羽の鴎が浮いている。
たぶんユリカモメとセグロカモメおよびオオセグロカモメだと思われる。
そこにウミウが飛来した。

強い風の中、なかよくぽかりぽかりと浮いているように見えた。
しばらく見ていて、一定の時間をおいて鴎が騒ぎ出す事に気が付いた。
鵜は、というと、そんなこととは関係なく潜って餌取りをくり返している。
何度かそんな状況をを見て、ハタと気が付いた。

小魚を捕って浮上した鵜にちょっかいを出し獲物を横取りしようと鴎が騒ぐのだ。
群れが下にあるんだろうが、鵜は一度潜ると必ず小魚を得て上がってくる。
上がったときにはまだ嘴で咥えているだけだから、鴎がめざとく見つけるわけだ。
何度かに1回くらい襲撃は成功する。

鵜は構わず次の獲物を探しに潜る。
また咥えて上がってくる。
エサの群れが大きいのか、鵜は飛来し少しずつ数を増している。
それを狙う鴎もいつの間にか数倍にふくれあがった。

しかし、鴎(上記のように3種類は確認したがどの種類も…)は一度も潜ろうとはしない。(もともと潜って魚を捕る習慣はないのかも…?)
全然自分で餌を採ろうとしないのだ。
咥えて上がってくる鵜を待って、出てきたところを襲撃するのみだ。

これは共存共栄というのかな。
それとも搾取というのかな。

なんにしても、何度横取りされても鵜はとっても辛抱強かった。
鵜匠のような人間だけでなく、他のいろんな動物にも獲物を横取りされる運命なのかしら。

1月
23
合同練習

1回目が昨日終了した。

とっても嬉しい誤算で、参加者皆さん練習精度が想像以上に高い。
手強い選曲だったので各団体単独指導も取り入れたりしてみたが、その甲斐あってか目処はつきそうな予感だ。

合奏一発目、毎度の「海を越えた握手」。
随分すっきりとした音が出る。

230人の合奏だよ!
その多さの例は、コンサートバスドラムが5台、スネアが5台、…というと想像できる?

いくつか毎度のポイントを上げながら練習を進めていくと「今年はさらに進化したな」と実感する。
反応が早いのだ。
説明したことがすぐ音で返ってくる。
…曲が慣れているからかも知れないけれど。

「禿げ山」一発目、音が出た瞬間で(といっても数十秒の間)、「こりゃいけそうだ!」と感じる。
ま、さすがに、部分部分でそこそこ苦労するところはあるけれど。(それはまた次の一週間で解決してくれるだろう。)
説明し指示するときちんと音で返ってくる。みんな力は充分にある。
だからついもっともっとと、欲張ってしまう。一つ一つ丁寧にやりたくなる。
みんなには力があるのに充分に引き出せないのであれば、それは全く私の力不足、ということだからな。
でも、圧倒的に時間が足りないと感じる。
限られた時間の中で何処で線を引くか、という苦しい判断を強いられるだろう。
次の練習は半日。
そこで何処まで突き詰められるか。
さらに入念な準備をしなければ。

そして来週の日曜が本番
長久手町文化の家・森のホール。
無料だけど入場整理券は全て出きってしまったよう。
当日券が出るかどうかその場になってみないと判らないそうです。
でも、是非たくさんの方に演奏を聴いていただきたいと思ってます。

1月
20
ほんの

僅かずつだが動いていることは確か。
けっして停滞や沈滞ではない。
内なる変化だったものが、外に向けて兆しを見せるほどにはなってきた。
ただし、持ち堪えられるか。

今日は大寒。
窓の外ではまた雪がちらついている。
まだまだ寒さが続くばかりか、これからさらに厳しさを増すだろう。

とは言っても、いずれ必ず春は来る。
来なければ困る。
盛大に。

1月
17
吹フェス

以前お知らせしたように2週間後の1月30日(日)に第7回 吹奏楽フェスティバル in NAGAKUTEが開催される。

例年ならば、一週前の一日、前日の半日、そして本番直前、と3回だけの練習で200人を超える大合奏をするのだが、今回は規模の大きな難曲にチャレンジすることになったこともあり、それぞれ各団体へ事前個別レッスン実施を企画、先週の土曜日まで1回ずつ完了した。
目標や課題を提示しつつ、雰囲気をつかんでもらう練習を心がけた。合同練習までのおさらいを少しでも有意義にしてもらうために。
ただでさえ冬時間で学校の部活動は時間を確保するのが難しい中、単独演奏の練習時間も削って合同演奏のため一生懸命頑張ってくれた。
やはり、一人一人の表情をきちんと見ながら練習を進められるのが良い。大人数だと大雑把にざっくりとしかできないからね。

今週の土曜日には全員が揃った練習。
それまでにさらに頑張ってくれるだろう。どんな練習になるかとても楽しみだ。
そしてすぐその一週間後に本番。

「今回はせっかくだから少し規模の大きい難曲にチャレンジしてみましょうか」という現場サイドからの提案があった。
そのこと自体既に嬉しいし、本番に向けて皆さん一生懸命なのがさらに嬉しい。

皆さんの気持ちに応え、参加した一人一人が音楽の喜びに身を委ね、どっぷりと浸かり、幸せを実感できる演奏にしていきたい。

1月
16

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。  

三好 達治

とっても静かだ。

明朝はお日様あたってキラキラになるといいな。

1月
09
演奏会告知

いつも大変お世話になっている長久手文化の家の演奏会告知です。

名演への招待シリーズ10
アンサンブル・ゼフィロ〜超絶!木管アンサンブルの至芸

【と き】
 平成23年1月21日(金曜日) 18:30開場 19:00開演
【ところ】
 長久手町文化の家 森のホール
【料 金】
 【前 売】一般3,500円、学生1,500円
 【当 日】一般4,000円、学生2,000円
zefiro

アンサンブル・ゼフィロはオーボエ クラリネット ファゴット ホルンで各楽器の奏者2名、合計8名。
珍しいピリオド楽器(古楽器)使用の木管アンサンブル。
古楽器アンサンブルを生で聴く機会はなかなか無いと思います。是非足をお運び下さい。

詳しいことは文化の家のページここなどをご覧下さい。

また、学生向けにゲネを公開できるとのこと。
珍しい古楽器の演奏はもとより、練習の様子はとても良い勉強になると思います。
公開ゲネについての詳細は長久手文化の家に直接お尋ね下さい。

1月
01
謹賀新年

今年もよろしくお願いいたします。
 

昨晩積もった雪も解け、日差しも幾分出てきたので、散歩がてら近所の氏神に初詣に行ってきた。

たくさんの人出。
帰り道、黄色く蝋梅(ロウバイ)が咲いていてとても良い香りがした。
畑にはツグミもいた。

必然と時は流れ、しかし新しい年は始まる。

12月
31
年の暮れ雑感

今年は逃れようとする事態がたくさんあったような。
一方で、踏ん張ろうとする事もあったかな。

今朝は朝から雪が降り、うっすらと雪化粧。
町のスーパーは大混雑。

仰々しく新年を迎えるつもりはなく。
いつものように穏やかに年が暮れていく。
三国志を読みながら。

皆様、良い年を迎えますように。

12月
26
アンコンの

季節。

それぞれの団体やグループの、それぞれのアンサンブル演奏を聴く機会が増える。
で、只、音が並んでいるような演奏に出くわすことが多い。(そもそも音がきちんと並んでいないことも多々。)
タテヨコ、ダイナミクスはそれなりに気を付けてる様子。
でもそれだけなんだな。
聴いていてつまらない。大切なものが伝わってこない。
 

レッスンもぼちぼちと。
継続したレッスンならば、音楽やアンサンブルの仕組みを説明してからようやく本格的に音楽の作り方とかに移行できるのだけれど。
本来前提であるべき音楽やアンサンブルの楽しみを理解させるのに時間がかかる事が多いから、どうしても単発のレッスンだと時間切れ中途半端になってしまう。
そのままコンテスト本番に突入するときっと良い結果にはならないだろう。
そうすると結果に落胆し、また大切なことを見失いそうだ。

このやり方、即効性という意味では失格だとおもう。
確かに、今の世相では流行らないだろうと思う。
しかし一方では、継続したレッスンを通して、少しずつ音楽やアンサンブルの本質を感じながら演奏できるようになった人たちも確実にいる。
テクニックでは未完成でも、始めから終わりまで滞りなくスムーズに運ぶ演奏が出来るようになった人たちもいる。
この感覚、時間と手間はかかるけれど一度覚えたら決して忘れないはず。
そしたらそれが文字通りその人の「力」になるんだけどね。
アンコンに向けて頑張っている人たちがみんながそうやって音楽への感覚を磨く方向を向いたら、もっと居心地が良くなると思うんだけどなぁ。
残念ながら現実は厳しい。
 

もっと伝えなきゃ、と思い、伝え方難しいなぁ、と思い、なかなか理解してもらえないなぁ、と思い、一筋縄ではいかないなぁ、と弱気になる。
でも、諦めないことにする。
一度熾きた火はなんとか保ち続けよう。
来年も。

12月
20
先日の

コンサート、開演前から行われていた中高生の金管アンサンブルクリニックと彼らの公開リハーサルも全て見させていただいていた。

クリニックは、高校生のバリテューバ4重奏と中学生の金管8重奏。
SBBQの5人は楽器を待たず、言葉や動作で通訳を交えながら、基本的な呼吸の練習方法、演奏者相互のコンタクトの取り方、もちろんバランスやフレージングなど、様々な示唆に富むアドバイスがあった。

その後休憩を挟み、彼ら自身の公開リハーサル。
どんなリハーサルをするのか興味津々だったのだが、実際には曲はほとんど合わせず、小一時間ほど5人揃ってバズィングから始め、基本的なウォームアップに終始した。
それは、自分達のため、というよりは、聴講している中高生のために、「トレーニングとはこうやってするんだよ」と、身をもって示しているようだった。

後々考えて、すごい、と思ったことがある。
その後の本番も含めて、無駄な音を一切聞かなかったことだ。
単純なミストーンはもちろん皆無だが、それ以外でも、例えば、一つのパターンが終わったあとに口をほぐすために出しがちな音や、唾を抜く時に出しがちな音も含めて、試し吹きなど不用意な音は一切無い。
ウォームアップ一番最初のバズィングからアンコールの最後の音まで、発音された音全てが必要だから出された音で、しかも全ての音が間違いなく的確なのだ。

このことはある意味テクニカルな事項かも知れない。
ウォームアップはアメリカンスタイルで、パターンとパターンの間の音を出さずにいる時間ですらきちっとコントロールするとてもシステマチックなもののようだ。
しかし、その裏には、やはりそれだけではない何かの存在はあると確信する。
例えば「発音する音に対する責任感」とか「音への惜しみない愛しみ」とか。
いやいや、そんなお硬いモノではなくもっともっと暖かく深いものなんだ。うーん、私の拙い言葉にすると途端に色あせてしまうのが悔しい。

「完璧な技術を身につけたからそれらが可能になった」のではなく「何かを求めていった結果完璧な技術が身についた」というと伝わるかな。
要は、目指しているものが、「言葉では表せない何か。理屈では説明できない何か。」だからなのだろう。そのためのテクニックは必要だが、しかしテクニックは言葉で表せるし理屈で説明できる。先の言葉からすれば目指すべきはそこではない。
彼らの、テクニックのさらにその先にある「説明できない何か」を求める、という揺るぎない基本姿勢が、エル・システマ数々の奇蹟を生んだのだろう。

そこまで考えてようやく、私のアンコール時の涙の不意打ち、という個人的経験は、そのうちのほんの微かな奇蹟の一つに過ぎないのだろうと考えついた。